※当ブログのコンセプトとは異なりますが、昨日と本日だけ自分のこと書かせていただきます。書くことでストレス発散になりそうなので…あしからず
自宅から最寄りではないが、通勤でいつも使っている駅近くにあるコンビニの「サンクス」が5月下旬「ファミリーマート」になった。
【2017年3月28日撮影「サンクス」】
【2017年5月24日撮影「ファミリーマート」】
サンクスの運営会社・(株)サークルKサンクスはファミリーマートに吸収合併されて解散。サークルKとサンクスの店舗を順次ファミリーマートに切り替えが行われ、見慣れた風景だった駅前のサンクスはファミリーマートになった。
昔は銀行の合併のニュースををみても「あぁ~そうなんだなぁ~」ぐらいしか、感じなかった。2004年に発覚したオリックスによる大阪近鉄の吸収合併問題においても、合併は断固反対の立場で微力ながら署名活動に参加したが、両球団の合併に伴い新球団を創立するという話を聞いてから合併反対の立場から急にトーンダウンした。所詮、他人事だったのかもしれない。
しかし、今回のサンクスがファミリーマートに吸収合併されたことは他人事には思えなかった。なぜなら、自分も2014年1月、長年勤めていた会社(A社:下記参照)の吸収合併が発表され、同年4月に消滅…、人生が吸収合併により大きく狂ってしまった体験をしたからだ。
吸収合併され会社(A社)は消滅したが、一応吸収合併先の会社(B社:下記参照)に再雇用される形で失業は免れた。業務内容は変わらなかったが、やり方・ルールはB社仕様になり全て変わり、今までのやり方は一切NGになった。顧客から当然クレームが来る。顧客離れが起こる。顧客離れが起こり売り上げが落ちる。
その結果、吸収合併先(B社)のお偉いさんから叱責される。僕を含め消滅会社(A社)の中核を担っていた社員は執拗に罵倒され、吊るし上げられた。さらに、かっての共産主義国家(ソヴィエトや中国共産党)によく見られた「自己批判」を延々と強要された。営業会議はこの「吊し上げ」と「自己批判」がエンドレスに続いた。
※これはあくまでも「吊し上げ」と「自己批判」のイメージ(実際は文化大革命の映像だそうです)
A社の中核を担っていた社員たちは長年業務に従事していたから、トンチンカンな吸収合併先(B社)のやり方には異を唱えてた。だから、彼ら(B社)にとって命令通り動かない僕達は厄介者だった。自主退職させるために、様々な嫌がらせが続いた。僕の元上司は窓際族に追い込まれ早々に自主退職したが、僕は給与が現状維持なら家族のために我慢しようと決めていた。
様々なパワハラ、モラハラに耐えてきたが…吸収合併されてから1年後、突然、給与が約30%ダウンになった…。どんなに頑張ってもA社出身社員の人事評価は「最低レベル」に固定されたからだ。なにか糸がプチーンと切れた。
すぐに転職活動をした。幸いにも数社から内定をいただき、2015年9月に全くの別業種ではあるが、給与も吸収合併前(A社)の水準を保証してくれた会社(C社:下記参照)に転職できた。
でも、転職できたから解決というわけにはいかなかった。転職先(C社)には僕の居場所がなかった。所属する課がない、上司もいない。仕事もない。なぜ採用されたのか当時はさっぱり分からなかった。最初は「仕事をください」と他の課へ社内就職活動をしたが、怪訝な顔をされ、追い払われるだけ…。仕事もできない40歳直前のおっさんは社内の除け者になり、誰かに話しかけることも億劫になり、孤立した。そして、出社してからデスクに座り、時間がすぎるのをただ待つだけの日々が始まった。僕はC社に転職した瞬間から社内失業者になってしまった。業務時間中に仕事をするふりをして座っているだけ、仕事をしてないので(する仕事がないのだが)、蔑んで見られているように感じる他の社員の視線…転職した事を後悔した。
何故、社内失業に陥ったか?それは募集人員1名の枠に僕が採用されたが、後からコネでもう1名押し込んだため、僕は邪魔になった。僕は入社した時から余剰人員だった。余剰人員に振る仕事などない、必然的に僕は社内失業に陥った。主な仕事は、ほかの課への「応援」。要請があれば、駐車券を数える、コピーをホチキス留めする等、単純作業のみ。応援要請がないと、することはほとんどなく、終業時間が来るのを待つしかない。社長の娘でもある取締役にも相談したが「あえて放置している。その中でどういう仕事ぶりをするか見ているところ」だと怪訝そうに言われただけだった。
