自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

台湾代表の新ユニフォームがカッコイイ!!!

2017-11-15 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
2005~2008、2011~2013年にアジア・クラブチャンピオンを決める大会として開催された「アジアシリーズ」は商業的不振等様々な理由から形骸化した状態になっているが、個人的には国際的クラブ対抗戦として大好きだった大会だった。それだけに実質中止になった現状は非常に残念である。

その代替というわけではないだろうが、NPB、CPBL、KBO主催にて各国の代表が参加する「アジア プロ野球チャンピオンシップ/亞洲職棒冠軍爭霸賽」の第1回大会が11/16~19に東京ドームにて開催される。(但しフル代表ではなく参加資格は24歳以下またはプロ野球球団入団3年目以内、及びオーバーエイジ枠が各チーム3名可)

国家代表戦はWBC、及びWBSCプレミア12が開催されているので然程目新しくもなく、アジアシリーズのようにクラブ対抗戦でないのは残念ではあるが、新たな国際試合の大会が開催されることは嬉しく思っている。私は11/17(金)開催の台湾代表対韓国代表の試合を観戦予定である。

日本代表はWBC終了後から新たなユニフォームが採用されたが(サプライヤーがミズノからアシックスに変更)、注目は何と言っても台湾代表の新しいユニフォーム


ホーム用は2009~2014年まで埼玉西武が採用していたユニフォーム、ビジター用は1993~2004年まで福岡ダイエーが採用していたユニフォームの様で、なにはともあれシンプルで美しい!!!

ホーム用(#1 陽岱鋼)





遠目からだと胸番号が見えないね。いっそのこと胸番号は削除した方が更にシンプルになっていいかも。

ビジター用(#17 陳冠宇)




近年ではCPBL各球団のユニフォームは洗練された印象を受けたが、代表のユニフォームもそのいい流れに乗った形である。

台湾代表のキャップホーム用ビジター用ユニフォームは長らく台湾の事実上の国旗である「青天白日満地紅旗」カラー、すなわち青・赤・白が配色されていたが、CPBLが主導する初めての国際大会に向け日本の野球メーカー「ハイゴールド」の台湾向け新ブランド「ALUKA」とコラボレーションし、新たなユニホームを作成。黒と白を基調としたデザイン、「台湾」の「T」を強調した新たな「CT」のロゴ、台湾固有種の「台湾犬」を使ったチームロゴなどは、いずれも斬新だ。(過去の日本代表のようにプロ主体の代表ユニフォームは新ユニフォーム、アマチュア主体の代表チームは従前のユニフォームの可能性もあるが。参照はこちら

スポーツの世界にも露骨に干渉してくる北京政府の圧力により国際大会では「台湾」の国名を使用できず妥協案として「Chinese Taipei(中華台北)」という訳の分からない呼称を強要されている台湾ではあるが、今回のプライマリーマークには「Chinese Taipei」と併記ではあるが、堂々と国名の「TAIWAN(臺灣)」が記載されていることは非常に喜ばしい!

※参考までにこんな記事もありました。


日本代表、韓国代表と比較するとかなり豪華なメンバーで構成されている今回の台湾代表であるが、何と言っても一番の注目はCPBL史上2人目(台湾人選手としては初)の三冠王に輝き、2年連続4割を記録した王柏融(ワン・ボーロン/Lamigo桃猿隊)外野手!さらにNPB在籍選手の陽岱鋼(ヤン・ダイガン/巨人)、陳冠宇(チェン・グァンユウ/千葉ロッテ)、吳念庭(ウー・ネンティン/埼玉西武)からも目が離せない。【欲を言えばCSで大活躍だった宋家豪(ソン・チャーホウ/東北楽天)も追加徴収されたら嬉しかったなぁ~】

#9 王柏融 外野手


#1 陽岱鋼 外野手


#17 陳冠宇 投手


#5 吳念庭 内野手


他にも日本と「縁」のある選手も多く、陳傑憲(チェン・ジェシェン/統一獅隊)は岡山県共生高校で、吳念庭の1年後輩である。俊足巧打の1番打者として、チームの年間安打記録を更新し、シーズン終盤まで王柏融と首位打者、最多安打を競ったほか、リーグ2位の17盗塁をマークした。王鴻程(ワン・ホンチォン/中信兄弟)は、陽岱鋼と同じ福岡第一高の出身で、日本経済大、2015年はBCリーグ・石川ミリオンスターズでプレー。また内外野を守れ、打撃もいい陳品捷(チェン・ピンジェ/富邦悍將隊)は昨年から今年にかけて四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックス在籍。投手の羅國華(ロ・グオファ/富邦悍將隊)は今年の上半期に四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスでプレー。朱俊祥(ヂュウ・ジュンシィァン/Lamigo桃猿隊)は、今シーズンLamigoの2軍投手コーチを務めた杉山賢人氏(現埼玉西武)に指導を受けた。

#24 陳傑憲 内野手


#60 王鴻程 投手


#13 陳品捷 内野手


#71 羅國華 投手(上段は高知時代)




#16 朱俊祥 投手



また、日本戦先発予定の林樺慶(リン・ファチン/Lamigo桃猿隊)は、2015年のオフに千葉ロッテの秋季キャンプに参加。当時の落合英二コーチ、小林雅英コーチを介し、石川歩のシンカー、大嶺祐太のスプリットを学んだ。今年の台湾シリーズで、シリーズ記録となる1試合8打点をマークした内野手の林承飛(リン・チォンフェイ/Lamigo桃猿隊)も同年、千葉ロッテの秋季キャンプに参加している。

