自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

千葉ロッテ・マリーンズ「ALL for CHIBA 2017」キャップ

2017-09-15 00:05:00 | ベースボールキャップ
千葉ロッテ・マリーンズ
「ALL for CHIBA 2017」キャップ


2017年9月9日、前職の同僚から頂いた♪いつも、ありがとうございます!!!


今シーズン、「スポーツを通じた地域振興・地域貢献に関するフレンドシップシティ・プログラム協定」を成田市、千葉市、鴨川市、柏市、市原市、浦安市、袖ケ浦市、船橋市、習志野市、茂原市の各市と締結した千葉ロッテが、本協定の象徴として、千葉マリンスタジアムで開催される主催試合「ALL for CHIBA 2017」にて、チームが着用するCHIBAユニフォームの右袖に対象市名入りの漢字ロゴを掲出する。そのユニフォームと共に着用されたキャップ。

#13 平沢大河


意外なほど、子どもたちに好評だった♪




偶然にも、翌週、千葉県立柏の葉公園野球場にてイースタン・リーグ 千葉ロッテ対北海道日本ハムを観戦予定なので、息子にこのキャップを着用させてあげようかなぁ~ ※9/17柏の葉公園野球場にて開催されるはずだった千葉ロッテ対北海道日本ハムは台風のため中止になり、デビュー戦は延期になってしまった…


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【悲劇】ヒゲを剃る…( ┰_┰) シクシク

2017-09-14 00:05:00 | 独り言・つぶやき
ジョン・レノンはファッションにおいても私の模範となるべく存在だった。


大学時代の長髪もジョン・レノンの真似、丸メガネもジョン・レノンの真似、サングラスもジョン・レノンの真似、革ジャンもタイトパンツもジョン・レノンの真似(今は学生時代より肥えたので着用できないが…)、とにかく、なんでもジョン・レノンの真似。


そして、ヒゲもジョン・レノンの真似から



しかし、親族に不幸があり、9月14日、告別式に参列することになり、数年ぶりに口ヒゲもあごヒゲも剃り落とすことに…。ヒゲのない自分の顔を久しぶりに見たが…幼い…。見慣れないこともあり恥ずかしい…。

嫁ちゃんにはヒゲがない方がカッコイイよぉ~と評判は良かったが…やっぱ、ヤダ…。



ヒゲよ、早く生えそろってくれ~!!!



湘南シーレックス ビジター

2017-09-13 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
湘南シーレックス ビジターレプリカジャージ

「湘南シーレックス」最後の年、2010年のGW、横須賀の軍港めぐりに行った際にキャップと共に購入。

横浜ベイスターズの下部組織として設置されていたファームチームは2000年から2010年まで「湘南シーレックス」の呼称を使用。その際にユニフォームも独自のデザインを採用。

正直、トップチームのベイスーズよりカッコよかった(笑)

#14小林太


#21吉見祐治


#28秦裕二


#47工藤公康


こーやって改めて見てみると、キャップも含めてシアトル・マリナーズのオルタネイトの配色をそっくりそのままパクったような感じだなぁ~だからカッコイイのかwww

#33ドリュー・スマイリー


#34フェリックス・ヘルナンデス


#54エミリオ・パガン



悔やまれるのが、横須賀に訪れた際、予算の関係でキャップとこのビジター用ジャージしか購入できなかった。まぁ、ホーム用は今度、横須賀スタジアムに行った際に購入すればいいやと思っていたら…その年をもって湘南シーレックスの名称使用停止が決定!!!結局、遠方の横須賀にはその年中に行けず…ホーム用レプリカジャージを購入することができなかった…。あの時、少しぐらい予算が厳しくても、無理してホーム用レプリカジャージも購入しておくべきだったと深く後悔している。

#4北川隼行


#40桑原 義行


打者:51 田中充 /後方の投手:41 岸本秀樹/捕手:64 鶴岡慎也(北海道日本ハム)


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湘南シーレックス キャップ

2017-09-12 00:05:00 | ベースボールキャップ
湘南シーレックス キャップ

「湘南シーレックス」最後の年、2010年のGW、横須賀の軍港めぐりに行った際にビジター用レプリカジャージと共に購入。

MiLBのトップリーグは別組織のためチーム名が異なるのは当然であるが、NPBではトップリーグと同組織が下部組織を経営しているので1軍2軍とも同じチーム名を使用するのが一般的である。しかし、過去には現在の二軍に該当する組織として、セントラル・リーグ6球団の二軍により組織された「新日本リーグ」が存在した。公式戦は1954年、1955年の2年間行われ、6球団はそれぞれ一軍とは異なる愛称を付与していた。

