伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

東本願寺 鐘楼

2024年10月29日 | 京都の社寺と文化財

以前東本願寺へ行った時には境内の南側に位置する鐘楼は、
修復中でクレーンが見えていたが、修復がすべて完了したようで、
現在はクレーンも覆いも取り払われ、完成した姿が境内に佇んでいた。







東本願寺の鐘楼は境内の南に位置する阿弥陀堂の前、
その端っこにある。
阿弥陀堂門の南横くらい?






この鐘楼も重要文化財に指定されている。
東本願寺の鐘が鳴るのはあまり聞いたことがないが、
たまに鳴ることはあるらしい。


今回の鐘楼修復では屋根も葺き替えたようだ。
真新しく明るい茶色の屋根が現れた。
入母屋造りで檜皮葺きだそうだ。
金箔も貼り直しただろう。

創建当初は伏見城から移築され、
1858年、安政の大火により焼失、
1894年(明治27年)門徒の寄付により再建されたという。
(京都新聞より)

↓(会員登録が必要)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1350906
京都市下京区の東本願寺で重要文化財の鐘楼修理が完了 
秋晴れの空の下、響き渡った鐘の音
2024年10月12日 17:15
三皷慎太郎





お東にあったもともとの鐘楼が伏見城のものだったのは知らなかった。
が、現在のものは、
明治時代に堂宇が再建されたのと同時に再建されたものだろう。
それでも明治の重文建築で130年を経て損傷が目立ったと見える。


お買い物広場のそばには慶長年間に作られた撞鐘(つきがね)が置かれている。
かつてはこの鐘が鐘楼に吊り下げられ、鳴らされていたのだろう。



お東の境内は広いのでいつもどこかしらで修復作業が行われている。
それも再建から100年以上が経ち、修理が必要だからだろう。

巨大な御影堂とその南に位置する阿弥陀堂は修復が完了している。




手前が阿弥陀堂で向こう側に御影堂が見える。
二つは廊下で繋がっていて、
どちらも巨大な木造建築で重要文化財に指定されている。
本山の境内に入るたび大きなスケールにビビる((´∀`))


鐘楼のすぐ近くの出口(入り口)は阿弥陀堂門である。



阿弥陀堂門も重要文化財だ。
これも最近修復が完了したばかりだ。
東本願寺は観光寺ではないが、堂宇は見ごたえのある建築が多い。



境内を阿弥陀堂門から出て、お堀端を歩くと、
またもやありがたいお言葉を書いた看板に遭遇する。


人生に正解なし
人生すべて無駄なし

無駄ばかりの人生を送って来たなと思っていた私でも、
無駄ではないのだろうか。
考えさせられる言葉だった…。






美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


東本願寺・菊の御門

2024年10月01日 | 京都の社寺と文化財

東本願寺の中央の門は御影堂門(ごえいどうもん)と呼ぶが、
その北側にある門は菊の御門と呼ばれている。
親から聞いた話によると、
いつの頃か天皇が来る時だけ、この門から入るため、
皇室の菊の家紋を扉につけたのだという。
両親の話だから正確ではないかもしれないが。







この菊の御門はまったく開かれることがなく、
いつも閉じられたままだから、信憑性はありそうだ。
今のところ、
皇室や天皇が東本願寺を訪ねたという話は聞かないので、
だから門が閉じられたままという見方も出来る。

東本願寺と皇室に関係があるのかどうなのかは分からないが。。
ただ東本願寺の飛び地境内地である庭園・渉成園には、
明治天皇行幸の地という石碑が建てられているので、
あながち無関係ではないかもしれない。





この菊の御門は長い間、高い木製の塀が門の前に設置されていて、
それが邪魔をして菊の紋章が良く見えない状態だった。
が最近、菊の御門の修復が始まったらしく、
門の全貌が見渡せるようになった。
この機会にと写真に撮ることにした。

