神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

明け方の空に惑星がずらり集合 7月上旬にかけ見頃 

2022年06月25日 | 日記

明け方の空に惑星がずらり集合 7月上旬にかけ見頃 

 

6月中旬から7月上旬にかけて、明け方の東〜南の空で、太陽系の全ての惑星「水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星」が集合して見えます。

梅雨の晴れ間を狙って観察してみてください。

 
 

 

 


聖書・多くの人々が勘違いしている~聖書

2022年06月24日 | 日記

2020-11-08の再掲

「聖書」

私は、エホバの証人ではありませんが、時々、
エホバの証人より配布いただいてる、「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌、パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教、宗派にも属していません)

*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会、創価学会、キリスト教のカトリック、プロテスタント等)
その中で、聖書に忠実に教えてるのは、エホバの証人と思います。

*多くの方々は自分の宗教に固執して、私のように他の宗教に交わったことありますか?

*悪名高き顕正会には乗換駅で待ち伏せされたり、カフェに連れ込まれたり(2人組)、家に上がり込まれたり。

*私が用いる聖句は、新世界訳、新共同訳、新改訳、口語訳、回復訳
平成4年(1992年)より聖書を読み始め、現在76回目の聖書通読中です。

 

「多くの人々が勘違いしている聖書」

聖書と聞くだけで
宗教、改宗される、勧誘されるなどなど

 

「宗教」
簡潔に書きますと偶像・偶像崇拝。

「偶像・偶像崇拝」
偶像は、現実のものであれ想像上のものであれ何かをかたどったもので、たいてい崇拝のために用いられる。偶像崇拝とは、偶像を敬い、愛し、拝み、あがめること。

「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」。
(出エジプト記 20:4~6)

「滅びとなるようなことをせず、自分たちのために彫刻像を作ったりすることのないようにしなければならない。すなわち、どんな象徴の形も、男や女の表象も、地にいるどんな獣の表象も、天を飛ぶどんな翼を持つ鳥の表象も、地面を動くどんなものの表象も,地の下の水の中にいるどんな魚の表象も。また、目を天に上げて太陽と月と星を、天の全軍を見、たぶらかされてそれらに身をかがめたり、それらに仕えたりすることのないように」。
(申命記4:16~19)

「偶像は、銀や金であり地の人の手の業である。口はあっても、話すことはできない。目はあっても、見ることもできない。耳はあっても、聞くことはできない。鼻はあっても、かぐことはできない。手は持っていても、触る事はできない。足を持っていても、歩くことはできない。喉をつかって声をだすわけでもない。これを作る者たちは、まさしくこれと同じようになる」。
(詩編115:4~8)

「国々の偶像は銀や金でできている。人が手で作った」。
(詩編 115:4)

「ですから、愛する皆さん、偶像崇拝から逃げ去ってください」。
(コリント第一 10:14)

 


「聖書は、生ける神からの音信、預言書であり宗教ではありません」

人間を創造した神が人間が生きていく上での道徳、規定、法規、司法上の定めなどを教えています。

「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので、教え、戒め、矯正し、正しいことに基づいて指導するのに役立ちます」。
(テモテ 第二 3:16)

「聖書全体は神の霊感を受けたもので、教え、戒め、物事を正し、義にそって訓育するのに有益です」。
(テモテ 第二 3:16)


その聖書の教えを曲解したり当てはめていないクリスチャン(カトリック、プロテスタント、モルモン教)
イエス・キリストの像、マリア像の安置や崇拝(偶像)、十字架を切ったり、礼拝の始まり或いは礼拝のあと寄付を集めたり。

「週の初日ごとに、おのおのがそのなしうるものを蓄えて手もとに置いてください。わたしが行ったときに募金をすることがないためです」

(コリント第一 16:2)

 

【クリック】
神により任命されていると主張する人々が,もし神とキリストに従順でなければ,その主張は無意味です Part Ⅰ 

【クリック】
神により任命されていると主張する人々が,もし神とキリストに従順でなければ,その主張は無意味です Part Ⅱ

 

 


怠惰な者よ、ありのところへ行け。そのやり方を見て、賢くなれ。ありには司令官も、つかさも、支配者もいないが、夏の間にその食物を備え、収穫の時にその食糧を集めた。
(箴言・格言 6:6~8)


憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。
(箴言・格言 10:12)

手と手を合わせても、悪人は罰を免れない。しかし、義なる者たちの子孫は必ず逃れる。
(箴言11:21)

きれいであっても、分別から離れて行く女は、豚の鼻にある金の鼻輪のようだ。
(箴言11:22)

自分の富に依り頼む者 ― その者は倒れる。しかし、義なる者たちは繁茂した葉のように栄える
(箴言11:28)

人の前には廉直な道であっても、後にその終わりが死の道となるものがある。
(箴言14:12)