・読売ジュニアジャイアンツ(神奈川県川崎市・横浜市。読売ジャイアンツ二軍)
・国鉄フレッシュスワローズ(埼玉県旧大宮市(現さいたま市)。国鉄スワローズ二軍)
・中日ダイアモンズ→中日ドラゴンズ(静岡県静岡市。中日ドラゴンズ二軍)
・阪神ジャガーズ(兵庫県神戸市。大阪タイガース二軍)
・洋松ジュニアロビンス→大洋ジュニアホエールズ(福岡県小倉市)。洋松ロビンス→大洋ホエールズ二軍)
・広島グリーンズ(広島県呉市。広島カープ二軍)

それから、約45年後…

横浜ベイスターズの下部組織として設置されていたファームチームは2000年から2010年まで「湘南シーレックス」の呼称を使用することになった。ほぼ同時期にはオリックスの2軍が「サーパス神戸(のちにサーパス)」、埼玉西武の2軍が「インボイス」「グッドウィル」と1軍と異なる呼称を使用していたが、これらは全てネーミングライツにより企業名での呼称だったが、「湘南シーレックス」のみは二軍の独立採算化と、一軍との差別化を目的にし、ファームに独自の球団名を採用したて、親会社から赤字補填して運営が成り立っている球団運営に一石を投じる画期的な変更だった!

しかし…様々な事情があったことは理解しているが、僅か10年ほどで「湘南シーレックス」が廃止されてしまった…。今でも残念である。


さて、「湘南シーレックス」のキャップだが、とにかく配色がシアトル・マリナーズにそっくり。だからか、非常にスタイリッシュでカッコイイ!正直、ユニフォームも含め、トップチームのベイスターズよりカッコよかった!

#55 筒香嘉智


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浄化されたCPBLユニフォーム

2017-09-11 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
サッカーやラグビー等、欧州系スポーツと違い、アメリカ系スポーツの伝統に添い広告は一切排除されてきた神聖なる野球のユニフォーム。

しかし、2000年…NPBのパシフィック・リーグではユニフォームの広告掲載を解禁、セントラル・リーグでも2006年にホーム用に限り広告掲載を解禁…。「都市名(日本は親会社の企業名のほうが多いが)」「ニックネーム」「球団ロゴ等」のみが表示され、洗練されたデザインが、無造作に貼り付けられた広告ロゴにより台無しになっている…。

以前、その悪しき前例として、台湾のCPBLを例に挙げた。

しかし!

今のCPBLのユニフォームには、袖に広告はまだ掲示されているものの、正面の胸にはユニフォームサプライヤーの小さなロゴを除き広告が排除された!台湾では本来ユニフォームがあるべき、美しく、格式高い姿に戻りつつある!(醜悪な昇華プリントが全廃になれば更に良し!)

中信ブラザーズ(中信兄弟)

#00 Rick Teasley/リック・ティーズリー/銳力R.T(中信兄弟)

統一ライオンズ(統一獅)


富邦ガーディアンズ(富邦悍将)


#22 李宗賢/Li Tsung-Hsien/リー・ゾンシィェン(富邦悍將隊)



Lamigoモンキーズ(Lamigo桃猿)

#20 陳禹勳/Chen Yu-Hsung/チェン・ユーシュン(Lamigo桃猿)


ビビットな色遣い、広告ロゴが辺り一面乱立していたCPBLのユニフォームは冗談のようなユニフォームと揶揄されていたのも昔日のこと。よくぞここまで浄化されたと感慨深いものがある。正直、現段階ではCPBLの方が、正面の胸にも広告ロゴを貼り付けるような愚行を犯しているNPBよりクオリティーが高く美しく映えている。

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

今年最後(予定)の東京ドームでの野球観戦

2017-09-10 00:05:00 | スポーツ観戦記
2017年9月9日(土) 巨人対東京ヤクルト




巨人ファンの息子のために今年3度目の東京ドームでの野球観戦。(ただし3月はオープン戦、6月は交流戦観戦[この時、巨人は悪夢の13連敗の真っ只中だった]だったため、セ・リーグ公式戦の観戦は今年始めて)

アンチ巨人の私はもちろん巨人グッズを持っているはずもないので、現在大活躍中の陽岱鋼くん絡みで台湾代表キャップジャージを着用。息子はお気に入りのジャイアンツシャツ着用。