御門がいつ頃建てられたのかは知らないが、
本堂が再建された明治時代よりは下るのかもしれない。
(推測です)


菊の御門は閉じられているので、中央の御影堂門から、
本山の中へ入ることにする。
ついでに本山を見学。


御影堂門はものすごく巨大なので近くからだと全体を写せない。
最近は外国人観光客がとても多いので、
このお東にも沢山の外国人が。。


東本願寺では能登半島地震への義援金も募っている。
能登は豪雨被害でまたも地域によって停電や断水が起きている。
まだまだ寄付は必要だ。


巨大な御影堂門の下を通ると目の前に
これも巨大な御影堂(ごえいどう)がある。



巨大すぎて全体を写せない。
明治時代の再建だが、近年、重要文化財に指定された。
(御影堂門も)


これほど巨大な木造建築もあまりないのでは。
近年、修復が終わり、新しい姿に蘇った。




御影堂の南側に阿弥陀堂がある。
西本願寺とは、位置が逆である。
(お西は阿弥陀堂が北にあり、御影堂は南側にある)

阿弥陀堂は御影堂より少し小さめで同じく重要文化財だ。
こちらも近年修復された。


御影堂と阿弥陀堂は廊下で繋がっており、
靴を脱いだまま歩いて阿弥陀堂へ行ける。




そして、渡り廊下の一角に毛綱(けづな)がガラスケースに納められ、
公開されている。

ガラスが邪魔して良く見えないが、
髪の毛を編んで作った綱である。


毛綱とは何か。

幕末の禁門の変により、
京都の町はどんど焼けで多くが火災の被害を受けた。
東本願寺にも延焼し、本堂を始め阿弥陀堂など多くが焼失した。

明治に入り、お東再建の動きがあり、全国の門徒が協力した。



木材を運ぶために船で川下りをし、橇(そり)を運搬に用いた。
その際、綱を用いたが、より強度のある綱が必要だった。
そこで、全国の門徒の女性の髪の毛と麻とをより合わせて、
編まれた綱が毛綱であった。
門徒の女性たちが自身の髪を切って提供したのである。
少しでも本山の力になりたいという思いからであろう。
全国各地から53本もの毛綱が寄進されたという。

最も大きいものは長さ110㎝、太さ40㎝、重さは何と約1tにも及ぶという。
(本山の説明文より)


それの本物が御影堂と阿弥陀堂の渡り廊下に展示されているのである。
明治の再建の苦労をしのぶためである。
東本願寺にも様々な歴史があることを考えさせる展示だった。


阿弥陀堂の前から修復中の鐘楼が見える。
これも重要文化財で、この前まで膜で覆われていたが、
屋根の葺き替えが終わったようで真新しい屋根が見えた。



東本願寺の境内は広いので、本堂や阿弥陀堂の修復が終わっても
どこかしらで修復作業が行われている。
現在は手水屋形という建造物がテントに覆われていて修復中。
これも重要文化財だとは知らなかった。
龍の口から水が出ていて手を洗い清める所である。




阿弥陀堂の南には京都タワー(ニデック京都タワー)が良く見えた。



そういうわけで、
菊の御門を見に行ったついでに本山内部も見学した。
浄土真宗は拝観料を取らないので無料で入れる。
西本願寺は国宝だが、そこも無料で入れる。
真宗はお参りする場所であるから無料なのだ。


双方とも本堂はがらんとしていて、見どころはないのだが、
建物自体が国宝だったり重要文化財だったりする。
東本願寺の御影堂は世界でも類を見ないような巨大木造建築だ。
建築を見るだけでも建築オタなら見応えがある。


