2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が上行結腸がんのため、4月23日都内で死去。享年71歳。
今年に入ってから星野監督、片平晋作さん、高倉照幸さんに続く訃報…。オレのヒーローがまた逝ってしまった…。悲しい、寂しい、辛い…。
1987年6月13日 連続試合出場2131の世界新記録を達成して表彰を受ける衣笠祥雄氏
連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位(通算504本は張本勲とタイ)の記録保持者。赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代の中軸を担った名選手であった。
1970年10月19日の巨人戦から、1987年10月22日の横浜大洋戦まで足掛け18年、広島カープの試合には、いつも衣笠祥雄の姿があった。時には骨折しながらも試合に出場し続けてきた「精神力」と、タフネスとしか表現できない「肉体の強さ」を兼ね備えていたからこそ『鉄人・衣笠祥雄』と称されたのだろう(あまり知られていないが「鉄人」のニックネームの由来は当時の背番号「28」にちなんで『鉄人28号』より派生)。
オレが小学生の時、広島の中心選手だった衣笠選手の活躍は今でも鮮明に覚えている。特に印象深かったのは、デッドボールをうけても、もさらっと流して一塁へ進む。幼心にスポーツマンシップというものをを学ばせていただいた。
オレが初めて見た日本シリーズは1984年の広島対阪急戦。衣笠さんが所属する広島が日本一に輝いた。
1996年6月14日のBAL@KC。衣笠さん(右)の2215連続試合出場記録を抜いたカル・リプケン氏(左)は、ともにたたえ合った。
ありがとう、そしてさようなら、僕のヒーロー・衣笠祥雄さん…。ご冥福をお祈りします。鉄人よ、安らかに…。
今年に入ってから星野監督、片平晋作さん、高倉照幸さんに続く訃報…。オレのヒーローがまた逝ってしまった…。悲しい、寂しい、辛い…。
1987年6月13日 連続試合出場2131の世界新記録を達成して表彰を受ける衣笠祥雄氏
連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位(通算504本は張本勲とタイ)の記録保持者。赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代の中軸を担った名選手であった。
1970年10月19日の巨人戦から、1987年10月22日の横浜大洋戦まで足掛け18年、広島カープの試合には、いつも衣笠祥雄の姿があった。時には骨折しながらも試合に出場し続けてきた「精神力」と、タフネスとしか表現できない「肉体の強さ」を兼ね備えていたからこそ『鉄人・衣笠祥雄』と称されたのだろう(あまり知られていないが「鉄人」のニックネームの由来は当時の背番号「28」にちなんで『鉄人28号』より派生)。
オレが小学生の時、広島の中心選手だった衣笠選手の活躍は今でも鮮明に覚えている。特に印象深かったのは、デッドボールをうけても、もさらっと流して一塁へ進む。幼心にスポーツマンシップというものをを学ばせていただいた。
オレが初めて見た日本シリーズは1984年の広島対阪急戦。衣笠さんが所属する広島が日本一に輝いた。
1996年6月14日のBAL@KC。衣笠さん(右)の2215連続試合出場記録を抜いたカル・リプケン氏(左)は、ともにたたえ合った。
ありがとう、そしてさようなら、僕のヒーロー・衣笠祥雄さん…。ご冥福をお祈りします。鉄人よ、安らかに…。