最近、ネットの文章やX(旧Twitter)の文章を読んでいると
舌足らずな日本語が多くて、
てにをはが出鱈目だったり、誤字が多かったり、
省略が多すぎて意味が通らなかったり。
そもそも日本語として成り立っていなかったりして読みにくいことこの上ない。
とにかくネット上の素人の日本語は下手だ。
ネットの素人の文章ばかり読んでいるから、
自分の書く文章も下手くそになってしまった。
だからもっと正しいちゃんとした日本語を読まなければいけないと思い、
そこで本を読もうと思った。
本なら正しい日本語が書いてある。
自分を高めるためにも正しい日本語を読む必要がある。
本なら家に山ほどあるが…
一番手軽で大好きな漱石の「吾輩は猫である」を読もうと思った。
「吾輩は猫」なら3種類くらい家にあったはず。
しかしいくら探してみても出て来ない(>_<)。
全集の中に納められたものが何種類か持っていたはずなのに…
どこへ行ったものか。。
ひとつは明治村特装版の「猫」で、それは見つけたが、
フランス装なので読むのが面倒なのだ。
旧字・旧かななのでムード満点なのだが…。
面倒なのでそこで新たに本屋へ行ってわざわざ買うことにした。
改めて岩波文庫の「吾輩は猫である」を買ったのだった。
今さら売っているのかなと思ってたけれど、
ちゃんと本棚に置いてあって買うことが出来た。
上下2巻くらいかと思っていたが、一冊にまとめられていた。
吾輩は猫である (岩波文庫 緑10-1)
夏目 漱石
880円
老眼が進んで来て(>_<)、
文庫の小さな文字が読みにくくなってしまったので、
眼鏡型のルーペを持ち出して来て何とか読んでみる。
久しぶりに読んでみるとやはり面白い。
ランダムに開いた部分から読んでみるが、面白い。
とくに好きなのは主人公の苦沙弥先生と奥さんとのやり取りで、
とぼけた味わいがある。
漱石の奥さん・鏡子夫人は弟子たちから悪妻とみなされていて、
特に漱石を神のように崇めていた小宮豊隆によって、
より悪妻のイメージが定着していった。
ただ小宮だけでなく、もう一人の弟子・森田草平もよく思っていなかったし、
温厚な寺田寅彦でさえ夫人に辛辣だったと記憶している。
弟子たちにとっては漱石死後の鏡子夫人の振る舞いは、
首を傾げるものだったのだろう。
(莫大な遺産や印税が入り、金遣いが荒くなったなど)
ただ、「吾輩は猫」の奥さんは鏡子夫人をモデルにしていると思われるが、
「猫」における奥さんはとても可愛らしい。
可愛らしいキャラクターとして描かれているのだ。
明治時代の話だから、奥さんの話し言葉も明治で、
「御座んす」だとか、主人に対して丁寧語で喋っている。
「ジャムを御舐めになるものですから」だとか。
この丁寧な言葉遣いがまず上品で好印象である。
奥さんの口ぐせの「あらまあ」や「あらいやだ」、というのも可愛らしい。
そして主人の苦沙弥先生とのとんちんかんなやり取り。
苦沙弥の友人・迷亭と奥さんとのとぼけたやりとりも面白いが、
夫婦間の会話も笑える。
奥さんが苦沙弥先生に今月の会計が赤字になったと抗議をしに来て、
苦沙弥が鼻毛を抜きながらそれを聞いている、とか。
また苦沙弥先生が奥さんに猫の頭をぶって鳴かせるように言い、
猫が鳴くと
「今鳴いた、にゃあという声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」
と聞く件り。
続けて奥さん(細君)に「おい」と呼びかけ、
奥さんが「はい」と答えると
「そのはいは感投詞か副詞かどっちだ」と聞く。
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか。これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。
だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
苦沙弥先生の変人ぶりと常識人の奥さん。
二人の対比で、奥さんの方に読者の共感を断然持たせる、という。
