多くの物議を醸し賛否両論が沸き起こった北海道日本ハム・大谷翔平選手の投打二刀流挑戦は結果的に大成功を収めた。
近代野球では前例のない挑戦だっただけに否定的な意見も仕方なかった…と今になって擁護する声もあがってきたが…そんなことはない、近年のMLB・NPBでも(ベーブ・ルースや大谷選手のように投打共に主軸ではなくバックアップ的な役割ではあるが)投打二刀流の選手は少数だが存在した。
#55 ブルックス・キーシュニック
ミルウォーキー・ブルワーズ (2003~2004)時代に二刀流として活躍。2003年は投手として42試合に登板、防御率5.26。打者としては打率.300、7本塁打、12打点の好成績。2004年は32試合に登板、防御率3.37。打率.270、1本塁打、7打点。MLBでは最後かつ21世紀で唯一本格的な二刀流選手。二刀流としての実働は2年。
ウィリー・スミス
デトロイト・タイガース (1963) #33
ロサンゼルス/カリフォルニア・エンゼルス (1964~1966) #35
クリーブランド・インディアンス (1967~1968) #22
シカゴ・カブス (1968~1970) #25
シンシナティ・レッズ (1971) #20
南海ホークス (1972~1973) #25
1963年メジャー初昇格から投手と野手の二刀流でプレー。翌1964年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍、外野手登録となり118試合に出場し、そのうち投手としても15試合に登板。翌1965年からは本格的に外野手としてプレーする。1967年にクリーブランド・インディアンス、1968年シーズン途中にシカゴ・カブス、1971年にシンシナティ・レッズ、1972~1973年は南海ホークスでプレー。投手としては以降1968年クリーブランドで2試合、シカゴで1試合、1972年南海で1試合のみ登板した。
#59 フェリックス・ペルドモ(1996年は#71)
広島在籍時の1999年に二刀流として活躍(1996年は内野手登録で投手としての登板なし、1997~1998年は投手登録で投手に専念、1999年は内野手登録だったが17試合に登板)
#9 嘉勢敏弘(投手登録後は#28)
1995年に外野手としてオリックスに入団。1996年に一軍初昇格、17試合出場。そして翌1997年、外野手登録のまま2試合に登板。1998年、1999年は投手としての出場はなく2000年に外野手登録のまま再び登板しプロ初勝利を挙げると、シーズン終了まで投手に専念した。2001年、投手に登録を変更。二刀流としてプレーしたのは1997年、2000年の2年間だが純粋に兼任していたのは1997年のみ。
最近では2016年に捕手登録ながら投手をこなすクリスチャン・ベタンコート(他にも二塁手、左翼手もこなす。但し2017年4月3A降格以降は投手に専念し、完全な二刀流とまではいかなかった)が話題になった。
走者は#10 ジャスティン・ターナー(LAD)
WBC・中国代表でも捕手登録ながら投手として登板もした孟偉強(モン・ウェイチャン)選手も今年の春先話題になった。
更にはシンシナティ・レッズ在籍時の2009年は一時的に二刀流、それ以前もアリゾナ・ダイヤモンドバックス時代から投手ながら抜群の打撃を披露していたマイカ・オーウィングス
の他に、厳密には二刀流ではないけどマディソン・バンガーナー、NPBではジョー・ウィーランド辺りは投手ながら打撃がよく二刀流も可能ではないかと夢を抱かせてくれる選手達だ。
蛇足だがNPB創世記の二刀流プレイヤーは大谷選手のように投打の主軸として活躍。大阪の藤村富美男や景浦將、呉昌征が有名だ。
左から若林忠志、呉昌征(1944年)
呉昌征選手は1946年、投手が少ないチーム事情から「外野から正確なバックホームができるのだから、投手もできるだろう」という理由で投手としても登板するようになる。同年4月28日に行われた開幕第2戦目の対阪急戦(西宮)で初先発。9回1失点でプロ初勝利を完投で挙げる。これ以降、先発ローテーションに定着。同年6月16日に異例の投手兼任で、戦後初のノーヒットノーランを達成した。この試合では四死球を5個与えているが、投球数は122球で試合時間は約1時間半の快投だった。さらに同年はチームトップの14勝(6敗)、リーグ9位の防御率3.02を挙げた。更に、登板のない日は打者としても1番・センターとしても打率の方でも.291(リーグ14位)を記録し、文字通り投打で大活躍した。1946年以外は投手として出場することはほとんど無く、主に1番・センターとして阪神球団の主力として活躍した。
他の選手はこちらを参照。
近代ではある程度成果を挙げた選手たちでも投打ともに主軸とまでいかず、更に二刀流生活は短命で終わった。大谷選手はそんな前例を打ち破り、投打の主軸として大活躍した。場をMLBに移しても二刀流での活躍が今から楽しみである。
