【クリック】
コロナより死者が多い「熱中症」で、経済活動を止めないのはなぜか
一部引用
全国でコロナの1.7倍の患者、
東京で8倍の死者を出す病とは
厚生労働省の発表によれば、全国で今月10日から16日までにPCR検査で陽性と確認されたのは7281人。また、NNNの集計では、東京都で8月に入って24日までに新型コロナで亡くなったのは20人である。
では、全国でコロナの1.7倍の患者を生み出し、東京でコロナの8倍にもなる死者を出している病は、いったい何かというと、「熱中症」である。
連日のように日本列島を襲う殺人的な暑さで、熱中症による死者が急増しているのだ。
厚生労働省の統計によれば、熱中症で亡くなった人は2010年が統計史上最多の1731人、記録的な猛暑だった18年も1581人にのぼっている。
東京都でひと月弱だけで170人というハイペースなのだから、47都道府県合計の死者はかなりの数に膨れ上がるはずだ。
熱中症のリスクは
日本でなぜ軽視されるのか
なぜこうも、われわれは熱中症のリスクを軽視しているのか。いろいろなご意見があるだろうが、筆者はその根底に、日本人が「暑さで倒れる」ということに慣れ切っていること、
もっと言えば、「夏なんだからそういうこともあるよ」という、どこか当たり前のことのようにそれを受け入れていることが、大きな理由としてあるのではないかと思っている。
《子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気》(2018年7月26日)という記事の中で詳しく述べたが、実は日本人が「夏になると熱中症でバタバタと人が死ぬ」という状況に慣れたというか、「日常風景」として受け入れるきっかけとなったものがある。
最近はバタバタと子どもが死んだので、ようやく少し配慮をするようになったが、高校野球に代表される「根性部活」では、声出し、上級生の身の回りの世話、大きな声で挨拶などなど、
本来スポーツとは無縁の「精神修養」を強いる。
日本軍と同じで、心を鍛えれば個人は凄まじい力を発揮して、強いチームをつくれるという考え方が、いまだに根強いのだ。
「暑さでぐったりする」ということに慣れさせて、「倒れたら立ち上がる」ことを子どもたちに強いる。長らく部活動では、人の命より「暑さのなかで鍛える」ということの方が、優先されてきたのである。
「熱中症」というのは、日本型根性教育の中で、弱い者を「ふるい」にかける試練の1つとして認められてきたのだ。
つまり、我々の社会は「暑さで死ぬ人」を織り込み済みで回っているのだ。
これこそが、我々が「熱中症」をそこまで「恐ろしい病」だと思えない最大の理由ではないか、と筆者は考えている。
この殺人的な暑さの中でも、いまだに来年もオリンピックをやろうと考えている人がかなりいる。
「今年は残念だけど、来年の夏こそ甲子園に行って球児たちの活躍を見るぞ」と楽しみにしている人も多い。
今のままの認識では、高齢化の進む日本の熱中症死者が凄まじい数にのぼることは、目に見えている。