最も可笑しいやりとりの一つは先生が奥さんの禿を発見する件りだ。
苦沙弥先生が縁側で腹ばいになって寝そべって煙草を吸っている。
その横で奥さんが髷をほどいて髪を洗い、
洗い髪を乾かしながら縫物をしている。
奥さんは先生にお尻を向けていて、
苦沙弥は奥さんのお尻を眺めながら煙草の煙の行方を見ている。
観察している猫によると、
「主人は平気で細君の尻の所へ頬杖を突き、
細君は平気で主人の顔の先へ荘厳なる尻を据えたまでのことで・・・」
「ご両人は結婚後一ヵ年も立たぬ間に
礼儀作法などと窮屈を脱却せられた超然的夫婦である」
と講釈している。
その苦沙弥先生が煙の行方を追っているうち、
奥さんの洗い髪の頭頂部へ目を向けて、
奥さんの禿を発見してしまう。
「御前の頭にゃ大きな禿があるぜ、知ってるか」
「ええ」
と細君は依然として仕事の手を休めずに答える。
別段露見を恐れた様子もない。
超然たる模範細君である。
「嫁に来る時からあるのか、結婚後新たに出来たのか」
(ひどい聞き方💦)
「いつ出来たんだか覚えちゃいませんわ。
禿なんざどうだって宣いじゃありませんか」
と大に悟ったものである。
「どうだって宣いって、自分の頭じゃないか」
「自分の頭だからどうだって宣いんだわ」
と言ったが、さすがに少しは気になると見えて…(略)
「おや大分大きくなった事、こんなじゃないと思っていた」
「女は髷に結うと、ここが釣れますから誰でも禿るんですわ」
このあとのやり取りもとぼけていて可笑しいのだけれど、
万事この調子で苦沙弥と奥さんの珍妙なやり取りが続く。
それをそばで聞いている猫が講評をたれるのである。
漱石は落語が好きだったから、落語の影響も大いにある。
(クライマックスの寒月君がバイオリンを弾こうとするエピソードなど、
散々引っ張ってオチがそれ?という所などまんま落語だ)
漱石が「猫」を書いた時期は神経症が悪化していた時期で、
家族に暴力をふるったり、八つ当たりしたりと、
かなり危ない時期だったと記憶する。
が、それだのに、
書いている小説には奥さんをとてもかわいく描写しているのだ。
漱石の頭の中はどうなっていたのだろうと今さら思うが、
夫婦仲はそれほど悪くはなかったそうだ。
むしろ、(漱石の)病気が出ない時は仲が良かったと見える。
弟子たちの夫人像が偏っていたのかもしれない。
刷り込まれて漱石夫人=悪妻説をそのまま信じ込んでいると、
「猫」を読んだ時のギャップが大きいのかもしれない。
-----------------
文豪の死因をまとめた動画がYouTubeに上がっているので─↓
漱石も入っている
【日本の文豪】晩年・死因まとめ
偉人館
https://youtu.be/jWTWC6z5FLE?si=qwbtZETOGzl6j7Z1

昔の文豪は結核など、今なら治せる病気も
当時は治療方法が確立しておらず命を落とした不幸な人が多くいる。
だから早死にした人が多いのと、自死した人も多い…
文豪とは人には分からぬ葛藤を抱えているものか。。
(コメント欄も面白い)
漱石の最後の言葉「泣いていいんだよ」に感動する人も。
↓そして文豪のエピソードをまとめた動画
文豪たちのエピソードまとめ
新九郎
https://youtu.be/j1GhY1jjnh4?si=YeDy2nxn-RuMjKem

文豪とはいえクズなエピソードも沢山…とくに石川啄木のクズぶりに唖然…
コメント欄でもびっくりな人多数。
クズエピソードの中で宮沢賢治の聖人ぶりが一人目立ってキラキラしすぎてる…✨
でも太宰と芥川はいかにも持てそう。
漱石のエピソード、「月が綺麗ですね」は有名な話だ。
やっぱり漱石を読んでいると気持ちが潤うなあ…
「吾輩は猫」は冗長な部分がもちろんあって、
「虞美人草」的な装飾過多なところもあり、
ステレオタイプなキャラクターの描写もあるが、
やっぱり漱石が好き
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舌足らずな日本語が多くて、
てにをはが出鱈目だったり、誤字が多かったり、
