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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

アジサイ、バラ ほか 大宮公園 4K 2023年5月25日

2023年05月27日 | 日記


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アジサイ、バラ ほか 大宮公園 4K 2023年5月25日

 

                      


仲間の圧力に負けないために ~ JW.ORG ~

2023年05月24日 | 日記

 

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等のさまざまな宗派)

その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。


*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳


「目ざめよ!」  2014年1月
 
『仲間の圧力に負けないために』


現実の問題

「わたしは中学生の時,仲間外れにされて傷つきました。それで,高校生になって自分の外見や態度を変えました。悪いほうにです。
どうしても友達が欲しくて,仲間の圧力に負けてしまいました。みんなから好かれたい一心でした」。
(ジェニファー,16歳。)

あなたも仲間の圧力を感じていますか。もしそうなら,この記事は,そうした圧力に対処するのに役立つことでしょう。

仲間の圧力に屈するのであれば,操り人形になっているようなものです。しかし,人の言いなりになるべきでしょうか。

「皆さんは次のことを知らないのですか。自分を奴隷として誰かに差し出して従うなら,従う相手の奴隷になります。罪の奴隷となって死へと導かれるか,従順の奴隷となって正しいことへと導かれるか,どちらかなのです」。
(ローマ 6:16)

 


知っておきたいこと
良い人でも,仲間の圧力を受けると,悪いことをしてしまう。

「悪い交わりは有益な習慣を損なう」。

『思い違いをしてはいけない。「悪いつきあいは,良い習慣を台なしにする」のです』。
(コリント第一 15:33)

「良くないと分かっていても,その場の空気にのみ込まれて,みんなが喜ぶならそうしようという気持ちになってしまいます」。
(デーナ)


仲間の圧力とは言っても,仲間が直接加えてくるものだけではない。

「自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にある」。

「そういうわけで,私は,善をしたいと願っているのですが,その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです」。
(ローマ 7:21)

「圧力と感じるものは大抵,自分自身から生じています。本当のところ,仲間が話していることがとても面白そうに思えてそれをしたいと思うのは,自分なんです」。
(ダイアナ)

 

仲間の圧力に立ち向かうなら,自分自身のことが誇らしく思える。

「正しい良心を保ちなさい」。

「健全な良心を保ってくださいa。そうすれば,皆さんについてどんな悪いことを言う人も,キリストに従う皆さんの良い振る舞いを見て恥ずかしく思うでしょう」。
(ペテロ第一 3:16)

 

「仲間の圧力に立ち向かうのが非常に難しい時もありました。でも,今では,ほかの子たちと異なっていても平気です。自分の決意を貫いています。良心が痛んで眠れない,ということはありません」。
(カーラ)

 


どうすればよいか


良くないことを行なわせようとする仲間の圧力に直面したら,次のようにしてみましょう。

どんな結果になるか考える。こう自問してみてください。『圧力に屈したら,自分は自分のことをどう思うだろうか。見つかったら親はどう思うだろうか』。

聖書の原則: 
「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」。
(ガラテア 6:7)

「両親から,『圧力に負けたら,どうなると思う?』と聞かれ,仲間の圧力に屈したら道を踏み外すことになるのがよく分かりました」。
(オリビア)

 

信念を抱く。こう自問してみてください。『これをしてしまったら,それは自分自身にとっても他の人たちにとっても害になる,と言えるのはなぜだろう』。

聖書の原則: 

「しかし,固い食物は成人した者たちのためです。彼らは訓練の結果,その機能が活用されて,善悪を識別することができるのです」。
(ヘブライ 5:14)

「幼かった頃のわたしは,しないと言うだけか簡単な返事しかしませんでしたが,今では,なぜするのか,なぜしないのかをはっきり説明することができます。正邪に関して固い信念を持っています。ほかの人に聞くのではなく,自分で考えて答えることができます」。
(アニータ)

 

“自分”について考える。『自分はどんな人になりたいのだろうか』と自問してください。
それから,いま受けている圧力について考え,『そのような人なら,この状況でどうするだろうか』と自問してみてください。

聖書の原則: 

「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい。それともあなた方は,イエス・キリストがあなた方と結びついておられることが分からないのですか。それは,あなた方が非とされているのでなければのことですが」。
(コリント第二 13:5)


「わたしは,自分に満足しているので,他の人からどう思われるかをあまり気にしません。それに,大抵どの人も,ありのままのわたしと一緒にいることを好みます」。
(アリーシャ)

先のことも考える。在学中なら,いま自分が受け入れてもらおうとしている仲間たちは,あと数年 ― あるいは数か月 ― 後にはもう,自分とのかかわりがなくなっているかもしれません。