試合の方は…0対4で巨人完敗

勝利投手 小川 (8勝7敗0S)
敗戦投手 畠 (5勝2敗0S)
本塁打 山田22号(6回表3ラン)、山田23号(9回表ソロ)

今年、息子が観戦したした巨人戦は全敗…。アンチ巨人の私ではあるが、悲しそうな息子の顔を見ていると不憫で仕方なかった…。

という訳でこの日は大奮発して、坂本選手のサインボール、坂本選手のタオル等々、いっぱいグッズを買ってあげた。やっぱ、野球観戦に来たら、いい思い出作ってもらいたいからね。

でも、来年は頼みますぜ、巨人さん!息子が観戦した試合は勝ってくれ~じゃないと父ちゃん、破産しちゃう(;¬∀¬)ハハハ…

※息子と一緒に訪問した球場はこちら

サッカー日本代表 ホーム(2002日韓W杯モデル)

2017-09-09 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
サッカー日本代表 ホーム(2002日韓W杯モデル)

2002年(adidas製)日韓ワールドカップを戦ったモデル。地元開催で見事ベスト16に進出した。国土を象徴する海と、スピード感を表す青の生地を組合わせたコンビのデザイン。首元から袖にかけてを彩る赤いラインは、日本の象徴富士山になぞらえている。

※歴代サッカー日本代表ユニフォーム一覧はこちら

私が初めて購入したサッカーのレプリカユニフォームである。


小さいときから野球少年だったオレは、Jリーグ開幕後も大してサッカーに興味もなく、サッカーで知っていることと言えば「キャプテン翼」から得た情報ぐらいだった(笑)しかし、1997年、本大会初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」をサークルの仲間たちとTV観戦してから、少しづつ興味を持つようになる。

2002日韓W杯モデルは高温多湿対策として裏地にメッシュを使った二重構造。軽量化のため、3本ライン、日の丸、協会エンブレム等全てラバープリント。オレの所有しているオーセンティックレプリカユニフォームも当然ラバープリントのため、15年以上経過した現在では様々な箇所にひび割れが目立つようになってきた。【追記:2018年6月11日…洗濯したら肩の三本ライン等がボロボロになり剥げ落ちた…

グループリーグを突破しベスト16まで進撃したチームと共に、日本中が、そして私もこのユニフォームを着て熱狂した。


2002年ワールドカップのロシア戦に先発した日本代表メンバー(2002年6月9日 横浜国際総合競技場 日本1 - 0ロシア)



先日、日本代表が2018ロシアワールドカップ出場が決定。2002年の感動が再び蘇った。

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サンフランシスコ・ジャイアンツ オリジナルTシャツ(息子用)

2017-09-08 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
サンフランシスコ・ジャイアンツ オリジナルTシャツ(息子用)

夏休み期間中、家族で出かけた三郷のショッピングセンター内にある古着屋で発見。サイズは150なので、息子にはまだちょっと大きいが、オレが欲しかったので即購入(笑)巨人ファンの息子は同じ「ジャイアンツ」だぁ~と喜んでくれた♪

衿巾、袖口丈はオレンジ、全体はグレー地でユニクロ製。(Tシャツ各部位の名称はこちらまで)

胸のロゴは普段ビジター用に使用されているブロック体の「San Francisco」ではなく、1994年から採用されている筆記体のロゴ。その筆記体の「San Francisco」ロゴの左下には2000年から2013年まで採用されていたオルタネイトの「SF」ロゴ(これは余計だ、デザイン的にはいらないなぁ~)。右袖には同じく2000年から採用されている白球の上に「GIANTS」と描かれ、白球の上を「SAN FRANCISCO」、下に「BASEBALL CLUB」の文字で囲んだオルタネイトロゴ。

オリジナルデザインながらも、通常のジャージにもできそうなデザインでまとめられていて、なかなかの掘り出し物であった。願わくは大人サイズもあればよかったんだけどなぁ~(泣)


2010年、新人王を獲得したバスター・ポージーの活躍やマディソン・バンガーナーの台頭などもあり、7年ぶりのナショナルリーグ西地区優勝、8年ぶりのワールドシリーズ進出を果たし、4勝1敗でテキサス・レンジャーズを下して1954年以来56年ぶり6度目、サンフランシスコ移転後は初となるワールドシリーズ制覇を収録したDVDジャケット。筆記体の「San Francisco」ロゴあり。



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シンシナティ・レッズ プラクティスジャージ風

2017-09-07 00:05:00 | 自作Tシャツ
シンシナティ・レッズ プラクティスジャージ風自作Tシャツ

イメージは1999~2006年まで採用されたビジター用プラクティスジャージ。ビジター用プラクティスジャージ着用時のキャップはクラウン・ブリムともブラックだが、私は所有していないので当時のビジター用キャップで代用。

#37_コーキー・ミラー(2002年)

1999~2002年までのビジター用プラクティスジャージ

#4_レイ・オルメド

2003~2006年までのビジター用プラクティスジャージ(両肩に赤のラインが追加)この写真だと、キャップは当時のビジター用か?