省略が多すぎて意味が通らなかったり。
そもそも日本語として成り立っていなかったりして読みにくいことこの上ない。
とにかくネット上の素人の日本語は下手だ。
ネットの素人の文章ばかり読んでいるから、
自分の書く文章も下手くそになってしまった。
だからもっと正しいちゃんとした日本語を読まなければいけないと思い、
そこで本を読もうと思った。
本なら正しい日本語が書いてある。
自分を高めるためにも正しい日本語を読む必要がある。
本なら家に山ほどあるが…
一番手軽で大好きな漱石の「吾輩は猫である」を読もうと思った。
「吾輩は猫」なら3種類くらい家にあったはず。
しかしいくら探してみても出て来ない(>_<)。
全集の中に納められたものが何種類か持っていたはずなのに…
どこへ行ったものか。。
ひとつは明治村特装版の「猫」で、それは見つけたが、
フランス装なので読むのが面倒なのだ。
旧字・旧かななのでムード満点なのだが…。
面倒なのでそこで新たに本屋へ行ってわざわざ買うことにした。
改めて岩波文庫の「吾輩は猫である」を買ったのだった。
今さら売っているのかなと思ってたけれど、
ちゃんと本棚に置いてあって買うことが出来た。
上下2巻くらいかと思っていたが、一冊にまとめられていた。
吾輩は猫である (岩波文庫 緑10-1)
夏目 漱石
880円
老眼が進んで来て(>_<)、
文庫の小さな文字が読みにくくなってしまったので、
眼鏡型のルーペを持ち出して来て何とか読んでみる。
久しぶりに読んでみるとやはり面白い。
ランダムに開いた部分から読んでみるが、面白い。
とくに好きなのは主人公の苦沙弥先生と奥さんとのやり取りで、
とぼけた味わいがある。
漱石の奥さん・鏡子夫人は弟子たちから悪妻とみなされていて、
特に漱石を神のように崇めていた小宮豊隆によって、
より悪妻のイメージが定着していった。
ただ小宮だけでなく、もう一人の弟子・森田草平もよく思っていなかったし、
温厚な寺田寅彦でさえ夫人に辛辣だったと記憶している。
弟子たちにとっては漱石死後の鏡子夫人の振る舞いは、
首を傾げるものだったのだろう。
(莫大な遺産や印税が入り、金遣いが荒くなったなど)
ただ、「吾輩は猫」の奥さんは鏡子夫人をモデルにしていると思われるが、
「猫」における奥さんはとても可愛らしい。
可愛らしいキャラクターとして描かれているのだ。
明治時代の話だから、奥さんの話し言葉も明治で、
「御座んす」だとか、主人に対して丁寧語で喋っている。
「ジャムを御舐めになるものですから」だとか。
この丁寧な言葉遣いがまず上品で好印象である。
奥さんの口ぐせの「あらまあ」や「あらいやだ」、というのも可愛らしい。
そして主人の苦沙弥先生とのとんちんかんなやり取り。
苦沙弥の友人・迷亭と奥さんとのとぼけたやりとりも面白いが、
夫婦間の会話も笑える。
奥さんが苦沙弥先生に今月の会計が赤字になったと抗議をしに来て、
苦沙弥が鼻毛を抜きながらそれを聞いている、とか。
また苦沙弥先生が奥さんに猫の頭をぶって鳴かせるように言い、
猫が鳴くと
「今鳴いた、にゃあという声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」
と聞く件り。
続けて奥さん(細君)に「おい」と呼びかけ、
奥さんが「はい」と答えると
「そのはいは感投詞か副詞かどっちだ」と聞く。
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか。これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。
だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
苦沙弥先生の変人ぶりと常識人の奥さん。
二人の対比で、奥さんの方に読者の共感を断然持たせる、という。
最も可笑しいやりとりの一つは先生が奥さんの禿を発見する件りだ。
苦沙弥先生が縁側で腹ばいになって寝そべって煙草を吸っている。
