京セラ創業者の稲森和夫さんが亡くなられた。90歳。
京都新聞だけではなく、全国紙でも一面で報じられていた。
文科系なので経済や経営には詳しくはないが、
稲森さんの名前は有名なのでもちろん知っていた。
京都新聞で折にふれその名前をしょっちゅう目にしたので。
京都の名士であったので、とても残念な気持ちでいっぱいだ・・・。
京都新聞
https://twitter.com/kyoto_np/status/1564491463404453888
京セラを一代で世界的なメーカーに育て上げ、
経営手腕を発揮した。
それだけでなく、その経営哲学が人々を惹きつけた。
今では日本航空JALが経営破綻したということを、
覚えている人は少ないに違いない。
経営破綻した日航を再建したのも稲森さんだった。
稲森さんは鹿児島県の出身だった。
就職のため京都に出て来て、
以降、京都の発展のために尽くした人だった。
ただ、企業として儲ければいいという考えとは一線を画していた。
「利他の心」を貫いた人だった。
門川大作京都市長が
「世のため人のために尽くすことが
人間として最も尊いことであると教えてくれた」と惜しんだそうだが、
稲森さんの生涯はまさにその言葉通りのものだったと思う。
文系の人間として、稲森さんの最大の功績の一つとして、
私財を投じて稲森財団を設立し、京都賞を設けたことにある。
京都賞はのちにノーベル賞を受賞する、
本庶佑氏や山中伸弥氏も受賞している。
それがノーベル賞に繋がった。
京都賞は世界的なものになった。
京都賞は、科学だけでなく、芸術分野も設けている。
稲森さんの、
「科学だけでなく、文化、芸術も含めて
バランスよく発展しなければ、平和で幸福な社会は築けない」
という持論があったからだろう。
おかげで京都賞の芸術部門の受賞者を、
毎年楽しみにしていた。
稲森財団だけではなく、
故郷の鹿児島に寄付で稲森アカデミーを設立したというし、
京大にも寄付して施設を作ったという話も聞いた。
自分が儲けるだけではなく、
それを社会に還元することを常に考えていた。
そこが有名起業家、ユニクロ創業者やソフトバンクや、
ホリエモンたちとの違いだろう。
大きな声で声高に社会貢献しています、とは言わず、
いつの間にか、ごく自然にそういうことをしていて、
それが身についていた。
京都の起業家たちはそんな稲森さんに倣い、
社会貢献が普通のことになっていた。
どこかの化粧品メーカーが、
このような自然保護活動をしています、と宣伝し、
それをウリにして商品を売るのに違和感を覚えるのは、
普段、京都のメーカーのそのような姿勢を見て、
それが当たり前のことだと感じているからだ…。
利他の心で人に尽くす、という、
経営者としては破格の存在である稲森さんは、
だから多くの人の尊敬を集めた。
京都に対しても多く尽くしていただいた。
京都の名士と言える人がまた一人、亡くなった。
残念でならない。
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京都新聞だけではなく、全国紙でも一面で報じられていた。
文科系なので経済や経営には詳しくはないが、
稲森さんの名前は有名なのでもちろん知っていた。
京都新聞で折にふれその名前をしょっちゅう目にしたので。
京都の名士であったので、とても残念な気持ちでいっぱいだ・・・。
京都新聞
https://twitter.com/kyoto_np/status/1564491463404453888
京セラ創業者の稲盛和夫氏死去 | 京都新聞 https://t.co/uIj6LhwpTH
— 京都新聞 (@kyoto_np) August 30, 2022
京セラを一代で世界的なメーカーに育て上げ、
経営手腕を発揮した。
それだけでなく、その経営哲学が人々を惹きつけた。
今では日本航空JALが経営破綻したということを、
覚えている人は少ないに違いない。
経営破綻した日航を再建したのも稲森さんだった。
稲森さんは鹿児島県の出身だった。
就職のため京都に出て来て、
以降、京都の発展のために尽くした人だった。
ただ、企業として儲ければいいという考えとは一線を画していた。
「利他の心」を貫いた人だった。
門川大作京都市長が
「世のため人のために尽くすことが
人間として最も尊いことであると教えてくれた」と惜しんだそうだが、
稲森さんの生涯はまさにその言葉通りのものだったと思う。
文系の人間として、稲森さんの最大の功績の一つとして、
私財を投じて稲森財団を設立し、京都賞を設けたことにある。
京都賞はのちにノーベル賞を受賞する、
本庶佑氏や山中伸弥氏も受賞している。
それがノーベル賞に繋がった。
京都賞は世界的なものになった。
京都賞は、科学だけでなく、芸術分野も設けている。
稲森さんの、
「科学だけでなく、文化、芸術も含めて
バランスよく発展しなければ、平和で幸福な社会は築けない」
という持論があったからだろう。
おかげで京都賞の芸術部門の受賞者を、
毎年楽しみにしていた。
稲森財団だけではなく、
故郷の鹿児島に寄付で稲森アカデミーを設立したというし、
京大にも寄付して施設を作ったという話も聞いた。
自分が儲けるだけではなく、
それを社会に還元することを常に考えていた。
そこが有名起業家、ユニクロ創業者やソフトバンクや、
ホリエモンたちとの違いだろう。
大きな声で声高に社会貢献しています、とは言わず、
いつの間にか、ごく自然にそういうことをしていて、
それが身についていた。
京都の起業家たちはそんな稲森さんに倣い、
社会貢献が普通のことになっていた。
どこかの化粧品メーカーが、
このような自然保護活動をしています、と宣伝し、
それをウリにして商品を売るのに違和感を覚えるのは、
普段、京都のメーカーのそのような姿勢を見て、
それが当たり前のことだと感じているからだ…。
利他の心で人に尽くす、という、
経営者としては破格の存在である稲森さんは、
だから多くの人の尊敬を集めた。
京都に対しても多く尽くしていただいた。
京都の名士と言える人がまた一人、亡くなった。
残念でならない。
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