ただ一日中ずっと、座っているだけ。上記のような単純作業を除き、仕事は何も与えてくれない。与えて欲しいと頼んでも無視されるだけ。ただ9時から18時まで、ずっとPCのモニターを見つめて座っているだけ。吸収合併された後の職場(B社)では様々な嫌がらせを受けたが、まだ何かをやれたから、そこに戻りたいとさえ思った。終日、一言も発することもなく、何もしないということが、何もしてはいけないと言うことが、あんなに辛いとは思わなかった。一秒一秒、どんどん自分が壊れていくのがわかった。
それでも自分が一番輝いていた時に結婚した妻には、こんな状況の自分を見せたくないと、ちっぽけなプライドが邪魔して、打ち明けられなく、過去の栄光にしがみついて現実を見つめられないで1人で悶絶していた日々。自分に自信が全く無くなってしまうと人は過去に救いを求めたくなってしまうのだろう。
信じていた自分自身を疑うようになり、今までは全く疑いもしないことを疑いつくした結果、自信を使い果たし廃人になっていった。自信を使い果たしてしまったときは、新しいことに希望を持つことができなくなる。ホントはすぐにでも逃げてしまいたい。でも、自分はその後どこで何をするんだろう。多分、実際にやってみるといろんなことができるはずなのに、自分になにかができるような気がしなくなり、思考が止まり、感情がなくなり、廃人となった。
人は自信の在庫を抱えて生きているんだと思う。今までやってきたことの積み重ねが次の自分を保証してくれている。その支えが無くなってしまったあのとき、信じていたものを全て否定されたあのとき、自分はどうすればよかったのだろう?
後から知ったが、1999年に放送されたドラマ『彼女たちの時代』にて、追い出し部屋に隔離された椎名桔平演じるサラリーマン「佐伯啓介」の境遇がC社在籍時の自分と重なった。
椎名桔平が追い出し部屋の壁に文字が書かれていることを発見。その文字を読み上げるシーン(全文は下記参照)。これを見た時は涙が止まらなかった。
いつまでたっても退職届を提出しない私にしびれをきらしたか、入社から約5ヶ月後の2016年2月上旬、話し合いの場が設けられ、退職せざる得ない雰囲気になった。僕にも非はあったので会社側(C社)は解雇にしたかったんだろうが、幸か不幸か社内失業中の詳細をつづった日記の存在を会社側(C社)が知っていて、訴えられるリスクを避けるため協議した上で両者合意による「自主退職」という形で着地させてくれたのかもしれない。転職したばかりだったし、長女が生まれたばかりで、すぐに辞めるわけにはいかないと耐えたが、5ヶ月間で精神も肉体も限界の状態でだったので今思えばこの流れは渡りに船だった。そして、「解雇」という形ではなく退職できたことは救いだった。
C社を5ヶ月で退職した上に、40歳を越えてからの再転職活動は困難を極めた。しかし、幸いにも吸収合併される前のA社の職歴が評価され、2016年3月、今の小さな出版社(D社:下記参照)に再転職できた。今の会社も決していい環境ではないが、B社のようにパワハラもそこまでひどくないし、仕事もあるからC社のように社内失業になることもない。今までに比べれば、まぁ、恵まれている方だ。
B社のパワハラはもう過去のことだと気持ちの整理は付いている。一瞬で奈落の底に落とされたが、長年勤めた会社(A社)でそれなりのポストにつき、天狗になって浮かれたまま高慢ちきな人間になっていたかもしれないのでいい教訓にはなった。落ち目の時に手を差し伸べてくれた人の優しさに触れることもできた。人間は常に謙虚であるべきだということもこれらの体験から学べた。
でも、C社でのすざましい社内失業経験は…わずか5ヶ月の出来事だったが、未だ引きずっている。逃げたくはないのに、逃げなくてはいけないほど追いつめられたあの時の気持ちを忘れてしまってはいけない。だから今でも、社内失業のトラウマに悩まされる。でも、今は失った自信を少しずつ取り戻す日々。なんでもやれば出来るとは思わないけれど、何も出来ない訳ではない。現実をしっかり見つめられるようになるには時間もすごくかかるし、いろんなプロセスが必要。今はまだその途中なのかもしれない。