その横で奥さんが髷をほどいて髪を洗い、
洗い髪を乾かしながら縫物をしている。
奥さんは先生にお尻を向けていて、
苦沙弥は奥さんのお尻を眺めながら煙草の煙の行方を見ている。
観察している猫によると、
「主人は平気で細君の尻の所へ頬杖を突き、
細君は平気で主人の顔の先へ荘厳なる尻を据えたまでのことで・・・」
「ご両人は結婚後一ヵ年も立たぬ間に
礼儀作法などと窮屈を脱却せられた超然的夫婦である」
と講釈している。
その苦沙弥先生が煙の行方を追っているうち、
奥さんの洗い髪の頭頂部へ目を向けて、
奥さんの禿を発見してしまう。
「御前の頭にゃ大きな禿があるぜ、知ってるか」
「ええ」
と細君は依然として仕事の手を休めずに答える。
別段露見を恐れた様子もない。
超然たる模範細君である。
「嫁に来る時からあるのか、結婚後新たに出来たのか」
(ひどい聞き方💦)
「いつ出来たんだか覚えちゃいませんわ。
禿なんざどうだって宣いじゃありませんか」
と大に悟ったものである。
「どうだって宣いって、自分の頭じゃないか」
「自分の頭だからどうだって宣いんだわ」
と言ったが、さすがに少しは気になると見えて…(略)
「おや大分大きくなった事、こんなじゃないと思っていた」
「女は髷に結うと、ここが釣れますから誰でも禿るんですわ」
このあとのやり取りもとぼけていて可笑しいのだけれど、
万事この調子で苦沙弥と奥さんの珍妙なやり取りが続く。
それをそばで聞いている猫が講評をたれるのである。
漱石は落語が好きだったから、落語の影響も大いにある。
(クライマックスの寒月君がバイオリンを弾こうとするエピソードなど、
散々引っ張ってオチがそれ?という所などまんま落語だ)
漱石が「猫」を書いた時期は神経症が悪化していた時期で、
家族に暴力をふるったり、八つ当たりしたりと、
かなり危ない時期だったと記憶する。
が、それだのに、
書いている小説には奥さんをとてもかわいく描写しているのだ。
漱石の頭の中はどうなっていたのだろうと今さら思うが、
夫婦仲はそれほど悪くはなかったそうだ。
むしろ、(漱石の)病気が出ない時は仲が良かったと見える。
弟子たちの夫人像が偏っていたのかもしれない。
刷り込まれて漱石夫人=悪妻説をそのまま信じ込んでいると、
「猫」を読んだ時のギャップが大きいのかもしれない。
-----------------
文豪の死因をまとめた動画がYouTubeに上がっているので─↓
漱石も入っている
【日本の文豪】晩年・死因まとめ
偉人館
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昔の文豪は結核など、今なら治せる病気も
当時は治療方法が確立しておらず命を落とした不幸な人が多くいる。
だから早死にした人が多いのと、自死した人も多い…
文豪とは人には分からぬ葛藤を抱えているものか。。
(コメント欄も面白い)
漱石の最後の言葉「泣いていいんだよ」に感動する人も。
↓そして文豪のエピソードをまとめた動画
文豪たちのエピソードまとめ
新九郎
https://youtu.be/j1GhY1jjnh4?si=YeDy2nxn-RuMjKem
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文豪とはいえクズなエピソードも沢山…とくに石川啄木のクズぶりに唖然…
コメント欄でもびっくりな人多数。
クズエピソードの中で宮沢賢治の聖人ぶりが一人目立ってキラキラしすぎてる…✨
でも太宰と芥川はいかにも持てそう。
漱石のエピソード、「月が綺麗ですね」は有名な話だ。
やっぱり漱石を読んでいると気持ちが潤うなあ…
「吾輩は猫」は冗長な部分がもちろんあって、
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ステレオタイプなキャラクターの描写もあるが、
やっぱり漱石が好き
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