「卒業写真を見ても,同級生の幾人かの名前さえ,もう思い出せません。でも,学生の頃は,自分の信念を貫くより,みんなの意見に合わせるほうが重要でした。なんてばかだったのでしょう」。
(ドン,現在22歳)

備えをする。「一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」と聖書は述べています。

「塩で味付けされた快い言葉を語るように心掛けましょう。そうすれば,誰に対してもどのように答えるべきかが分かります」。
(コロサイ 4:6)

「両親はわたしと妹を,ありがちな場面について考えるよう助けてくれます。そして,実際にそのような状況に直面したらどうすべきかが分かるよう,家族でその場面を演じます」。
(クリスティーン)

^ この記事に出てくる一部の名前は変えてあります。


聖書のアドバイス
「何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになる」。
(ガラテア 6:7)

「円熟した人々は自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられる」
(ヘブライ 5:14)

「自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」。
(コリント第二 13:5)

 

 


ジェシカ
「自分自身のことをどう思っているかによって,仲間の圧力にどう対処するかがかなり違ってきます。自信を持っていれば,人からどう思われるかは気になりません。仲間の圧力も,すぐに,大したことではなくなります」。


ケイリー
「自尊心が弱いと,安心感を得るだけのために他の人たちに合わせようとするかもしれません。でも,自分に自信を抱いていれば,容易に仲間の圧力に気づいて,それを無視できます」。

 

 

 

         

 


運命ですか,それとも単なる偶然ですか ~ JW.ORG ~

2023年05月23日 | 日記

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)

その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。


運命ですか,それとも単なる偶然ですか
目ざめよ! 1999-8/8


「運命が多くの命を奪い,また救った」と,インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(英語)は伝えました。昨年,ケニアとタンザニアの米国大使館をテロリストが襲撃し,200人を超える死者と数千人の負傷者が出ました。
しかし,「大使館の上級外交官たちにとっては,爆発の起きた時間が幸いした」と同紙は述べました。

それらの人たちは,爆発があったビル内の少し離れた所で会議に出ていて,命拾いしたのです。しかし,普通ならその会議に出ていたはずの一高官は出席しておらず,爆発のあった場所の近くにいて死亡しました。

「運命はアーリーン・キルクにも残酷だった」と同紙は述べました。休暇からケニアに戻る際,飛行機の客席に超過予約があったため,アーリーンは自分の座席を譲ることを申し出ました。
ところが,別の乗客がそれより前に申し出ていたため,彼女は飛行機に乗ることができました。その結果,アーリーンは爆発のあった日に大使館での仕事に戻り,死亡しました。

人間はしばしば不幸を経験します。しかし,悲劇の理由を説明することは決してやさしくはありません。世界の各地で起きる不慮の事故や大災害ではいつでも,死ぬ人も生き残る人もいます。
とはいえ,『なぜこの自分が?』と人が思うのは,不慮の災害に見舞われた時だけではありません。人生のよい事柄に関しても,ある人は他の人よりも幸運のように思えることがあります。
多くの人にとって生きるのは苦労の連続であるのに,物事がずっと順調に進んでゆくように見える人たちがいます。『すべての事が何らかのかたちで計画されていたのだろうか。わたしの人生は運命に支配されているのだろうか』と,尋ねる人もいることでしょう。

 

説明を探し求める

今から約3,000年前,一人の賢い王は,身の回りで起きる予期せぬ出来事を観察し,それについて次のように説明しました。
「時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨む」。
(伝道の書 9:11)
「時と災難はすべての人に臨む」。
(伝道の書 9:11)


予期しなかった事柄の起きる場合があります。全く予測のしようもない事柄です。思いがけない出来事は,良い事も悪い事も,ただタイミングの問題であることが多いのです。

しかしあなたは,物事を偶然の結果とは説明せず,そこには別の力,つまり運命が働いていると考える人々と同じ見方をしているかもしれません。
運命や宿命を信じることは,人類最古の,また最も広く行き渡ってきた宗教信条の一つです。パリ大学の神話調査センター所長フランソワ・ジュアン教授は,「人生の不可解な事柄すべてを説明するものとして……運命を支配する何らかの神秘的な力を信じなかった時代や文明は一つもない」と述べています。
「彼の死ぬべき時は来ていなかった」とか,「そうなることになっていた」などと言われるのもそうした理由によります。しかし,運命とは何でしょうか。

 

運命を定義する

「運命」に相当する英語のfateは,「預言的宣言,託宣,神慮の決定」という意味のラテン語fatumに由来しています。何か無作為の力により,抗しがたく説明しがたいかたちで将来が決定されているように思えることがあります。
そのようなとき,その力は神によるものとみなされることがよくあります。