シンシナティ・レッズと言えば、当然「赤」のイメージであるが、1999~2006年の期間は例外的に「黒」が際立っている時期だった。

1999~2006年までホーム用オルタネイト、ビジター用ではキャップのクラウン、アンダーシャツ共に黒のユニフォームを採用(ホーム用でも2000~2003年はアンダーシャツが黒だったがキャップのクラウンは赤、ブリムが黒)し、黒がメインカラーに添えられた。

古くからのMLBファンは違和感があったかもしれないが、個人的には黒が多く使われていることで全体的に締まってカッコよく見えた。ケン・グリフィー・ジュニア時代を象徴するユニフォームだったという表現もあるが、正しくそのイメージであった。

#17アーロン・ブーン


#17アーロン・ブーン


左:#10 エディー・タウーベンシー/右:#11 バリー・ラーキン


#32ダニー・グレーブス


#11 バリー・ラーキン


黒いレッズ…好きだったなぁ~という訳で、黒いレッズグッズが欲しかったので、古着屋で100円で買ったTシャツで自作してみたのだった。


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起亜タイガース(기아 타이거즈)ホーム

2017-09-06 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
起亜タイガース(기아 타이거즈)ホーム

2010~2016年モデル。ユニフォームサプライヤーはキャップ同様、2010~2014年はZETT、2015~2016年はマジェスティック。8年ぶりにプルオーバーが廃止されボタン式に戻る。購入したのは2014年秋だったのでZETT製。

先述の通り、2014年11月に社員旅行にて訪れたソウル・蚕室野球場(잠실야구장)にて購入。韓国国内では同デザインのユニフォームはそこそこ好評だったらしい。しかし、2017年からの新ユニフォームは…ヒドいことになっているね。ものすごい改悪だ。

#25 이범호(李 杋浩/イ・ボモ【日本での登録名はイ・ボムホ】)


#7 이종범(李 鍾範/イ・ジョンボム)

2012年5月26日、起亜の本拠地・光州無等総合競技場野球場で行われた引退セレモニー息子の이정후(李政厚/イ・ジョンフ)【現ネクセン・ヒーローズ】に対して始球式を行う이종범(李 鍾範/イ・ジョンボム)。すでに引退の手続きを取っていたため試合には出場しなかったが、この日すべての起亜の選手が背番号7・李鍾範の名前が書かれたユニフォームを着用。


余談だが、その이정후(李政厚/イ・ジョンフ)氏は2016年7月、韓国プロ野球新人ドラフト一次指名でネクセン・ヒーローズに指名され、2017年からネクセンに所属。父が現役時代に「風之子」と呼ばれていたのに対し、政厚は「風之孫」と呼ばれている。

#41 이정후(李政厚/イ・ジョンフ)


ちなみに「タイガース」という呼称は唯一の4つのリーグ[NPB(日本」)、MLB(米・加)、KBO(韓国)、CPBL(台湾)]にて採用されたニックネームである。(ただしCPBLの「三商タイガース」は1999年に解散)

惜しいのは「ジャイアンツ」と「ライオンズ」。「ジャイアンツ」は台湾になく、「ライオンズ」はMLBにないんだよねぇ~

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起亜タイガース(기아 타이거즈)キャップ

2017-09-05 00:05:00 | ベースボールキャップ
起亜タイガース(기아 타이거즈)キャップ

2010~2016年モデル。キャップサプライヤーはユニフォーム同様、2010~2014年はZETT、2015~2016年はマジェスティック。購入したのは2014年秋だったのでZETT製。

2014年は激動の年だった…。長いこと在籍し、定年までずっと居たいと思っていた勤務先が吸収合併され消滅。吸収合併前はそこそこのポジションにいたので、悠々自適なサラリーマン生活を謳歌してきたが、吸収合併されたことによりヒラに降格。非吸収合併会社の中心人物だった私と、私の上司、私の同期は、吸収合併した会社からは目の上のたんこぶみたいな存在だったのだろう、自主退職を促すためにか?日々嫌がらせを受ける日々を送っていた…。

