伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

晴明神社お守り&戻り橋の桜、セトリ

2025年04月05日 | 京都

京都・晴明神社へお守りをもらいに行って来た。
新発売?されたお守りはまるで羽生結弦「SEIMEI」そのもの(?)だ。
だから欲しくなり、速攻で行って買って来たのだ。






思ったよりかなり小さくて、6cmの大きさ。


晴明神社は堀川今出川あたりにあり、堀川通を通る市バスで行く。
途中二条城を通り過ぎ、一条戻り橋・晴明神社前という名のバス停で降りる。




堀川通に面して今は晴明神社の鳥居が立ってるが、
確か、ずっと以前は堀川通の鳥居はなかったはず。
夢枕獏の陰陽師の小説で晴明神社が有名になり、
堀川通り沿いに新たに鳥居を建てたのではないか、と推測している。

なぜなら堀川通を一筋西へ入った所にもうひとつ、鳥居があるからだ。
そこが晴明神社の入り口というか、
正式な鳥居というか、そこからが晴明神社の境内になってる。
要するに晴明神社には二つの鳥居があるのだ。
だから堀川通に面した鳥居は新しく出来たものだろう、と。





晴明神社には何度も行ってるがまたまた写真を撮って来た。
目的はお守りを買うためだけだったがそれではせっかく行ったのに…というわけで。。


神社でお馴染みの安倍晴明の像と五芒星の形をした晴明井。




改めて絵馬も撮った。
羽生結弦と野村萬斎の両方が映ってる写真を撮るためだ。



他に岡野玲子さん、夢枕獏、荒俣宏、京極夏彦、
映画「陰陽師」の監督滝田洋二郎や、
シェイリーン・ボーンの絵馬もある。



神社の境内には安倍晴明ゆかりの一条戻り橋の、
もとの戻り橋の石材を使って縮小して再現した一条戻り橋がある。
式神も隣にいる。




もとの本来の一条戻り橋は晴明神社の向かいの東側を少し下がった所にある。
平安時代からあったというが、現在も当時と同じ場所に、
新しく戻り橋が作られているのである。
一条戻り橋は安倍晴明が式神を置いていたとか、
源頼光の家来、渡辺綱の鬼退治伝説などで知られる。
そのため、晴明神社の境内でも縮小復元しているのだろう。




お守りの袋にも一条戻り橋の名が書かれているのも晴明の伝説のためだろう。


神社の近くにあるので本来の一条戻り橋へも行ってみた。
ちょうど桜が満開で、美しく咲いていた。



写真に撮っている人もいて、ちょっとした桜の穴場観光スポットのようだった。

戻り橋を横から見た感じ。








堀川沿いにも桜が植えられていて、
曇天だったので写真に撮ると発色がいまいちだが、現地で見るときれいだった。




お守り目当てだったが思わぬ桜見物が出来て嬉しくなった。

途中で二条城を通るので二条城も見たかったが、体がしんどいのと💦
観光客ではないのでまたの機会にすることにした。


---------------------------


野村萬斎のラジオで福袋
初回放送日:2025年4月7日
【ゲスト】羽生結弦 パート1
https://www.nhk.jp/p/mansai-fuku/rs/1K5J894M9V/episode/re/14651GWW5G/


4月7日(月) 午後8:05〜午後8:55

楽曲情報
【ゲスト】羽生結弦 パート1
楽曲一覧
Another Day Of Sun
Bamboo Flute Orchestra
(1分13秒)
<Sony Music Labels SECL-2349>
ダンスホール
Mrs.GREEN APPLE
(2分21秒)
ボレロ
パリ音楽院管弦楽団(管弦楽) 、アンドレ・クリュイタンス(指揮)
(14分30秒)
<ワーナーミュージックジャパン WPCS-23027>
希望のうた
MISIA
(5分15秒)


NHKラジオ
らじるらじる
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1K5J894M9V_01





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33年目の「見仏記」

2025年03月26日 | 京都



先日の3月3日、3時33分に京都の三十三間堂で、
いとうせいこうさんとみうらじゅんさんが、33年前の約束通り、
再会の約束を果たし、ニュースになっていた。

二人の邂逅に約2000人のファンが駆け付けたそうだ。
全然知らなかった(>_<)。
知ってたら行ったのに。。
どこかで告知はしていたようだが私のもとには届かなかったのだ。
残念でならない…


