(一関図書館の蔵書です。ただで借りられるのは、これ以上のことはありません。単行本は、比較的新しい本です。古い本は、文庫本が多少、残念ですが)
両方とも短いです。「クリーム」のほうが自分には、しっくり来た感じがします。理由の一つが、読んだ本のかなり多く(あるはすべて)、女性と一夜をともにしていましたが、クリームでは違いました。その代わり、理解不能の定義が出てきます。「複数の中心を持つ、外周のない円」というものです。自分の知っている幾何学的知識では、ありえない、頭に描けない図形です。なので、なにかに例えていると理解するしかないですね。
複数の中心を持つ、とはどういうことか?自分的な解釈では、多くの人がいる、その人なりの価値観ではないか?外周を持たない円とは、なにか?多くの人がいる中で、その人なりの幸福感ではないか?もしかしたら(自分の円)、子孫の継続かも。多くの生物は、一年で生命が終わるものもいます。例えば、昆虫類など。鮭などは、3年から4年で生まれ故郷の川に帰ってきますが、自らの命に変えて子孫を残します。その他、人間以外の生物が、生き残る以外の活動をしているようにも思えません。本の中で作者(不思議な老人)は言います。「クレム・ド・ラ・クレム」フランス語で、人生の中で、いちばん重要なエッセンス、それ以外はどうでもいいことと。
言い訳で言えば、自分には3人の子供がいて、今、5人の孫がいます。昨年の暮に、次男に、女の子ができました。なので5人です。それ以外の、自分の健康が少し悪くて、仕事ができないとか、雪かきや春からの草刈りの心配、お金があまりないとか、そんなことはどうでもいいこと。とこじつけてみました。
「石まくらに」の方は、主人公は19歳、彼女は4歳か5歳上、彼女がアルバイト先を辞めると言うので、簡単な送別会をします。帰りの電車が一緒で、彼女がいきなり別れ際に、今晩泊めてくれない、と言います。一夜をともにして、その彼女が短歌を作っていることを知ります。別れ際に、主人公は、住所と名前を伝えます。主人公は、その女性が自作の本を送ってくるとも思ってなかったのですが、一週間後に送られてきます。42首ほどの短歌が書かれてました。主人公は、そのうちの8首ほどが気に入ったようです。最後に書かれているのが、下です。
たち切るも/ たち切られるも/ 石のまくら
うなじつければ/ ほら、塵となる
作者は何を言いたいのですかね?人間は生きているのでいつかは死にます。その間に作った、例えば、彼女の作った短歌、活字になってます。本人が忘れていても、読んだ人の記憶に残る、ことはある得る。ということですか?