そんな環境だったので、我々非吸収合併会社社員と吸収合併先の社員とは、明確な従属関係が存在し、ギスギスした雰囲気だった。そんな雰囲気を少しでも緩和しようと思い、ソウルへの社員旅行に参加した。(しかし、非吸収合併会社社員で社員旅行に参加したのは私一人だったみんな一緒に行動したくなかったんだろうなぁ…)

社員旅行の際、訪れた「軍事境界線」奥は北朝鮮領域


と言っても、今までギスギスした雰囲気だった吸収合併先の社員と急に仲良くなれるわけでもなく、集団行動もしんどくなったので、途中で抜け出し、かって知った蚕室野球場(잠실야구장)へ向かう。もう、シーズンオフだったがKBO全球団のグッズを取り扱っているショップは営業していたので、そこで購入したのが起亜タイガースのキャップとレプリカジャージだった。光州無等総合競技場野球場(クァンジュムドゥン総合競技場野球場/광주무등종합경기장야구장)が2013年限りで閉鎖されるので、それまでに光州に赴く予定だったが、諸々理由がありキャンセル。どうしても欲しかったわけではなかったが、その時の無念さがあったから起亜タイガースグッズを購入したのかな?

#1 심동섭(沈 東燮/シム・ドンソプ)


左から#41 ハイロ・アセンシオ/#8 안치홍(安致弘/アン・チホン)/#3 김선빈(金善彬/キム・ソンビン)


左から#99ブレット・ピル/#28ジーク・スプライル


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阪神タイガース オリジナルジャージ

2017-09-04 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
阪神タイガース オリジナルジャージ


2001年に星野仙一監督が就任してから、阪神タイガースのマーチャンダイズ展開が活発になった。ジャージ(レプリカユニフォーム)も当時使用されていたユニーフォムモデルのレプリカの他にオリジナルデザインのジャージがどんどん展開された。これも、その一つ。

基本的なデザインはドン・ブレイザー監督就任と同時に「輝流ライン」(ギザギザライン)を廃止、従来の黒と黄色のラインになり、ボタン式からプルオーバー式に変更された1979~1981年モデル。ただし、私が所有しているジャージはプルオーバーではなくボタン式ということでオリジナルデザインということになるであろう。


#19 小林繁


#31 掛布雅之


購入から数年後、首周りのライン処理が若干異なるが、似たデザインが、2005・2006年交流戦用ユニフォームとして採用された(2005年はホーム用として、2006年はビジター用として使用)。
※1979~1981年モデルが復刻ということだが、復刻版はプルオーバーでなく、ボタン式に変更になっている。


左:#76 吉竹春樹/右:#24 桧山進次郎


#6 金本知憲


#9 藤本敦士

基本的には前回のモノクロユニフォームの方が好みではあるが、このチームカラーでもある黄色を組み込んだこのデザインもなかなか秀作である。できればサードユニフォームぐらいの立ち位置で時々使用してもらいたいなぁ~。

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阪神タイガース ホーム用

2017-09-03 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
阪神タイガース ホーム用


安藤統夫監督就任により採用されたデザイン。チームカラーの黄色が消え、モノトーンスタイルとピンストライプキャップ(ブリム、THマークは黒)が復活。途中マイナーチェンジを重ねつつ、基本デザインは2006年の25年間に渡って採用。この間1985年・2003年・2005年の3度のリーグ優勝を果たした。

私がNPBを見るようになった1984年には採用されていたデザインなので、阪神といえばこのユニフォーム!というお気に入りのデザインである。余談だが、全く野球に興味のなかった母もこの阪神のユニフォームのデザインは高く評価していて、12球団で最も美しいと言っていたぐらいだ。

【マイナーチェンジの概要は下記の通り】
①1982~1983年 プルオーバー。背番号は従前からのゴシック書体(丸文字)

#31 掛布雅之

②1984~1987年 引き続きプルオーバー。ホーム用の背番号の書体がゴシック書体からビジター用と同様の角型となる。


#44 ランディ・バース

③1988~1990年 村山実監督の意向によりボタン式に変更。(余談だがビジター用キャップのHTロゴが白から銀色に変更)

