自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

紫煙燻らせ、浴びるほどアルコールを摂取し、恋をして、失恋した青春の地「下北沢」

2017-11-10 00:05:00 | 街の風景
11月8日(水)@下北沢



仕事で夕方から向ヶ丘遊園駅周辺に赴き、そこから途中下車して久々に下北沢に寄った。

大学入学を機に上京してから、ずっと小田急線沿線に住んでいたので、20代前半、もっとも濃密な時間を過ごした思い出深い地である。時間さえあれば下北沢でデートして、紫煙をくゆらす中で飯を喰い、酒を飲み、この地で失恋し…。

失恋してから避けるようになり、そのうちに引越しをし小田急沿線から離れ疎遠になった。よって、下北沢に降り立ったのは約15年振り。小田急の駅が地下化されていたことは時々乗車する小田急線の車中から眺めて知っていたが、街は随分と変わっていた

北東から南西に街を分断していた小田急線の線路が地上から地下に潜ったことで悪名高い踏切は一掃され、15年前は下北沢駅南口のランドマークだったTSUTAYA&ドトールコーヒーの建物は消え駅舎となり、よく通っていたミリタリーショップもなくなっていた。僕が青春を謳歌していた頃と比べ半数以上の店は消え、20代の頃見た風景とは大きく変わっていた。15年ぶりだから推測に過ぎないが、きっと以前より開店~閉店のサイクルが短くなっているのだろう。逆にまさかあの大手がここに?という店舗もあった。

北口にあったノスタルジックな「下北沢駅前食品市場」は、すっかり消えた。

殆どの建物は撤去され、1件だけぽつんと残っていた飲食店…。

在りし日の「下北沢駅前食品市場」

いくつかあった入口の一つ


上から見るとトタン屋根が不規則にひしめいていた


中は日中でも薄暗かった

戦後の闇市の名残りであった「下北沢北口駅前食品市場」。僕が上京した当時にはこの「闇市的」な場所の規模は小さくなっていたが、1980年代頃まではかなり大きかったらしい。アジアのカオスな雰囲気が漂う、お気入りの場所は、都市開発のため建物は立退き対象となる。

下北沢北口駅前食品市場跡地は駅前ロータリーとなるらしい

駅前にロータリーがなくバス・タクシーなど他の公共交通との結節機能が脆弱だったから必要な整備だったんだろうけど…なんか無機質な街並みになってシモキタ独特の風情が失われ寂しい。


でも、街をぶらつくと変わらない風景も残っていて郷愁にかられた。

・古着屋の「CHICAGO」

下北沢に来たら必ず寄っていた店。この日も安価でいいキャップがあり、散々悩んだが最近散財気味なので泣く泣く断念(苦笑)。原宿にある店舗は、今でも仕事で近くに行けば頻繁に通っている。

・インド・パキスタン料理「ににんがよん(2×2=8)」



下北では珍しい食べ放題の店。若い頃はお金もなかったし、よくここで限界までカレーを食べていた。まだ、あったんだなぁ~とすごくホッとした。この日も寄りたかったが、そこまで空腹ではなかったので断念。税抜価格は以前と変わってなかった。

・「ヴィレッジヴァンガード」

本多劇場内にある「ヴィレッジヴァンガード」。サブカルチャーをもっとも手軽に体感できる場所だった。「楽しさ」を感じさせる売場空間の創造が当時も今も心地いい。もはや観光地レベル、史上最も狂ってる下北沢店。


最後にせっかくだから新しい下北沢の味を堪能しようと、以前はなかったラーメン屋に寄る。

「俺流熟成塩らーめん」 お店の名前は…渋谷生まれの塩らーめん「俺流塩らーめん」…んっ、下北発祥のお店ぢゃないじゃん!(苦笑)


楽しかった。物事が今よりクリアに見えなかった分、勢いだけで突っ走れた20代前半の思い出が走馬灯の様にフラッシュバックした。この地での失恋のトラウマは流石に払拭できていたみたいだし(笑)、また時間があったらぶらり途中下車してみよう。






僕の愛した下北沢の特徴は、ある社会層に偏らず多様な社会層が密集していること。若者の街として本格的に発展したのはせいぜい 30年前。先述の「下北沢北口駅前食品市場」のように顧客のターゲットを若者のみに絞ることもなかった。下北沢はこの地域に居住する人々が日常生活用品を求める街であり、ショッピングの街でもあり、アメ横的魅力を追う人々の街なんだ。

だから、下北沢に集う人間の種類は多種に渡る。金持ちや商店主、子犬を連れた奥様、学生、フツーのサラリーマン、バンドマン等、ありとあらゆる人種が下北沢には密集している。改めてそう思った。