今回改めて二刀流を考えるきっかけになった記事及び参考にしたのはこちら。
近代野球では前例のない挑戦だっただけに否定的な意見も仕方なかった…と今になって擁護する声もあがってきたが…そんなことはない、近年のMLB・NPBでも(ベーブ・ルースや大谷選手のように投打共に主軸ではなくバックアップ的な役割ではあるが)投打二刀流の選手は少数だが存在した。
#55 ブルックス・キーシュニック
ミルウォーキー・ブルワーズ (2003~2004)時代に二刀流として活躍。2003年は投手として42試合に登板、防御率5.26。打者としては打率.300、7本塁打、12打点の好成績。2004年は32試合に登板、防御率3.37。打率.270、1本塁打、7打点。MLBでは最後かつ21世紀で唯一本格的な二刀流選手。二刀流としての実働は2年。
ウィリー・スミス
デトロイト・タイガース (1963) #33
ロサンゼルス/カリフォルニア・エンゼルス (1964~1966) #35
クリーブランド・インディアンス (1967~1968) #22
シカゴ・カブス (1968~1970) #25
シンシナティ・レッズ (1971) #20
南海ホークス (1972~1973) #25
1963年メジャー初昇格から投手と野手の二刀流でプレー。翌1964年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍、外野手登録となり118試合に出場し、そのうち投手としても15試合に登板。翌1965年からは本格的に外野手としてプレーする。1967年にクリーブランド・インディアンス、1968年シーズン途中にシカゴ・カブス、1971年にシンシナティ・レッズ、1972~1973年は南海ホークスでプレー。投手としては以降1968年クリーブランドで2試合、シカゴで1試合、1972年南海で1試合のみ登板した。
#59 フェリックス・ペルドモ(1996年は#71)
広島在籍時の1999年に二刀流として活躍(1996年は内野手登録で投手としての登板なし、1997~1998年は投手登録で投手に専念、1999年は内野手登録だったが17試合に登板)
#9 嘉勢敏弘(投手登録後は#28)
1995年に外野手としてオリックスに入団。1996年に一軍初昇格、17試合出場。そして翌1997年、外野手登録のまま2試合に登板。1998年、1999年は投手としての出場はなく2000年に外野手登録のまま再び登板しプロ初勝利を挙げると、シーズン終了まで投手に専念した。2001年、投手に登録を変更。二刀流としてプレーしたのは1997年、2000年の2年間だが純粋に兼任していたのは1997年のみ。
最近では2016年に捕手登録ながら投手をこなすクリスチャン・ベタンコート(他にも二塁手、左翼手もこなす。但し2017年4月3A降格以降は投手に専念し、完全な二刀流とまではいかなかった)が話題になった。
走者は#10 ジャスティン・ターナー(LAD)
WBC・中国代表でも捕手登録ながら投手として登板もした孟偉強(モン・ウェイチャン)選手も今年の春先話題になった。
更にはシンシナティ・レッズ在籍時の2009年は一時的に二刀流、それ以前もアリゾナ・ダイヤモンドバックス時代から投手ながら抜群の打撃を披露していたマイカ・オーウィングス
の他に、厳密には二刀流ではないけどマディソン・バンガーナー、NPBではジョー・ウィーランド辺りは投手ながら打撃がよく二刀流も可能ではないかと夢を抱かせてくれる選手達だ。
蛇足だがNPB創世記の二刀流プレイヤーは大谷選手のように投打の主軸として活躍。大阪の藤村富美男や景浦將、呉昌征が有名だ。
左から若林忠志、呉昌征(1944年)
呉昌征選手は1946年、投手が少ないチーム事情から「外野から正確なバックホームができるのだから、投手もできるだろう」という理由で投手としても登板するようになる。同年4月28日に行われた開幕第2戦目の対阪急戦(西宮)で初先発。9回1失点でプロ初勝利を完投で挙げる。これ以降、先発ローテーションに定着。同年6月16日に異例の投手兼任で、戦後初のノーヒットノーランを達成した。この試合では四死球を5個与えているが、投球数は122球で試合時間は約1時間半の快投だった。さらに同年はチームトップの14勝(6敗)、リーグ9位の防御率3.02を挙げた。更に、登板のない日は打者としても1番・センターとしても打率の方でも.291(リーグ14位)を記録し、文字通り投打で大活躍した。1946年以外は投手として出場することはほとんど無く、主に1番・センターとして阪神球団の主力として活躍した。
他の選手はこちらを参照。
近代ではある程度成果を挙げた選手たちでも投打ともに主軸とまでいかず、更に二刀流生活は短命で終わった。大谷選手はそんな前例を打ち破り、投打の主軸として大活躍した。場をMLBに移しても二刀流での活躍が今から楽しみである。
今回改めて二刀流を考えるきっかけになった記事及び参考にしたのはこちら。