お東の東側周りに巡らされているお堀の北側には、
多分鷺だと思う鳥が常にいる。
2匹いて、時おり鳴き声も聞こえる。
お堀に常駐しているようだ。



お堀端にはありがたいお言葉を書いた看板も等間隔に設置してある。
「人は出会いによって育てられ
人生は別れによって深められる」


しかし、割とネガティブな言葉も多く、
「人間の欲望は
品切れすることはありません」とか、

「物事をありのままに
引き受けられない私」だの、

「自分の思いを叶えるために
神も仏も利用する私」だとか。




これは教訓にせよという意味なのだろうか。
我が身を振り返れということなのだろうか。
ネガティブというよりまるで脅し(◎_◎;)
もう少し明るくて希望の持てる言葉を選べなかったのだろうか、
と、お堀端を歩きながら考えたのであった。







美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


京都文化博物館・別館内部

2024年01月12日 | 京都の社寺と文化財


気持ちが浮ついているので、少し落ち着こう---。


京都文化博物館・別館の内部は以前も写真に撮ったし、それをブログに書いた。
けれどもとても好きな場所なので何度でも書くのだ。
というより文化博物館へ行くたびに写真を撮っている気がする…。
それくらい好きだからだ。

京都文化博物館・別館はもともと明治39年(19006年)、
旧日本銀行京都支店として建てられた。
設計は東京駅や日本銀行などの設計で有名な
辰野金吾とその弟子・長野宇平治である。
1969年に重要文化財に指定された。

1965年まで銀行として使用され、68年には平安博物館として開館した。
平安博物館(私立)は主に資料的な博物館として研究に用いられていた。
1988年に京都府京都文化博物館として新たに出発した。
2011年にリニューアル改修工事が行われ、
旧日本銀行京都支店の建物は文化博物館の別館として位置づけられた。
現在はイベントなどで使用され、
イベントがない時は解放され、自由に写真を撮っても良い。



京都文化博物館 公式サイト
https://www.bunpaku.or.jp/

別館ホール
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_gallery_hall/exhi_hall/

別館について
https://www.bunpaku.or.jp/about_us/bekkan_outline/

日本の近代建築の祖ともいうべき辰野金吾とその弟子・長野宇平治が設計し、
明治39年(1906)に竣工した日本銀行京都支店の建物です。
明治を代表する洋風建築として昭和44年(1969)に
国の重要文化財に指定されました。
三条通を中心とする「界わい景観整備地区」における
景観重要建築物のひとつとして保存公開しています。



別館は重要文化財なのに自由に出入り出来て、写真も撮れ、
市民に開放されているところがとても好きだ。
重文の建築を気軽に、間近で見られる所がいいのだ。



何度も写真に撮ってるが、とてもフォトジェニックな内部だと思う。

外観は煉瓦づくりで白のラインが美しく、辰野様式らしくて
重厚感があるとともに味わいがある。


内部はこげ茶色の柱や窓口、そして白の壁とのコントラストが
とても美しい。
あまりにも美しいのでいつも訪問するたびにため息が出るほどだ。



かつて銀行だった部分がそのまま活かされ、
客と対応する窓口もそのまま残されている。
アールヌーヴォー風の意匠が美しい。



白い壁にも美しい装飾が施され、柱はギリシャ風のデコレーションがされている。




天井のデザインも凝っていて、
木製の茶色の格天井と四角い天井窓が組み合わさっていて、
シャンデリアがぶら下がっている。
シャンデリアはいつも鈍い光を放っていて、薄暗い場内に存在感を見せている。




博物館内には博物館全体の模型が置かれていて、
建物の全貌を知ることが出来る。

三条通りに面した別館の後ろに本館がある。
別館はイベントが主なのに対し、
本館でいろいろな特集展示の展覧会が行われている。
また本館にはフィルムシアターが併設され、
席数は100と少しくらいだが、意欲的な映画を公開している。
文化施設として意義のある活動をしていると言える。




別館と本館を繋ぐ中庭には府のマスコットキャラクター、
まゆまろがいる。


このように美しい文化博物館・別館の内部が、
美しく保存されているなといつも思っていたが、
実は老朽化が進み、壁にひび割れや漏電などもあるそうだ。
一見、美しく見える白壁も、かなり傷んでいるのだという。