宗教史家ヘルマー・リングレーンは,「宗教的な態度の本質的要素の一つは,人の運命は無意味であるとか偶然であるとは考えず,何かの意志や意図と結びつけ得る力によって生じるという感情である」と述べています。
時にはある程度自ら左右する余地を認めるとしても,人間は自分ではどうしようもないチェス・ゲームにおける比較的無力な駒のようだと考える人が少なくありません。こうして,『自分の運命の時を迎える』といった言い方がされます。

長年にわたり,神学者や哲学者は運命というものを説明しようとしてきました。「宗教百科事典」(英語)は,「運命の概念は,どのような形式や言語や意味合いで登場するにしても,基本的には常になぞめいた要素を秘めている」と述べています。
それでも,複雑に入り組んだ考えを貫く一つの特徴は,高次の力が働いていて,人間の物事を支配し,導いているという概念です。この力は,個人や国民の生活を事前に決定し,将来を過去と同じく動かしがたいものにしている,とみなされます。

 

決定要素

運命を信じるかどうかによって何か違いが生じるでしょうか。「人の境遇はその人の人生観を大きく左右するが,逆に,人生観も人の境遇を大きく左右する」と,英国の哲学者バートランド・ラッセルは書いています。

実際,運命なるものがあるかどうかは別として,それを信じることは,わたしたちの行動の仕方を左右することがあります。自分の置かれた状況がどれほど公正に反し,非道なものであっても,
それを神々の意志であると信じ,何も変えることのできない人生の巡り合わせであるかのように考えて,そのまま受動的に受け入れている人も少なくありません。そのため,運命を信じることが,個人の責任という概念を損なってしまいます。

他方,運命を信じるゆえに逆の方向に進んだ人たちもいます。例えば,歴史家たちは,資本主義と産業革命の発展のあとをたどって幾つかの要素に注目しています。その中には,予定説に対する信仰も含まれています。
プロテスタント宗派の中には,神は個人の救いを予め定めていると教えるところがあります。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは,「自分は神の選ばれた者の一人だろうかという疑問が,遅かれ早かれ信者各人に臨むことになった」と述べています。
人は,自分が神の祝福を受けているかどうか,それゆえ救いに定められているかどうかを知ろうとしました。人々はそのことを,「世俗的な活動」を通して確かめた,とウェーバーは述べています。事業の成功や富の蓄積は,神の恵みのしるしとみなされました。

運命に対する信仰のために極端な行動を取る人たちもいます。第二次世界大戦中,日本の特別攻撃隊員は“神風”を信じました。神々には目的があり,人はそれに関係し得るという考えは,陰うつな死に宗教的な含みを与えるものとなりました。
過去10年ほどの間,中東の自爆テロリストは,恐ろしい襲撃によって新聞紙面をにぎわせてきました。運命論は,そうした「宗教がらみの自爆テロ」において重要な役割を果たしている,と一百科事典も述べています。

それにしても,運命を信じることはなぜこれほどに広まっているのでしょうか。その起源を少し調べると,答えが得られます。

 

 

 

                 


運命ですか,それとも単なる偶然ですか ~ JW.ORG ~

2023年05月23日 | 日記

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)

その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。


運命ですか,それとも単なる偶然ですか
目ざめよ! 1999-8/8


「運命が多くの命を奪い,また救った」と,インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(英語)は伝えました。昨年,ケニアとタンザニアの米国大使館をテロリストが襲撃し,200人を超える死者と数千人の負傷者が出ました。
しかし,「大使館の上級外交官たちにとっては,爆発の起きた時間が幸いした」と同紙は述べました。

それらの人たちは,爆発があったビル内の少し離れた所で会議に出ていて,命拾いしたのです。しかし,普通ならその会議に出ていたはずの一高官は出席しておらず,爆発のあった場所の近くにいて死亡しました。

「運命はアーリーン・キルクにも残酷だった」と同紙は述べました。休暇からケニアに戻る際,飛行機の客席に超過予約があったため,アーリーンは自分の座席を譲ることを申し出ました。
ところが,別の乗客がそれより前に申し出ていたため,彼女は飛行機に乗ることができました。その結果,アーリーンは爆発のあった日に大使館での仕事に戻り,死亡しました。

人間はしばしば不幸を経験します。しかし,悲劇の理由を説明することは決してやさしくはありません。世界の各地で起きる不慮の事故や大災害ではいつでも,死ぬ人も生き残る人もいます。
とはいえ,『なぜこの自分が?』と人が思うのは,不慮の災害に見舞われた時だけではありません。人生のよい事柄に関しても,ある人は他の人よりも幸運のように思えることがあります。
多くの人にとって生きるのは苦労の連続であるのに,物事がずっと順調に進んでゆくように見える人たちがいます。『すべての事が何らかのかたちで計画されていたのだろうか。わたしの人生は運命に支配されているのだろうか』と,尋ねる人もいることでしょう。