#44 セシル・フィルダー


#4 マット・キーオ

④1992~2000年 1985年の日本一にあやかり、プルオーバータイプが復活

#20 郭李建夫

⑤2000~2006年 当時の野村監督の提案によりホーム用縦縞プキャップが廃止、従前のビジター用キャップがホーム・ビジター兼用になる。

#1 中込伸

⑤2001年~2006年 星野仙一監督就任に伴いボタン付きプルオーバータイプ(ボタンが外れるのは上から数個まで、残りは飾り)に変更。背番号、胸番号の書体も高校野球型に変更

#54 ジェフ・ウィリアムス




私が所有しているのは上記⑤タイプ。しかし、一番好きなタイプは当然ボタン式の③。しかし、当時群馬の片田舎に住む中学生の私に購入するすべもなく、上京後④タイプを購入して妥協していたが、プルオーバーとは言え、一応ボタン式スタイルに変更になったので⑤タイプのレプリカジャージに買い替え、④タイプのプルオーバーは着用しないから破棄してしまった。

上記の通り、⑤タイプとセットになっていたキャップはクラウン・ブリム共にブラックのキャップだったが、私は殊の外、個性的な縦縞キャップを気に入っていたので、このジャージ着用時は常に縦縞キャップを着用している。このジャージには縦縞キャップが一番しっくり来る。きっとNPBを見始めたとき採用されていた、この組み合わせの印象が強いんだろうなぁ~

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阪神タイガース プラクティスシャツ風

2017-09-02 00:05:00 | 自作Tシャツ
阪神タイガース プラクティスシャツ風自作Tシャツ


イメージは試合前の練習で着用されるプラクティスシャツ

#1 トーマス・オマリー

正直失敗作…胸の「Tigers」のロゴは本来のロゴと似て非なるものだし、右袖に付けた「TH」ロゴは余計でゴチャゴチャしてるし…

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吸収合併とパワハラ、そして社内失業

2017-09-01 00:05:00 | 独り言・つぶやき
※当ブログのコンセプトとは異なりますが、昨日と本日だけ自分のこと書かせていただきます。書くことでストレス発散になりそうなので…あしからず


自宅から最寄りではないが、通勤でいつも使っている駅近くにあるコンビニの「サンクス」が5月下旬「ファミリーマート」になった。


【2017年3月28日撮影「サンクス」】


【2017年5月24日撮影「ファミリーマート」】

サンクスの運営会社・(株)サークルKサンクスはファミリーマートに吸収合併されて解散。サークルKとサンクスの店舗を順次ファミリーマートに切り替えが行われ、見慣れた風景だった駅前のサンクスはファミリーマートになった。

昔は銀行の合併のニュースををみても「あぁ~そうなんだなぁ~」ぐらいしか、感じなかった。2004年に発覚したオリックスによる大阪近鉄の吸収合併問題においても、合併は断固反対の立場で微力ながら署名活動に参加したが、両球団の合併に伴い新球団を創立するという話を聞いてから合併反対の立場から急にトーンダウンした。所詮、他人事だったのかもしれない。

しかし、今回のサンクスがファミリーマートに吸収合併されたことは他人事には思えなかった。なぜなら、自分も2014年1月、長年勤めていた会社(A社:下記参照)の吸収合併が発表され、同年4月に消滅…、人生が吸収合併により大きく狂ってしまった体験をしたからだ。

吸収合併され会社(A社)は消滅したが、一応吸収合併先の会社(B社:下記参照)に再雇用される形で失業は免れた。業務内容は変わらなかったが、やり方・ルールはB社仕様になり全て変わり、今までのやり方は一切NGになった。顧客から当然クレームが来る。顧客離れが起こる。顧客離れが起こり売り上げが落ちる。

その結果、吸収合併先(B社)のお偉いさんから叱責される。僕を含め消滅会社(A社)の中核を担っていた社員は執拗に罵倒され、吊るし上げられた。さらに、かっての共産主義国家(ソヴィエトや中国共産党)によく見られた「自己批判」を延々と強要された。営業会議はこの「吊し上げ」と「自己批判」がエンドレスに続いた。

※これはあくまでも「吊し上げ」と「自己批判」のイメージ(実際は文化大革命の映像だそうです)

A社の中核を担っていた社員たちは長年業務に従事していたから、トンチンカンな吸収合併先(B社)のやり方には異を唱えてた。だから、彼ら(B社)にとって命令通り動かない僕達は厄介者だった。自主退職させるために、様々な嫌がらせが続いた。僕の元上司は窓際族に追い込まれ早々に自主退職したが、僕は給与が現状維持なら家族のために我慢しようと決めていた。