そういえば京都国立博物館の本館も長い間公開されないままである。
以前は本館で特集展示が普通に開催されていたのに。





それがメンテナンスのため非公開となり、
展覧会は平成知新館でのみ行われるようになって久しい。
それくらい本館は痛みが激しいのだろう。
いつになっても改修工事が完了したという告知がない。
ほったらかしというわけではないと思うが、
それだけ改修・保存が困難なのだろう。



文化博物館も京博も文化財であり、
文化財を守る努力はされていると思うが、
明治期の古い建築を保存・活用し、
維持管理してゆくのはそれほど難しいのだろう。
重文に指定されているのに、そしてだからこれら美しい建物を、
何とか後世へと残し、伝えてゆけないものだろうか。
維持管理する技術が進めばいいが・・・。



美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


平等寺(因幡堂)特別公開

2023年10月19日 | 京都の社寺と文化財
因幡堂(因幡薬師)の名前で知られている、
京都市下京区にある平等寺で普段非公開の本尊(薬師如来)が
特別公開されているのをテレビのニュースで知った。
歩いて行ける場所なので行って来た。


住所は 京都市下京区不明門通(あけずどおり)松原上ル
因幡堂・因幡薬師
京都十二薬師霊場各札所寺院、特別公開
10月7日~10月22日



いつもは烏丸通を五条通りから四条通へ右側を歩いていると、
「因幡薬師」の灯籠が見え、そこが因幡堂だと分かる。
不明門通の突き当りにある。


薬師如来とは左手に薬壺を持ち、
病気を治す仏様として尊崇されている。
因幡薬師として知られている平等寺のご本尊も、
病封じの仏さまとして信仰を集めているようだ。



本堂は何度か火災に合い、そのたび再建された。
特に幕末の蛤御門の変の時のどんど焼けでは堂宇ほとんどが焼失し、
現在のものは明治19年に再建されたものだという。
建立されたのは平安時代にさかのぼるらしい。
(西暦1003年だとか)
京都十二薬師霊場のひとつという。



今はひっそりとしていてとても小さなお寺だが、
建立された時はかなりの規模だったようだ。



ホームページ
https://inabado.jp/

現在は真言宗のお寺で、智山派智積院に属するという。
だから本尊は薬師如来なのだ。

今回、特別公開されたのは、
寺の境内の片隅に建てられた小さな収蔵庫のような所の内部だ。
境内からしてとても狭いが、本堂や収蔵庫も狭い。



その小さな収蔵庫の中に本尊の重要文化財である薬師如来立像があった。
本堂にはお前立が置かれてあり、
文化財の本尊は別に保存されているという、よくある形であった。

残念ながら収蔵庫内部の仏像は撮影禁止だった。
(古い文化財なので当然なのだが)



収蔵庫に保管されていたのは↓

本尊 薬師如来立像(重要文化財)平安時代
桜の木の一木造

脇侍 
如意輪観音坐像(鎌倉時代)重要文化財
釈迦如来立像(鎌倉時代)重要文化財

弘法大師像




本尊の薬師如来像は平安時代の創建当初のもので、
本堂は幾度も火災に合いながら本尊は守られたという。
一木造りだけあって、どっしりした造りで堂々としていて貫禄があった。
経年で黒ずんでいたのが歴史を感じさせた。
(画像はホームページより)


脇侍は如意輪観音と釈迦如来像という珍しい取り合わせだった。
そしてその左横に真言宗らしく、弘法大師の坐像があった。

もうひとつ、毛髪を編み込んだ経典?のタペストリーのようなものがあった。
ガラスケースの中に保存されていたが、
説明によると日本の文化財の中で似たようなものが見つからないので、
重文などの文化財指定が出来ないそうだ。
端っこを見たら、確かに編まれた黒い髪の毛が何本も無数に飛び出ていた。
何百年も前の髪の毛に情念を感じるのだった