↓(会員登録が必要なので全部は読めないが)
京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1433016
京都市東山区の三十三間堂で2人が熱い抱擁 
みうらじゅんさん、いとうせいこうさんが33年後の「再会」

「33年後の3月3日、三十三間堂で会いましょう」。
イラストレーターみうらじゅんさんと作家いとうせいこうさんが3日、
京都市東山区の三十三間堂を訪れ、33年前の約束を果たした。
境内には多くのファンが集まり、2人を見守った。



art NIKKEI
https://art.nikkei.com/magazine/2459/
33年越しの約束が実現した日
―みうらじゅんさん・いとうせいこうさん特別インタビュー




FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/838037
みうらじゅん・いとうせいこう33年後の約束
「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂で会おう」
本に書いた言葉の通り再会
「また33年後に三十三間堂」新たな約束も



「見仏記」は角川文庫で持っていたが、
私の仏像鑑賞のバイブル?となっていた。
「仏友」と称する二人の共著で、楽しい仏像鑑賞記だった。
第8巻まで出ていたそうだが何巻まで持っていただろうか?
かなり読んだはずだが4巻くらいかもしれない。


その第1巻の最後に、
「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前で会いましょう。
そんなおかしな待ち合わせを、我々はしていたのだった」

といういとうさんの文章があったという。
その言葉通り、33年経って、約束通り三十三間堂で再会?を果たしたのだ。
イベントとなっていたようで、ファンがお堂に集まった。

33年─とは気の遠くなるような時間だと感じるが、
いつの間にか、あっという間に時は過ぎるようだ…




家に置いてある膨大な本の中から
「見仏記」の第1巻が比較的簡単に見つかった。
保存状態も私にしては(;^ω^)良好だ。
確かに33年後に─という文章が書いてあった。

続けて、
「32年後といえば、自分の年齢分の年月だった。
ちょうど、今の倍の時間を生きることになる。
それまでに我々はどんなものを見、どんなことを考え、
どんな風に変わっているだろう」

と。

33年経って、二人ともあまり変わっていないのが笑える。

みうらじゅんの言葉としていとうせいこうはこうも書いている。
「俺たちはボッロボロでも仏像はあんまり変わってないんだろうねえ」

この何気ない言葉に仏像の真髄があると思った。
そうだ、人間は年を取るが仏像はそのままの状態で何百年も生きて来た。
生きて来たというか、そこにあって人に大事にされて来た。
大事にされて来たから尊いのだと思う・・・。


「見仏記」はテレビ放送もされた。
カンテレ(フジ系列)で深夜にたまに放送されていたのだ。
昔、録画もしていたが最近までも放送されていたのは知らなかった。
以前、放送された「宇賀神」の回がホラーかと思うほどグロテスクで💦、
トラウマになってしまったからだが…




art NIKKEI

先日、この33年目の再会とその時の見仏の様子がカンテレで放送された。
その放送が「見仏記」の最終回だったようだ。
これは録画が出来た。相変わらず面白かった。

カンテレ
https://www.ktv.jp/kenbutsu/
2025年3月22日(土)深夜1:45~2:45
新TV見仏記・最終回


二人の「再会」はYouTubeで6分の動画も上がっていた。


三十三間堂で“33年後の待ち合わせ”果たす…みうらじゅん・いとうせいこう
「 三十三年後の三月三日、三時三十三分に“三十三間堂で会おう”」を実現 
カンテレNEWS
https://youtu.be/ny7E3OoqU1c?si=qzWOnjDjvcyZClGz





このニュース動画を見るとなぜか感動してしまった。
冗談みたいでも約束は果たされた。
33年という長い年月をかけて果たされたその年月が重みをもつからだろうか。
軽さが身上の二人がずっと軽いままで、相変わらず飄々としていて、
軽さを貫いていることが今の時代、とても貴重なことのように思えるからだろうか。







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「仁丹」の町名看板について

2025年02月18日 | 京都

仁丹の町名看板とは何か。
(京都の「何か」シリーズ最新版である(-_-;))

京都の町は戦災に遭わなかったので仁丹の町名表示板が残っているのだそうだ。


先の大戦─もちろん応仁の乱のことではない。
第二次大戦で京都は戦火を免れた。
町名看板は戦前には大阪や名古屋、東京など都市部にあったそうだが、
空襲で焼け落ち、残っているのは主に京都のみらしい。