様々なパワハラ、モラハラに耐えてきたが…吸収合併されてから1年後、突然、給与が約30%ダウンになった…。どんなに頑張ってもA社出身社員の人事評価は「最低レベル」に固定されたからだ。なにか糸がプチーンと切れた。


すぐに転職活動をした。幸いにも数社から内定をいただき、2015年9月に全くの別業種ではあるが、給与も吸収合併前(A社)の水準を保証してくれた会社(C社:下記参照)に転職できた。




でも、転職できたから解決というわけにはいかなかった。転職先(C社)には僕の居場所がなかった。所属する課がない、上司もいない。仕事もない。なぜ採用されたのか当時はさっぱり分からなかった。最初は「仕事をください」と他の課へ社内就職活動をしたが、怪訝な顔をされ、追い払われるだけ…。仕事もできない40歳直前のおっさんは社内の除け者になり、誰かに話しかけることも億劫になり、孤立した。そして、出社してからデスクに座り、時間がすぎるのをただ待つだけの日々が始まった。僕はC社に転職した瞬間から社内失業者になってしまった。業務時間中に仕事をするふりをして座っているだけ、仕事をしてないので(する仕事がないのだが)、蔑んで見られているように感じる他の社員の視線…転職した事を後悔した。

何故、社内失業に陥ったか?それは募集人員1名の枠に僕が採用されたが、後からコネでもう1名押し込んだため、僕は邪魔になった。僕は入社した時から余剰人員だった。余剰人員に振る仕事などない、必然的に僕は社内失業に陥った。主な仕事は、ほかの課への「応援」。要請があれば、駐車券を数える、コピーをホチキス留めする等、単純作業のみ。応援要請がないと、することはほとんどなく、終業時間が来るのを待つしかない。社長の娘でもある取締役にも相談したが「あえて放置している。その中でどういう仕事ぶりをするか見ているところ」だと怪訝そうに言われただけだった。

ただ一日中ずっと、座っているだけ。上記のような単純作業を除き、仕事は何も与えてくれない。与えて欲しいと頼んでも無視されるだけ。ただ9時から18時まで、ずっとPCのモニターを見つめて座っているだけ。吸収合併された後の職場(B社)では様々な嫌がらせを受けたが、まだ何かをやれたから、そこに戻りたいとさえ思った。終日、一言も発することもなく、何もしないということが、何もしてはいけないと言うことが、あんなに辛いとは思わなかった。一秒一秒、どんどん自分が壊れていくのがわかった。


それでも自分が一番輝いていた時に結婚した妻には、こんな状況の自分を見せたくないと、ちっぽけなプライドが邪魔して、打ち明けられなく、過去の栄光にしがみついて現実を見つめられないで1人で悶絶していた日々。自分に自信が全く無くなってしまうと人は過去に救いを求めたくなってしまうのだろう。

信じていた自分自身を疑うようになり、今までは全く疑いもしないことを疑いつくした結果、自信を使い果たし廃人になっていった。自信を使い果たしてしまったときは、新しいことに希望を持つことができなくなる。ホントはすぐにでも逃げてしまいたい。でも、自分はその後どこで何をするんだろう。多分、実際にやってみるといろんなことができるはずなのに、自分になにかができるような気がしなくなり、思考が止まり、感情がなくなり、廃人となった。

人は自信の在庫を抱えて生きているんだと思う。今までやってきたことの積み重ねが次の自分を保証してくれている。その支えが無くなってしまったあのとき、信じていたものを全て否定されたあのとき、自分はどうすればよかったのだろう?


後から知ったが、1999年に放送されたドラマ『彼女たちの時代』にて、追い出し部屋に隔離された椎名桔平演じるサラリーマン「佐伯啓介」の境遇がC社在籍時の自分と重なった。


椎名桔平が追い出し部屋の壁に文字が書かれていることを発見。その文字を読み上げるシーン(全文は下記参照)。これを見た時は涙が止まらなかった。

私の次にこの部屋へ来た人へ

ここに来て1ヶ月もう限界です

なにもしないで じっとしていることが
人間にとって こんなに辛いとは思わなかった

もう どうでも良くなりました

この部屋から逃げ出すことが出来れば
もう何もかもどうでもよくなりました 

悪いことは言わない ここに来た方
会社はあなたを辞めさせることしか考えていない
しかもあなたから辞めるのを待っている

ここにいる1ヶ月間 いろんなことを考えました

なぜ 私はここに居るんだろう
なぜ 私は何もしてはいけないんだろう

会社はなぜ 私を選んだんだろう
ここを出たら私はどうなるんだろう
家族はどうなるんだろう
親はどう思うんだろう
そもそも 私って何なんだろう
私は何のために 生まれてきたんだろう
何のために生きているのだろう
人間が生きてゆくってどういうことなんだろう