冒頭で言及した「サンクス」が「ファミリーマート」の看板にすげ替えられた風景を見た時、自身の吸収合併体験及び社内失業体験が急にフラッシュバックした。旧サンクスの社員さんは大丈夫だろうか?そのことが今でも気がかりである。
参考までに…こちらのブログ記事とこちらのブログ記事が少々僕と状況が重なっているように思えた…。うん、ホントこんな感じだったなぁ…
こちらも参考までに…社内失業者の心理状況が共感できた。自分もまさにこんな感じだった。
自宅から最寄りではないが、通勤でいつも使っている駅近くにあるコンビニの「サンクス」が5月下旬「ファミリーマート」になった。
【2017年3月28日撮影「サンクス」】
【2017年5月24日撮影「ファミリーマート」】
サンクスの運営会社・(株)サークルKサンクスはファミリーマートに吸収合併されて解散。サークルKとサンクスの店舗を順次ファミリーマートに切り替えが行われ、見慣れた風景だった駅前のサンクスはファミリーマートになった。
昔は銀行の合併のニュースををみても「あぁ~そうなんだなぁ~」ぐらいしか、感じなかった。2004年に発覚したオリックスによる大阪近鉄の吸収合併問題においても、合併は断固反対の立場で微力ながら署名活動に参加したが、両球団の合併に伴い新球団を創立するという話を聞いてから合併反対の立場から急にトーンダウンした。所詮、他人事だったのかもしれない。
しかし、今回のサンクスがファミリーマートに吸収合併されたことは他人事には思えなかった。なぜなら、自分も2014年1月、長年勤めていた会社(A社:下記参照)の吸収合併が発表され、同年4月に消滅…、人生が吸収合併により大きく狂ってしまった体験をしたからだ。
吸収合併され会社(A社)は消滅したが、一応吸収合併先の会社(B社:下記参照)に再雇用される形で失業は免れた。業務内容は変わらなかったが、やり方・ルールはB社仕様になり全て変わり、今までのやり方は一切NGになった。顧客から当然クレームが来る。顧客離れが起こる。顧客離れが起こり売り上げが落ちる。
その結果、吸収合併先(B社)のお偉いさんから叱責される。僕を含め消滅会社(A社)の中核を担っていた社員は執拗に罵倒され、吊るし上げられた。さらに、かっての共産主義国家(ソヴィエトや中国共産党)によく見られた「自己批判」を延々と強要された。営業会議はこの「吊し上げ」と「自己批判」がエンドレスに続いた。
※これはあくまでも「吊し上げ」と「自己批判」のイメージ(実際は文化大革命の映像だそうです)
A社の中核を担っていた社員たちは長年業務に従事していたから、トンチンカンな吸収合併先(B社)のやり方には異を唱えてた。だから、彼ら(B社)にとって命令通り動かない僕達は厄介者だった。自主退職させるために、様々な嫌がらせが続いた。僕の元上司は窓際族に追い込まれ早々に自主退職したが、僕は給与が現状維持なら家族のために我慢しようと決めていた。
様々なパワハラ、モラハラに耐えてきたが…吸収合併されてから1年後、突然、給与が約30%ダウンになった…。どんなに頑張ってもA社出身社員の人事評価は「最低レベル」に固定されたからだ。なにか糸がプチーンと切れた。
すぐに転職活動をした。幸いにも数社から内定をいただき、2015年9月に全くの別業種ではあるが、給与も吸収合併前(A社)の水準を保証してくれた会社(C社:下記参照)に転職できた。
でも、転職できたから解決というわけにはいかなかった。転職先(C社)には僕の居場所がなかった。所属する課がない、上司もいない。仕事もない。なぜ採用されたのか当時はさっぱり分からなかった。最初は「仕事をください」と他の課へ社内就職活動をしたが、怪訝な顔をされ、追い払われるだけ…。仕事もできない40歳直前のおっさんは社内の除け者になり、誰かに話しかけることも億劫になり、孤立した。そして、出社してからデスクに座り、時間がすぎるのをただ待つだけの日々が始まった。僕はC社に転職した瞬間から社内失業者になってしまった。業務時間中に仕事をするふりをして座っているだけ、仕事をしてないので(する仕事がないのだが)、蔑んで見られているように感じる他の社員の視線…転職した事を後悔した。