仁丹とはもちろんあの仁丹、
薬?の仁丹のことで森下仁丹株式会社が発売するあの小さい黒い丸薬のこと。
その森下仁丹が広告を兼ね、町の角々に町名表示板を掲げたのが、
仁丹の町名看板だという。
カイゼル髭に大礼服を着込んだ紳士が描かれたその上に、
京都の通り名が書かれている。

今でも京都の町の所々に見ることが出来る。




京都には京都仁丹學會というのまであり、
仁丹看板を研究していて、書籍まで発行している。

京都仁丹樂會HP
https://jintan.kyo2.jp/

京都を歩けば「仁丹」にあたる 町名看板の迷宮案内
樺山聡
1,980円


そのサイトの説明によれば

「町名の表示がないため、来訪者や郵便配達人が
家を捜すのに苦労しているという当時の人々の悩みに応え、
1910年(明治43年)からは、
大礼服マークの入った町名看板を次々に掲げ始めた。
当初、大阪、東京、京都、名古屋といった都市からスタートした町名看板はやがて、
日本全国津々浦々にまで広がり、今日でも戦災に焼け残った街角では、
昔ながらの仁丹町名看板を見ることができる。
(森下仁丹歴史博物館・森下仁丹広告の歴史より引用)」


ということだ。↓
「仁丹町名表示板」とは
https://jintan.kyo2.jp/e316175.html


自分の家の近所にもいくつか町名看板を見かける。
早速写真に撮ることにした。




不明門通は「不明門」と書いて「あけず」と読む。
あけずどおりと読む。
京都の難読地名のひとつだ。


「下京区」の読みが右から左へとなっていて、
しかも区が「區」と、旧漢字で書かれている。
まさしく戦前のもののように思われるが、しかしなぜか劣化もあまりなく、
ホーロー製の看板はサビもなくつやつやしている。
保存状態がいいのだろうか。


昔は家の近所にも普通に見かけたが、
今ではかなり減って来て、劣化して読みにくくなったものは外されてしまうようだ。
また、家を建て替える時、
家の壁面に掲げてあった表示板をそのまま撤去するケースもあるようだ。
今では貴重な街角遺産になっているのかもしれない。



諏訪町通りにあった町名看板は劣化が激しいが、
よく見ると仁丹看板ではなくて、アリナミンの広告だった。
サビがついていてかなり劣化が激しくて書いてある文字も読みにくいほどのものも。

アリナミンだから仁丹看板より新しいように思うが、
仁丹看板はあまり劣化することなくつやつやなのは不思議だ。





若宮通という通りにいくつかの町名看板があったが仁丹看板ではなかった。
広告の部分が見えないほどかなり劣化が激しい。
仁丹看板のみがつやつやなのが本当に不思議だ…




古くなって劣化してしまった表示板は撤去され、
その代わり新しい町名表示板が設置されている。
最近よく見かけるライオンズクラブの表示板がそれだ。
恐らくライオンズクラブが出資して表示板を提供しているのだろう。



今ではこのライオンズクラブ表示板の方が多い。
現在、町のあちこちで見かけるのはこのライオンズクラブのもの。





仁丹であれライオンズクラブであれ、京都の町に表示板はなくならないようだ。

なぜなら京都の町が碁盤の目になっていて通り名が浸透しているのに比べ、
狭い範囲で細かく分かれている町は沢山ありすぎて浸透しておらず、
名だけでは分かりにくい。
碁盤の目のカドに表示板を置くことで分かりやすくするためだろう。




東西・南北に真っ直ぐ通っており、はるか向こうまで見通せる京都の道。
町名より通り名の方が一般的なのも、
町が碁盤の目になっていて遠くまで見通せる直線道路ばかりのためだ。




現在でも残っている仁丹表示板を町歩きの際に探すのもまた楽しいかもしれない。
町歩きの楽しみがまた一つ増えたようだ。





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京の冬の旅・東本願寺

2025年02月13日 | 京都

毎年、京都では観光のオフシーズンの冬に「京の冬の旅」を開催している。

尤も近年はいつ、どの時期でも外国人観光客がいっぱいで、
閑散期はないかのようではある。
京都駅の清水寺行きバス停はいつも大行列が出来ている。
さすがに2月、春節が終わると人の波も途絶えがちだが。