洛陽三十三観音第二十七番霊場でもあるらしく、
こちらの観音堂には十一面観音が祀られているという。
(中までは見られなかった)




今は町の中の小さなお寺になってしまっているが、
古い時代から因幡薬師として篤く信仰されて来た
その片鱗が伺えるご本尊の公開だった。



狭い境内の中には新しい馬頭観音像(好き)もあったので写して来た。



美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


智積院の長谷川等伯

2023年05月16日 | 京都の社寺と文化財
NHK総合の「歴史探偵」という番組で、
京都・智積院が所蔵する長谷川等伯の障壁画について放送された。



「松に秋草図」(一部)


智積院(ちしゃくいん)の障壁画の一部が欠損しているのは
知っていたが、切り貼りされ再構築されていたまでは知らなかった。
番組はCG?でそれの復元を試みたものだった。


長谷川等伯 幻の障壁画 – 歴史探偵 – NHK
https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/L1MRMZ647K/
京都・智積院の国宝障壁画。
戦国の絵師・長谷川等伯の傑作だ。
現代へと伝わる中で切り貼りされて姿を変えた国宝。
現代の技術と研究成果を手がかりに復元される姿とは!?



[歴史探偵] 秀吉感激!!
長谷川等伯 一世一代の大仕事をCG復元 |
NHK
https://youtu.be/dMvBo67Jjl0



智積院というお寺は三十三間堂や京都国立博物館の近くにあり、
東山七条にある。
うちからはわりと近い。(市バスで4駅くらい)
いつか行きたい、そしていつかはあそこの等伯の障壁画を見たい、
と思いつつなかなか行く機会がなかった。
近いからよけいにいつでも行けると思って行かなかったこともあるかも…。

NHKが取り上げたこの機会に行ってみようと思い立ち、
とうとう行くことにした。


智積院ホームページ
https://chisan.or.jp/


智積院とはどんな寺院なのかと思っていたら真言宗のお寺だった。
「真言宗智山派 総本山智積院」というらしい。

宗祖が弘法大師だが東寺とはまた別の宗派らしい…
真言宗については全然分からない(>_<)。。




ただ入ってすぐのところに金堂があり、密教寺院らしかった。
が、見たいのは障壁画なので今回はそこには入らなかった。



明王殿という建物があり、
そこに密教らしく不動明王が本尊として祀られていたので
なるほどと納得した(内部の写真撮影は不可)。


「歴史探偵」を見ていたら、
豊臣秀吉が智積院に功績があったかのように思ったが、
実は現在地の東山七条に智積院があるのは、
徳川家康が中興の祖・玄侑(げんゆう)という僧正に
土地を寄進したからであった。
宝物館には家康の朱印状がいくつか展示されていたのも
そのつながりだからだろう。
秀吉は智積院というより、長谷川等伯に障壁画を描かせた、
秀吉が等伯を重用したのであった。




長谷川等伯といえば国宝「松林図屏風」(トーハク)が
もっとも有名かもしれない。
日本的な侘びさびの最高峰と言われていると思う。
でもあれは未完成だという話もある。下絵だという説もある。
自分も下絵説を支持しているが(←何様💦)、
水墨画としての筆さばきが見事である事には変わりなく、
単色でありながら空気感も感じさせる傑作であることにも変わりはない。


長谷川等伯は桃山時代を代表する画家であり、
「歴史探偵」で触れられていた通り、
能登の出身であり入洛して利休らと交流して人脈を広げ、
当時(いやずっと)主流であった狩野派絵師に実力で割って入り、
秀吉に認められ、
秀吉の子、早世した鶴松の菩提寺に障壁画を描くチャンスを得た。
その菩提寺が現在の智積院である。
智積院の障壁画は秀吉に認められた等伯の出世作であり、
代表作でもある。
桃山時代の華麗な画風と独自の個性が溢れ出ている。