何故、社内失業に陥ったか?それは募集人員1名の枠に僕が採用されたが、後からコネでもう1名押し込んだため、僕は邪魔になった。僕は入社した時から余剰人員だった。余剰人員に振る仕事などない、必然的に僕は社内失業に陥った。主な仕事は、ほかの課への「応援」。要請があれば、駐車券を数える、コピーをホチキス留めする等、単純作業のみ。応援要請がないと、することはほとんどなく、終業時間が来るのを待つしかない。社長の娘でもある取締役にも相談したが「あえて放置している。その中でどういう仕事ぶりをするか見ているところ」だと怪訝そうに言われただけだった。
ただ一日中ずっと、座っているだけ。上記のような単純作業を除き、仕事は何も与えてくれない。与えて欲しいと頼んでも無視されるだけ。ただ9時から18時まで、ずっとPCのモニターを見つめて座っているだけ。吸収合併された後の職場(B社)では様々な嫌がらせを受けたが、まだ何かをやれたから、そこに戻りたいとさえ思った。終日、一言も発することもなく、何もしないということが、何もしてはいけないと言うことが、あんなに辛いとは思わなかった。一秒一秒、どんどん自分が壊れていくのがわかった。
それでも自分が一番輝いていた時に結婚した妻には、こんな状況の自分を見せたくないと、ちっぽけなプライドが邪魔して、打ち明けられなく、過去の栄光にしがみついて現実を見つめられないで1人で悶絶していた日々。自分に自信が全く無くなってしまうと人は過去に救いを求めたくなってしまうのだろう。
信じていた自分自身を疑うようになり、今までは全く疑いもしないことを疑いつくした結果、自信を使い果たし廃人になっていった。自信を使い果たしてしまったときは、新しいことに希望を持つことができなくなる。ホントはすぐにでも逃げてしまいたい。でも、自分はその後どこで何をするんだろう。多分、実際にやってみるといろんなことができるはずなのに、自分になにかができるような気がしなくなり、思考が止まり、感情がなくなり、廃人となった。
人は自信の在庫を抱えて生きているんだと思う。今までやってきたことの積み重ねが次の自分を保証してくれている。その支えが無くなってしまったあのとき、信じていたものを全て否定されたあのとき、自分はどうすればよかったのだろう?
後から知ったが、1999年に放送されたドラマ『彼女たちの時代』にて、追い出し部屋に隔離された椎名桔平演じるサラリーマン「佐伯啓介」の境遇がC社在籍時の自分と重なった。
椎名桔平が追い出し部屋の壁に文字が書かれていることを発見。その文字を読み上げるシーン(全文は下記参照)。これを見た時は涙が止まらなかった。
私の次にこの部屋へ来た人へ
ここに来て1ヶ月もう限界です
なにもしないで じっとしていることが
人間にとって こんなに辛いとは思わなかった
もう どうでも良くなりました
この部屋から逃げ出すことが出来れば
もう何もかもどうでもよくなりました
悪いことは言わない ここに来た方
会社はあなたを辞めさせることしか考えていない
しかもあなたから辞めるのを待っている
ここにいる1ヶ月間 いろんなことを考えました
なぜ 私はここに居るんだろう
なぜ 私は何もしてはいけないんだろう
会社はなぜ 私を選んだんだろう
ここを出たら私はどうなるんだろう
家族はどうなるんだろう
親はどう思うんだろう
そもそも 私って何なんだろう
私は何のために 生まれてきたんだろう
何のために生きているのだろう
人間が生きてゆくってどういうことなんだろう
そんなことを考えました
答えはわかりません
私の次にこの部屋に来た人に
出来れば 出来れば あなたと話がしたかった
どんな話でもいい 私はあなたと 話がしたかった
ここに来て1ヶ月もう限界です
なにもしないで じっとしていることが
人間にとって こんなに辛いとは思わなかった
もう どうでも良くなりました
この部屋から逃げ出すことが出来れば
もう何もかもどうでもよくなりました
悪いことは言わない ここに来た方
会社はあなたを辞めさせることしか考えていない
しかもあなたから辞めるのを待っている
ここにいる1ヶ月間 いろんなことを考えました
なぜ 私はここに居るんだろう
なぜ 私は何もしてはいけないんだろう
会社はなぜ 私を選んだんだろう