それでも「京の冬の旅」は今年も3月までやっている。
アイスショーですっかり忘れていたが
京都ブログで今年は東本願寺も冬の旅の中に含まれていることを知った。
近くだからすぐ行ける。





というわけで、非公開文化財特別公開・京の冬の旅、
東本願寺の「宮御殿・桜下亭」を見に行くことにした。
料金は800円。


東本願寺の正面、烏丸通に面した巨大な御影堂門をくぐる。




今回の京の冬の旅の舞台になっているのは、本堂・御影堂の北側だ。




本堂とは別に東本願寺の境内の北側に参拝接待所がある。
その北側の接待所の前に受付があり、
靴を脱いで入り、ギャラリーを通り廊下を歩いていくと、
矢印がしてあり、今回の特別公開の「宮御殿」(重要文化財)に行きつく。




写真撮影は部屋内は禁止で障壁画などは写せなかった。
廊下を渡って部屋へ入るので御殿の外観も見ることは出来なかった。
解説員がいて(本山の門徒の人かな?)説明してくれる。


宮御殿という名前からしてやんごとなき感があるが、
大宮御所を移築したものだという。
幕末・蛤御門の変の際の火災により東本願寺が焼失したあと、
再建された時に移築されたようだ。
東本願寺になぜ御所の建物が移築されているのか─
解説員の人に聞くと、東本願寺は天皇家との結びつきもあったらしい。
皇族の一人と外戚関係にあったという。

御殿の内部の襖絵は「大鷹狩図」などの宮中の行事を描いた襖絵がある。
やまと絵だったが暗くて良く見えなかった…
(撮影禁止)(写真は東本願寺HPより



ただ庭があり、そこは撮影可能で、立派な池泉式庭園を見ることが出来た。



池があり燈籠があり、本山にこんな庭があるのを始めて見た。
大きくはないが、観光寺院にも負けないよく手入れされた良い庭だった。




そこからまた廊下を歩いて「桜下亭」という建物に行く。
こちらも重要文化財の建物だという。
お東にこんな建物があるのは初めて知った。
初めて知るものばかりだ。


桜下亭も移築されたもので内部の襖絵はなんと、
円山応挙によるもので部屋ごとに松・竹・梅をそれぞれ描いていた。
(撮影禁止)
これも応挙が関東のお寺に描いたものを本山の東本願寺に移したのだという。



松はまだ若い稚松を描いた「稚松図」が珍しく、
梅は老梅図で伸びた枝がソリッドだった。
(写真は東本願寺HPよりhttps://www.higashihonganji.or.jp/news/notice/35208140/

壮年期は竹で、壮竹図という題名ですっくと伸びた竹が伸びやかだ。
(京の冬の旅パンフレットより)



東本願寺の非公開文化財特別公開はこの二部屋のみで、
これだけで800円は高いと思った(>_<)。
しかし、これまでお東にこのような建物があることをまったく知らなかったので、
珍しくはあった。
しかも庭まであり、襖絵は応挙である。
解説員の人に本物の応挙か?と尋ねたくらい、
まさか東本願寺に応挙があるとは思ってもみなかった。




東本願寺の本山はいろんな建築が移築されていて、
その結果、広い敷地に様々な建物が建てられていることも知った。
(能舞台もあるのだ)
(確か、Adoが紅白で歌っていたのが能舞台ではなかったかな?)


寺を出て正面にはおなじみの噴水がある。
今もちゃんと水が出ている。向こうに見える京都タワーと一緒に写した。




振り返ると巨大な御影堂門が見える。
いつ見ても巨大な門の威容はカッコよくてスケールの大きさに圧倒される。
見慣れた光景でもあり、この門を見ると気持ちが落ち着く。
木造建築はいいなあ・・・と、見るたびうっとりと見とれるのだ。
町の真ん中に大きく目立つ木造建築があるのは落ち着く。
だからお東さんがとても好きだ。







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今夜はナゾトレ・京扇子

2025年01月21日 | 京都
昨今、フジテレビが騒がしいが、それは置いておいて。



「今夜はナゾトレ」という番組は関西では放送されていない。
その時間帯はやすともの何とか、というのなど、
関西独自の番組を放送しているからだ。
ゴールデンだというのに関西は大阪放送局の力が強いのだ。
(ロザンの宇治原が出演しているのに放送はされない)

