【日本ハム】清宮、背番号「21」に内定 枠にとどまらず大きな存在に
(写真は合成)
日本ハムのドラフト1位・清宮幸太郎内野手(18)=早実=の背番号が「21」に内定したことが21日、分かった。日本ではエース級の投手が背負うのが一般的だが、その既成概念を打ち破る意味も込められているとみられる。メジャーでは名選手、ロベルト・クレメンテ氏がつけ、栗山監督が尊敬する三原脩氏がプロ野球創成期に巨人で背負った番号でもある。24日に札幌市内で行われる新入団発表でお披露目される予定だ。
野球界の枠にとどまらず、大きな存在になってほしい―。意外とも思える清宮の「21」には、そんな願いが込められているのだろう。退団する武田久が今季までつけ、日本ハムでも歴代のエース級が背負ってきた。日本の野手ではめったに見られないが、そんな常識は高校通算歴代最多111本塁打を放った規格外の男には関係ない。
米大リーグで「21」は特別な番号の一つだ。1972年、ニカラグア大地震の際に故郷・プエルトリコに救援物資を届けようとし、輸送機の墜落事故で亡くなった名外野手のロベルト・クレメンテ氏が背負っていた。首位打者を4度獲得し、通算3000安打を放った名外野手の「21」は伝説となり、パイレーツの永久欠番になっている。
7球団競合の清宮も、そのスピリットを少なからず持っている。16日の都内での仮契約後に行われた会見で「(球団から)『野球人としてだけでなく、社会人として世の中に貢献できるような人間になってほしい』と力強い言葉を頂きました。人として皆に目指されるようになりたい。その言葉は自分の中で心に響きました」と一社会人としての成長を誓っていた。
栗山監督にとっても重みのある番号だ。指揮官として尊敬する三原脩さんがプロ入り後、選手として最初につけた番号でもある。三原さんは巨人、西鉄、大洋など5球団を指揮。4度の日本一を達成し、晩年には日本ハムの球団社長も務めていた。「魔術師」と呼ばれる采配は、栗山監督の礎となっている。
早実の先輩で清宮が目指す868本塁打の世界記録を持つ巨人・王貞治(現ソフトバンク球団会長)の「1」や、ダルビッシュ有から大谷翔平に引き継がれた「11」も候補に挙がっていたとみられるが、その中から清宮にふさわしいものが選ばれた。24日に札幌市内で行われる新入団発表でお披露目される予定だ。「51」のイチロー、「55」の松井秀のように、清宮が「21」を自分のものにしていく。
引用元:スポーツ報知
MLBでは一般的に「18」「21」は共に野手の番号のイメージが強いが、NPBでは投手の番号のイメージが強い「18」を今年から北海道日本ハムの岡大海外野手が着用することになり話題になった。上記報道通り清宮幸太郎内野手も同様に投手のイメージが強い「21」を背負うのであれば、岡大海外野手の「18」と合わせて視覚的には面白いかもしれない。
しかし、上記報道ではNPBにおいて「21」は、ほぼ投手専用番号のような書き方がされているが、果たしてそうだったっけ?という訳で投手以外で背番号「21」を背負った選手(含:監督・コーチ)をピックアップしてみた。
NPBにおいて投手以外の背番号「21」の選手(含:監督・コーチ)
【巨人】
三原修 内野手 1936~1938秋
清水善秋 捕手 1941~1943
林清光 外野手 1946
丸木迪 捕手 1946
川崎徳次 外野手(投手兼任)1947~1949
久保木清 外野手 1950~1951
フアン・フランシスコ 内野手 2015
【阪神/含:大阪時代】
小島利男 内野手 1936~1937春
比留木虎雄 内野手 1937春~1937秋、1940
松本貞一 内野手 1942
大橋棣 内野手 1942~1943
塚本博睦 外野手 1946~1947
谷田比呂美 捕手 1948~1949
金田正泰 外野手 1950
河野博 外野手 1952
横山光次 外野手 1955~1964
滝川博巳 外野手 1965
山尾孝雄 外野手 1966~1972
関川浩一 捕手 1991~1996
ダネル・コールズ 内野手 1997
【中日/含:名古屋時代】
芳賀直一 内野手 1936
白木一二 外野手 1937春~秋