 

説明を探し求める

今から約3,000年前,一人の賢い王は,身の回りで起きる予期せぬ出来事を観察し,それについて次のように説明しました。
「時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨む」。
(伝道の書 9:11)
「時と災難はすべての人に臨む」。
(伝道の書 9:11)


予期しなかった事柄の起きる場合があります。全く予測のしようもない事柄です。思いがけない出来事は,良い事も悪い事も,ただタイミングの問題であることが多いのです。

しかしあなたは,物事を偶然の結果とは説明せず,そこには別の力,つまり運命が働いていると考える人々と同じ見方をしているかもしれません。
運命や宿命を信じることは,人類最古の,また最も広く行き渡ってきた宗教信条の一つです。パリ大学の神話調査センター所長フランソワ・ジュアン教授は,「人生の不可解な事柄すべてを説明するものとして……運命を支配する何らかの神秘的な力を信じなかった時代や文明は一つもない」と述べています。
「彼の死ぬべき時は来ていなかった」とか,「そうなることになっていた」などと言われるのもそうした理由によります。しかし,運命とは何でしょうか。

 

運命を定義する

「運命」に相当する英語のfateは,「預言的宣言,託宣,神慮の決定」という意味のラテン語fatumに由来しています。何か無作為の力により,抗しがたく説明しがたいかたちで将来が決定されているように思えることがあります。
そのようなとき,その力は神によるものとみなされることがよくあります。

宗教史家ヘルマー・リングレーンは,「宗教的な態度の本質的要素の一つは,人の運命は無意味であるとか偶然であるとは考えず,何かの意志や意図と結びつけ得る力によって生じるという感情である」と述べています。
時にはある程度自ら左右する余地を認めるとしても,人間は自分ではどうしようもないチェス・ゲームにおける比較的無力な駒のようだと考える人が少なくありません。こうして,『自分の運命の時を迎える』といった言い方がされます。

長年にわたり,神学者や哲学者は運命というものを説明しようとしてきました。「宗教百科事典」(英語)は,「運命の概念は,どのような形式や言語や意味合いで登場するにしても,基本的には常になぞめいた要素を秘めている」と述べています。
それでも,複雑に入り組んだ考えを貫く一つの特徴は,高次の力が働いていて,人間の物事を支配し,導いているという概念です。この力は,個人や国民の生活を事前に決定し,将来を過去と同じく動かしがたいものにしている,とみなされます。

 

決定要素

運命を信じるかどうかによって何か違いが生じるでしょうか。「人の境遇はその人の人生観を大きく左右するが,逆に,人生観も人の境遇を大きく左右する」と,英国の哲学者バートランド・ラッセルは書いています。

実際,運命なるものがあるかどうかは別として,それを信じることは,わたしたちの行動の仕方を左右することがあります。自分の置かれた状況がどれほど公正に反し,非道なものであっても,
それを神々の意志であると信じ,何も変えることのできない人生の巡り合わせであるかのように考えて,そのまま受動的に受け入れている人も少なくありません。そのため,運命を信じることが,個人の責任という概念を損なってしまいます。

他方,運命を信じるゆえに逆の方向に進んだ人たちもいます。例えば,歴史家たちは,資本主義と産業革命の発展のあとをたどって幾つかの要素に注目しています。その中には,予定説に対する信仰も含まれています。
プロテスタント宗派の中には,神は個人の救いを予め定めていると教えるところがあります。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは,「自分は神の選ばれた者の一人だろうかという疑問が,遅かれ早かれ信者各人に臨むことになった」と述べています。
人は,自分が神の祝福を受けているかどうか,それゆえ救いに定められているかどうかを知ろうとしました。人々はそのことを,「世俗的な活動」を通して確かめた,とウェーバーは述べています。事業の成功や富の蓄積は,神の恵みのしるしとみなされました。

運命に対する信仰のために極端な行動を取る人たちもいます。第二次世界大戦中,日本の特別攻撃隊員は“神風”を信じました。神々には目的があり,人はそれに関係し得るという考えは,陰うつな死に宗教的な含みを与えるものとなりました。
過去10年ほどの間,中東の自爆テロリストは,恐ろしい襲撃によって新聞紙面をにぎわせてきました。運命論は,そうした「宗教がらみの自爆テロ」において重要な役割を果たしている,と一百科事典も述べています。

それにしても,運命を信じることはなぜこれほどに広まっているのでしょうか。その起源を少し調べると,答えが得られます。