そんなことを考えました
答えはわかりません

私の次にこの部屋に来た人に

出来れば 出来れば あなたと話がしたかった
どんな話でもいい 私はあなたと 話がしたかった



いつまでたっても退職届を提出しない私にしびれをきらしたか、入社から約5ヶ月後の2016年2月上旬、話し合いの場が設けられ、退職せざる得ない雰囲気になった。僕にも非はあったので会社側(C社)は解雇にしたかったんだろうが、幸か不幸か社内失業中の詳細をつづった日記の存在を会社側(C社)が知っていて、訴えられるリスクを避けるため協議した上で両者合意による「自主退職」という形で着地させてくれたのかもしれない。転職したばかりだったし、長女が生まれたばかりで、すぐに辞めるわけにはいかないと耐えたが、5ヶ月間で精神も肉体も限界の状態でだったので今思えばこの流れは渡りに船だった。そして、「解雇」という形ではなく退職できたことは救いだった。

C社を5ヶ月で退職した上に、40歳を越えてからの再転職活動は困難を極めた。しかし、幸いにも吸収合併される前のA社の職歴が評価され、2016年3月、今の小さな出版社(D社:下記参照)に再転職できた。今の会社も決していい環境ではないが、B社のようにパワハラもそこまでひどくないし、仕事もあるからC社のように社内失業になることもない。今までに比べれば、まぁ、恵まれている方だ。

【吸収合併によるパワハラ・転職、社内失業を経験した各々会社の概要】
A社:2002年3月~2014年3月
B社による吸収合併で会社消滅。消滅時まで在籍。会社消滅さえなければ定年までずっといたはずの会社。PR関連業務。
B社:2014年4月~2015年8月
A社を吸収合併。A社の中心人物を自主退社に追い込むため様々なパワハラ・モラハラを敢行。最終的には給与大幅削減によりA社の中心人物は全員自主退職せざる得なくなる。PR関連業務。
C社:2015年9月~2016年2月
B社退職後の転職先。コネで一人余計に採用した結果、正規に中途採用された僕が余剰人員となった。そして僕を放置し社内失業者に仕立てあげたパワパラ会社。5ヶ月在籍したが業務には一切従事させてもらえなかった。業務に従事できなかったので毎日の日報を書くことすら困難だった。業種は…万が一のことがあるので非公開。
D社:2016年3月~     
C社退職後、約1ヶ月半の無職時期を経て再就職できた小さな出版社。現在在籍中。
※追記:2018年12月に倒産のため、その前の10月に退社。同月から専門商社のE社に転職


B社のパワハラはもう過去のことだと気持ちの整理は付いている。一瞬で奈落の底に落とされたが、長年勤めた会社(A社)でそれなりのポストにつき、天狗になって浮かれたまま高慢ちきな人間になっていたかもしれないのでいい教訓にはなった。落ち目の時に手を差し伸べてくれた人の優しさに触れることもできた。人間は常に謙虚であるべきだということもこれらの体験から学べた。

でも、C社でのすざましい社内失業経験は…わずか5ヶ月の出来事だったが、未だ引きずっている。逃げたくはないのに、逃げなくてはいけないほど追いつめられたあの時の気持ちを忘れてしまってはいけない。だから今でも、社内失業のトラウマに悩まされる。でも、今は失った自信を少しずつ取り戻す日々。なんでもやれば出来るとは思わないけれど、何も出来ない訳ではない。現実をしっかり見つめられるようになるには時間もすごくかかるし、いろんなプロセスが必要。今はまだその途中なのかもしれない。

冒頭で言及した「サンクス」が「ファミリーマート」の看板にすげ替えられた風景を見た時、自身の吸収合併体験及び社内失業体験が急にフラッシュバックした。旧サンクスの社員さんは大丈夫だろうか?そのことが今でも気がかりである。

参考までに…こちらのブログ記事こちらのブログ記事が少々僕と状況が重なっているように思えた…。うん、ホントこんな感じだったなぁ…

こちらも参考までに…社内失業者の心理状況が共感できた。自分もまさにこんな感じだった。