ここを出たら私はどうなるんだろう
家族はどうなるんだろう
親はどう思うんだろう
そもそも 私って何なんだろう
私は何のために 生まれてきたんだろう
何のために生きているのだろう
人間が生きてゆくってどういうことなんだろう
そんなことを考えました
答えはわかりません
私の次にこの部屋に来た人に
出来れば 出来れば あなたと話がしたかった
どんな話でもいい 私はあなたと 話がしたかった
いつまでたっても退職届を提出しない私にしびれをきらしたか、入社から約5ヶ月後の2016年2月上旬、話し合いの場が設けられ、退職せざる得ない雰囲気になった。僕にも非はあったので会社側(C社)は解雇にしたかったんだろうが、幸か不幸か社内失業中の詳細をつづった日記の存在を会社側(C社)が知っていて、訴えられるリスクを避けるため協議した上で両者合意による「自主退職」という形で着地させてくれたのかもしれない。転職したばかりだったし、長女が生まれたばかりで、すぐに辞めるわけにはいかないと耐えたが、5ヶ月間で精神も肉体も限界の状態でだったので今思えばこの流れは渡りに船だった。そして、「解雇」という形ではなく退職できたことは救いだった。
C社を5ヶ月で退職した上に、40歳を越えてからの再転職活動は困難を極めた。しかし、幸いにも吸収合併される前のA社の職歴が評価され、2016年3月、今の小さな出版社(D社:下記参照)に再転職できた。今の会社も決していい環境ではないが、B社のようにパワハラもそこまでひどくないし、仕事もあるからC社のように社内失業になることもない。今までに比べれば、まぁ、恵まれている方だ。
【吸収合併によるパワハラ・転職、社内失業を経験した各々会社の概要】
A社:2002年3月~2014年3月
B社による吸収合併で会社消滅。消滅時まで在籍。会社消滅さえなければ定年までずっといたはずの会社。PR関連業務。
B社:2014年4月~2015年8月
A社を吸収合併。A社の中心人物を自主退社に追い込むため様々なパワハラ・モラハラを敢行。最終的には給与大幅削減によりA社の中心人物は全員自主退職せざる得なくなる。PR関連業務。
C社:2015年9月~2016年2月
B社退職後の転職先。コネで一人余計に採用した結果、正規に中途採用された僕が余剰人員となった。そして僕を放置し社内失業者に仕立てあげたパワパラ会社。5ヶ月在籍したが業務には一切従事させてもらえなかった。業務に従事できなかったので毎日の日報を書くことすら困難だった。業種は…万が一のことがあるので非公開。
D社:2016年3月~
C社退職後、約1ヶ月半の無職時期を経て再就職できた小さな出版社。現在在籍中。
※追記:2018年12月に倒産のため、その前の10月に退社。同月から専門商社のE社に転職。
B社のパワハラはもう過去のことだと気持ちの整理は付いている。一瞬で奈落の底に落とされたが、長年勤めた会社(A社)でそれなりのポストにつき、天狗になって浮かれたまま高慢ちきな人間になっていたかもしれないのでいい教訓にはなった。落ち目の時に手を差し伸べてくれた人の優しさに触れることもできた。人間は常に謙虚であるべきだということもこれらの体験から学べた。
でも、C社でのすざましい社内失業経験は…わずか5ヶ月の出来事だったが、未だ引きずっている。逃げたくはないのに、逃げなくてはいけないほど追いつめられたあの時の気持ちを忘れてしまってはいけない。だから今でも、社内失業のトラウマに悩まされる。でも、今は失った自信を少しずつ取り戻す日々。なんでもやれば出来るとは思わないけれど、何も出来ない訳ではない。現実をしっかり見つめられるようになるには時間もすごくかかるし、いろんなプロセスが必要。今はまだその途中なのかもしれない。
冒頭で言及した「サンクス」が「ファミリーマート」の看板にすげ替えられた風景を見た時、自身の吸収合併体験及び社内失業体験が急にフラッシュバックした。旧サンクスの社員さんは大丈夫だろうか?そのことが今でも気がかりである。
参考までに…こちらのブログ記事とこちらのブログ記事が少々僕と状況が重なっているように思えた…。うん、ホントこんな感じだったなぁ…
こちらも参考までに…社内失業者の心理状況が共感できた。自分もまさにこんな感じだった。