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自分はふさわしい服装をしているだろうか~聖書

2020年08月13日 | 日記

自分はふさわしい服装をしているだろうか

 

何を着るかは,本来,個人で決める事柄です。
好みは人によってさまざまですし,経済的な事情も人によって異なります。また習慣も場所や国や気候によって異なります。
しかし,どんな状況にあろうと,次の原則を銘記しましょう。「天が下のすべての事には季節があり,すべてのわざには時がある」。

「何事にも時がある。この地上の全ての活動には時がある」。
(伝道の書・コヘレトの言葉 3:1)

 

言い替えれば,その場にふさわしい服装をするということです。そして次に,「慎みをもってあなたの神と共に歩む」ことです。

「神はあなたに,何が善いことかを伝えた。神があなたに求めていることは何か。ただ公正を守り,揺るぎない愛を抱き,慎みを持って神と共に歩むことである」。
(ミカ 6:8)

これは上品ぶった服装をするという意味ではなく,「よく整えられた」,「健全な思い」を反映するような仕方で装うということです。

「女性は,慎みと健全な考え方が表れた,きちんとした*服装をすべきです。凝った髪形をしたり,金や真珠や非常に高価な服を身に着けたりするのではなく, 
神への専心を表明している女性にふさわしく,善い行いによって身を飾ってください」。
(テモテ第一 2:9,10)

 

多くの場合,これは慎みを表わすことにほかなりません。「働く女性」誌はこの特質を趣味の良さや上品さと結び付けています。
経験から言えるのは,着ている服が自分よりも先に部屋に入り,他の人を圧倒することなどないようにすることです。
「働く女性」誌(英語)はこう述べています。
服装は……人々があなたの服を見過ごし,あなた個人の長所を見ることができるようなものにしなさい

「知覚及び運動に関する技能」誌はこう述べています。
「人に与える印象や言語によらないコミュニケーションにおける衣服の役割を論じている数々の文献は,衣服が他の人に対して最初の判断を下す大切な手がかりであることを明らかにしている」。
同様に,かつては自分の魅力を振りまくような装い方をしていた40代の女性はこう言います。
「そうした服装のせいでたいへん厄介な事態が生じました。仕事とプライベートとの境界があいまいになったからです。仕事で会う人から決まって食事に誘われました」。
ある女性会計士は,それとは対照的なスタイルについてこう述べています。
「わたしはくだけた服装の女性や飾り気などない男性のような服装の女性に対して,男性がどのように振る舞うかを観察してきました。それらの女性は男性から,
相手の一番の弱みを突くような攻撃的な女性とみなされ,つらい目に遭います」。


確かに,わたしたちの口だけでなく,服装と身なりも,「心に満ちあふれているものの中から」語るのではないでしょうか。

「まむしらの子孫よ,あなた方は邪悪な者であるのに,どうして良い事柄を語れるでしょうか。心に満ちあふれているものの中から口は語るからです」。
(マタイ 12:34)

あなたの服装は何を明らかにしていますか。創造者に注意を引きたいという願いでしょうか,それとも,自分自身に注意を引きたいという願いでしょうか。

 


「健全な思い」をもって装うへ続く>>>