智積院の境内はとにかく広く、名勝庭園(有料)や
あじさい園などがあるようだが、今回は宝物館のみ行って来た。
宝物館は真新しい建物でこの4月に開館したばかりだそうだ。
新しいからとてもきれいで立派な作りで、
外観を見ればかなり広そうに見えたが、展示品はあまり多くない。
(靴を脱いで裸足で入る)
料金は500円。




長谷川等伯とその一派による障壁画は6面で、常設展示されており、
それが宝物館のほとんどを占める。
すべて国宝でそれだけで壮観だった。





展示はまず家康の朱印状から始まって
密教寺院らしい曼荼羅図(両界曼荼羅、金剛界曼荼羅図)の
2面が展示されている特別展示室と、
そして国宝の障壁画が展示されている壁画展示室があった。
奥には再現展示室がある。

「昭和43年(1968年)まで障壁画が収められていた
大書院の上段の間が再現されており、
障壁画が本来どのような形で収められていたかも分かります。」

ということだそうだ。
(美術展ナビより)
https://artexhibition.jp/topics/news/20230510-AEJ1374147/

NHK「歴史探偵」で取り上げられていたのはこの再現展示室で、
この再現展示室の展示からもとの襖絵をCGで蘇らせる試みだった。


「歴史探偵」でも触れられていたように、
等伯(とその一派による)障壁画は火事による焼損や
盗難などを幾度も繰り返され、修正が加えられたりして、
切り貼りもされていたという。
展示されている障壁画も一部欠損している部分があった。
また展示の説明では現在よりもっと大きなものだったらしいし、
もとはすべて襖絵だったものを壁画のように仕立て直したものということだ。
大きさが揃っていないのもそのせいだろう。

それでも暗い照明の中、浮かび上がる障壁画は迫力があり、
細部まで見入ってしまった。

展示されているのは
「桜図」「楓図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」「雪松図」
そして復元された「松に立葵図」という6作品である。



始めに展示されている「桜図」は等伯の息子・久蔵によるものとされている。
桜の描写に胡粉が使われ、立体的に浮き出ていて、レリーフのようだ。
この時代にこのような画法があったのかと驚くとともに、
派手好きの秀吉好みの華麗な作品でもあった。



「楓図」は等伯作とされる。
楓の大きな木だけでなく絵の下部には秋の花が描かれており、
それが画面を効果的に彩っていて美しい。
図版では何度も見たことがあったので、
実物をやっと見られて何とも感激した。
図版で見ていた時は、楓の木の左側に少し見えている川(?)、
或いは水(?)のようなものが気になっていた。
それが絵のアクセントになっているのは見て取れた。

実物を見ると、雲の合間に川の流れが少し見えている、
というような描写だった。
川の水の蒼い色が図版より鮮明で美しかった。
絵を見るという快楽を改めて感じ取れた。


「歴史探偵」ではこの絵と狩野永徳の国宝「檜図屏風」を比べて
永徳を何となくdisっていたが、
永徳の大胆さはそれはそれで迫力があるのに…。
等伯の「楓図」は木だけを描くのではなく、草花も散らされていて
より華麗で装飾的である。
狩野派に負けじと独自の個性を追求したのだろう。
桃山時代ならではの華麗さが心地よかった。




「松に秋草図」
これも松だけを描くのではなく、
金地の画面全体に秋の草花が華麗に描かれ画面を彩っている。
松の木や岩の描写は様式的で狩野派に学んだもののようだが、
それだけに留まらない桃山時代ならではの華やかな作品だった。





智積院の境内は広々としていて、行ってみて初めてその広さを知って実感した。
境内そのものは無料で、庭のような所に石が置かれていたりして
木々も茂っていてよい環境だ。
ただ建物(講堂?)に入る時には料金がいる。




七条にあるので観光客にはあまり知られていないが、
等伯の障壁画を見るだけでも見応えがある。
すべて国宝で常設展示されているし、
そして庭園を見なかったのでまた行きたい、
次回に行く時はゆっくり庭園を見てみたいと思った。




美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村