木村進一 内野手 1939~1942
藤野義登 捕手 1946
浜崎忠治 内野手 1947~1948
岡田善太郎 内野手 1951
菅野武雄 内野手 1952
木村博 外野手 1955
早川真次 内野手 1956
小川滋 内野手 1957~1960 ※1959、1960の登録名は「小川滋夫」
【広島】
米山光男 内野手 1954~1962 ※1955、56年のみ登録名は「米山祐昭」
【東京ヤクルト/含:国鉄・サンケイ・アトムズ・ヤクルト時代】
勝田興 捕手 1950
佐竹一雄 捕手 1951~1953
林田章三 捕手 1957~1958
【横浜/含:大洋・横浜大洋時代】
中津正三 外野手 1952
沖山光利 外野手 1956~1960
【オリックス/含:阪急時代】
仁木安 外野手 1949
斎藤喜 内野手 1966~1970
【埼玉西武/含:西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター・西武時代】
川崎徳次 外野手(投手兼任)1950~56 (助監督兼任)1957 (コーチ専任)1958
スコット・クーパー 内野手 1996
【福岡ソフトバンク/含:南海・近畿日本・グレートリング・福岡ダイエー時代】
川崎徳次 外野手(投手兼任)1940~1942
阪本政数 捕手 1943
中野正雄 内野手 1947
柚木進 コーチ 1957
杉浦忠 コーチ(投手兼任)1966~1967
【千葉ロッテ/含:毎日・毎日大映・東京・ロッテ時代】
長島進 捕手 1950~1951
橋本力 外野手 1957~1959
倉高新始 内野手 1964~1965
西田孝之 外野手 1966~1972
フリオ・フランコ 内野手 1995
ランディ・レディ(登録名:スパイク)外野手 1996
ダレル・ウィットモア 外野手 1996
平井光親 外野手 1997~2002
【北海道日本ハム/含:セネタース・東急・急映・東映・日拓ホーム・日本ハム時代】
清水喜一郎 内野手 1946~1947
関口義雄 内野手 1948
上林繁次郎 捕手 1949~1951
大畑庄作 捕手 1953~1957
土橋正幸 コーチ 1968
清宮幸太郎? 内野手 2018~
【東北楽天】
該当者なし
【大阪近鉄/含:近鉄時代】
内藤博文 内野手 1959~1961
加藤正樹 外野手 1988~1989
【翼軍/含:東京セネタース時代】
横沢三郎 監督 1936
遠藤忠二郎 内野手(投手兼任)1938秋~1939
【名古屋金鯱軍】
二出川延明 外野手/監督 1936
島秀之助 外野手/助監督 1937春~秋
浜崎博 内野手 1938春~1939
新井一 外野手 1940
【西鉄軍】
渡辺敬三 外野手 1942
【大和軍】
富松信彦 外野手 1941~1942
原田八州生 捕手 1943
【西日本】
田部輝 外野手 1950
【松竹】
伊藤勝三 捕手/内野手/監督 1936
小西得郎 監督 1936~1937春
安藤之制 内野手 1937秋~1938春
岩田次男 内野手 1941~1943
志水清 捕手 1946
野田誠二 内野手 1947
【大映スターズ】
小前博文 外野手 1946~1947
【高橋】
該当者なし
【大映ユニオンズ】
該当者なし
球団によって傾向があるみたいで、広島、東京ヤクルト、横浜、オリックス、埼玉西武辺りはほぼ皆無、近年「21」を背負った野手も空き番号から暫定的にあてがわれているような印象である。例外的にレギュラー級の存在感を示したのは関川浩一捕手(阪神)、フリオ・フランコ内野手、平井光親外野手(共に千葉ロッテ)ぐらいか…。
なるほど、これなら投手専用番号と認識されても仕方ない印象もあるが、NPBではいい意味で特定の野手のイメージがあまりないだけに、これから清宮色に染めやすい番号でもある。清宮幸太郎内野手には野手としての新しい「21」のイメージを確立して欲しいですな
追記①:参考記事
追記②:こーゆー分析好きです♪
追記③:実に面白い「背番号物語」
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)