経験のない者はすべての言葉を信じ、明敏な者は自分の歩みを考慮する。
(箴言14:15)

怒ることに遅い者は識別力に富み、短気なものは愚かさを高めている。
(箴言14:29)

人が見て自分で正しいとする道があり、その終りはついに死にいたる道となるものがある。
(箴言16:25)


怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。
(箴言16:32)


乾いた一切れのパンでも、そこに平穏があれば、言い争いの犠牲に満ちた家に勝る。
(箴言17:1)


資力の乏しい者をあざ笑っている者はその造り主をそしったのである。他人の災難を喜んでいる者は処罰を免れない。
(箴言17:5)

心の曲がっている者は善いものを見いだすことがなく、舌のねじれている者は災いに陥る。
(箴言17:20)

喜びに満ちた心は治療薬として良く効き、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。
(箴言17:22)


口論の始まりは人が水を噴き出させるようなものである。それゆえ,言い争いが突然始まってしまう前にそこを去れ。
(箴言17:14)

邪悪な者を義にかなっていると宣告し、義なる者を邪悪であると宣告する者 その両者とも神にとって忌むべきものである。
(箴言17:15)

人の贈り物はその人のために広い道を開き、偉大な人々の前にさえもこれを導く。
(箴言18:16)

ひそかになされる贈り物は怒りを抑え、懐のわいろは強い激怒を抑える。
(箴言21:14)

争いを好む妻と共にいていら立つよりは、荒野の地に住むほうが良い。
(箴言21:19・25:24)

愚鈍な子はその父にとって逆境を意味し、妻の口論は、人を追い立てる雨漏りのする屋根のようだ。
(箴言19:13)


雨の降りしきる日に人を追い立てる雨漏りのする屋根と,争いを好む妻とには,よく似たところがある。
(箴言27:15)

自分の目に自らを賢い者とする人を見たか。彼よりも,愚鈍な者のほうにもっと望みがある。
(箴言26:12)

愚かな者の道は自らの目には正しい。しかし助言に聴き従う者は賢い。
(箴言12:15)

自分の吐いた物に戻って来る犬のように,愚鈍な者は自分の愚かさを繰り返している。
(箴言26:11)


義と愛ある親切とを追い求めている者は,命,義,そして栄光を見いだす。
(箴言21:21)

災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける。
(箴言22:3)

災いを見た明敏な者は身を隠した。進んで行った経験のない者は報いを身に受けた。
(箴言27:12)


自分の僕(しもべ)を若い時から甘やかしていると,後になって感謝の念のない者となる。
(箴言29:21)

怒りやすい者は口論をかき立てる。すぐに激怒する者は多くの違犯をおかす。
(箴言29:22)

地の人のごう慢さそのものがその人を低くする。しかし霊の謙遜な人は栄光をとらえる。
(箴言29:23)


怠惰な者よ、あなたはいつまで横たわっているのか。いつ眠りから起き上がるのか。もう少し眠り、もう少しまどろみ、もう少し手をこまぬいて横たわる。すると、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは武装した者のように必ずやって来る。
(箴言6:9~11)


言葉が多ければ違犯を避けられない。しかし、唇を制する者は思慮深く行動しているのである。
(箴言10:19)

人は自分の口の答えに歓びを得る。時宜にかなった言葉は、ああ、何と良いものであろう。
(箴言15:23)

適切な時に話される言葉は、銀の彫り物の中の金のりんごのようだ。
(箴言25:11)


心地よい言葉は滴る蜂蜜のようで、甘くて健康に良い。
(箴言16:124)


誇りは崩壊に先立ち、ごう慢な霊はつまずきに先立つ。
聖書(箴言16:118)


自分の目から見て賢い者となってはならない。神(ヤハウェ、エホバ)を恐れ、悪から遠ざかれ。それがあなたのへそのいやしとなり、あなたの骨の潤いとなるように。あなたの貴重なものと、あなたのすべての産物の初物とをもって神(ヤハウェ、エホバ)を敬え。そうすれば、あなたの貯蔵所は満ちて有り余り、あなたの搾りおけは新しいぶどう酒であふれるであろう。
(箴言3:17~10)

あなたの手に善を行なう力があるのに、それを受けるべき人から控えてはならない。あなたのもとに何かがあるのに、仲間の者に、「行って、また来なさい。明日、与えよう」と言ってはならない。
(箴言3:27.28)


仲間の者が安心感を抱いてあなたと共に住んでいるのに、その人に対して悪いことをたくらんではならない。人があなたに何も悪を行なっていないのなら、理由もなくその人と言い争ってはならない。
(箴言3:29.30)

 


鉄はまさしく鉄によって研がれる。同じように、ひとりの人が他の人の顔を研ぐ。
(箴言27:17)