しかしたまに日曜日のお昼に関東で放送されたナゾトレを、
時差で放送している。
関西では日曜昼の時間帯はクイズ番組のネプリーグとかを、単発で放送してるのだ。


先日の日曜日は2024年の11月に関東で放送されたもの、
というテロップ付きで「今夜はナゾトレ」を放送していた。
新聞のテレビ欄を見ると京都特集だったので録画しておいて見た。
(出かける用事があるので録画した)


11月に関東で放送されたものだったから、
季節が紅葉の時期の京都特集で、まるで季節外れだったが。
(思わず横溝正史のきちがいじゃが仕方ない、というフレーズを思い出した)


他愛もないクイズ番組だと思ったが京都に関することはわりと正確だった。
外国人に人気のあるトップ30と題して
観光地の伏見稲荷や清水寺、嵐山などが登場するのは当然として、
お土産の阿闍梨餅だとか松風、漬物のすぐき、しば漬け、
いけず石に犬矢来などまでかなり細かいマイナーな部分まで紹介してた。

その番組の中で、京扇子について紹介しているパートがあった。
かなり詳しく扇子の製造工程も見せていて、これは、と思った。
これはうれしい。
製造過程がランダムであっち行ったりこっち行ったりしてたが…。


扇子の製造は完全分業制である。
私の父はその中でも扇子の「折り」を担当していた。



番組の中で京扇子は京都周辺で作られている、と言っていたが、
扇子の骨は滋賀県で作られているのだ。
骨を作る(扇子用に加工する)職人と絵付け職人、
折り職人はそれぞれまったく別の工程としてそれだけに専念する。
そして問屋さんが職人の間を行き来してすべてを統合する。
最終工程は「つけ」で骨と扇面をドッキングさせる仕事だ。
問屋さんが自らすることもある。

ナゾトレの番組の中では扇子を折ったあと絵を描く場面が出て来たりと、
編集がいまいちだったが、
それでも扇子の折り過程をかなりの尺で見せてくれた。
平口(ひらぐち)を開ける場面まで出て来て、なつかしくなりうれしかった。






京扇子の特徴も説明していた。
江戸扇子より(江戸扇子というのがあるのを初めて知った)
間数(けんすう)が多い、ということだったが、
普通のあおぐ扇子の場合、京扇子は35間(けん)である。
かなり詳しく取り上げてくれて感動だ。



そして閉じる時、ぱちんと音がするのが良い扇子。
そのためには扇子の上部に行くにしたがって両端がカーブを描いて、
上部が締まった形になっていなくてはならない。
そうすることによって扇子を閉じる時にぱちんと音がして閉まるのだ。

カーブを描いてきれいな形で閉じていることで扇子が長持ちする。
扇子の型くずれがなく、何年も同じ形で使えるのである。





扇子の上部が開いたままになっているとすぐに駄目になる。
よく100円ショップなどで売っていた中国製の安物の扇子は、
上部にしまりがなくだらしない形である。すぐに型崩れするだろう。
あんなものは扇子ではなくて扇子もどきである。
中国製の安物が出てきたせいで扇子職人の仕事が減ったそうだ。
だから中国が大嫌いなのだ。





絹製の扇子・絹扇(きぬせん)はしかし上部が開いたままだ。
絹は布なので、形が定まらないから紙のように閉まらないのだ。
長持ちもしなくてすぐへたるが、紙扇より装飾的で映えるので作られていた。
ただ扇子を閉めた時の上部を見るとぶさいくではある。
この形が中国製と同じと言っていいだろう。


中国の安物ばかりがはびこって日本製の美しい扇子が使われなくなって来たのは、
残念なことである。
その前に最近では携帯用ファンが流行っているが。


ナゾトレでは親骨のカーブをつける工程を丁寧に取材していて、
しなるようにすることでピシッと音のする閉まり方が出来ること、
それによって長持ちすることを紹介していて、とてもよい内容だった。
こんなに京扇子について詳しくテレビが取り上げるのは久しぶりだったので、
うれしくなったのだった。




しかしナゾトレの最後にいきなり東京に話が移ったのには腑に落ちなかったが。
なぜ❓





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