#15 林樺慶 投手


#6 林承飛 内野手


このほか、クローザーの陳禹勲(チェン・ユーシュン/Lamigo桃猿隊)は、千葉ロッテのほか、CPBL兄弟象隊など6カ国でプレーした小林亮寛氏が経営する施設で、オフに自主トレを行っている。

#21 陳禹勳 投手


他に注目選手としては、今シーズン.351、17本塁打、77打点の好成績を記録し若き4番としての任務を果たした蘇智傑(スー・ジージェ/統一獅隊)、今季いずれもリーグ2位となる27本塁打、83打点を記録した朱育賢(ジュウ・ユィシェン/Lamigo桃猿隊)等々か。

#32 蘇智傑 外野手


#85 朱育賢 内野手


CPBLは今大会のためにライブ配信アプリとコラボレーションし、オーディションで12人組のチアガール「棒球女孩(ベースボールガールズ)」を選抜。東京ドームで行われる本大会には、この「棒球女孩」から4人、CPBL4チームから各1名、合計8名のチアガールが参加する予定。このほか、CPBLの各チームの応援団も参加予定となっており、東京ドームで台湾プロ野球の「応援文化」を楽しむこともできる。台湾からの観戦ツアーも組まれており、多くの台湾人ファンの来場も期待され、こうしたファンとの交流も国際大会の醍醐味である。

アジアの頂点を狙える戦力が揃った今回の台湾代表がこの美しいユニフォームをまとい東京ドームで躍動する姿を観戦するのが待ちきれない!

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

F1自作キャップ光景

2017-11-14 00:05:00 | 自作キャップ
F1グッズは高い…じゃ、自作しちゃえばいいや!という安直な発想で始めた自作Tシャツ。F1Tシャツだけに収まらず、徐々に野球Tシャツも自作するようになる。

それがだんだん悪ノリしてきて、高価でずっと購入を控えていたF1キャップも自作してもうた。振り返ると8個作ったか…。


【上段左から】
BENETTONキャップ
GOOD YEAR自作キャップ
Marlboroキャップ
LUCKY STRIKEキャップ
【下段左から】
7upキャップ
Westキャップ
John Player Special (JPS)キャップ
CAMELキャップ

改めて自作したキャップをこう全部並べてみると、よう作ったなぁ~という、完全自己満足の達成感がある(笑)まぁ、もうネタもないし自作することはないので総括してみた。

話は変わって、そろそろ、ここに書こうと思っていた野球やF1等々のグッズも書き終わりネタ切れになる。このブログどうしよう?最近始めたジョキングの記録に活用しようかな?

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ジョギング 第7週【11/11,12】

2017-11-13 00:05:00 | ジョギング
明らかに腹の肉が減った!まだ1ヶ月ちょっとしかしていないのでジョギングの効果かどうか因果関係は不明だが、目に見える効果が表れてくるとモチベーションは上がるね!

しかし、嫁ちゃんとハグするとたまにまだ残っている腹の肉や脇の肉をつままれる。まだまだ落とすべき肉はある。それを新たなモチベーションとしてジョギングを継続しなければ。

11月11日(土)
この日は嫁ちゃんが月に一度の土曜日出勤。午前中は家事、子どもたちの世話、昼からインフルエンザの予防接種、息子の習い事であるプールの送迎がありジョギングはAM6:20スタート。マラソン大会を翌月に控えた息子の練習のために前回同様自宅から小金城趾駅まで往復コース(約1,5km)をこなしてから、ヤオコー南流山店まで往復(約3,3km)。計4,8km走る。

最終的には10kmはこなせるようになりたいが、今はともかく5km前後を息切れなくこなせるようになりたいなぁ~。

ちなみに息子はプールの練習は行きたくないとサボった。誰に似たのやら(苦笑)

11月12日(日)
息子が先日プールの練習をサボったので、この日に振替で練習のため送迎。その後、通常コースをジョギング。帰宅したら先日注文したスマホ等を入れられるアームホルダーが届いていた。遅ぇ~よ、ジョギング終わっちゃったじゃん!(苦笑)

しかし、このアームホルダーにスマホと小銭入れを収納できるので、これからはウエストポーチに水筒を入れられる。来週からようやくフル装備でジョギングできるぞ

週末ランナーなので週1,2回しかジョギングをこなせていないので、まだまだジョギングする筋力、肺活量が回復していない。平日5日間何もしないとあっという間に筋力が落ち、久しぶりに週末走ると筋肉痛が発生する繰り返しである。そういった意味でも本来なら週3回程度が望ましいらしい。ホントはあともう1回平日に走れるといいのだが…。平日は楽天ポイントを貯めるため対象店舗へ赴き約1万歩は歩いているが、やっぱ平日に1回ぐらいは走るべきだよなぁ…

基本コースは自宅から流鉄沿いを走り新松戸駅を得てダイエー新松戸店に寄って休憩してから自宅に戻る約4,4Km。

※出発地点の自宅は非表示

※ダイエーによるのはRakutenチェックを使い楽天ポイント10ポイント貯めるため



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Abbey Road & Penny Lane 標識風壁掛けスチールボード 他

2017-11-12 00:05:00 | その他グッズ等諸々
Abbey Road & Penny Lane 標識風壁掛けスチールボード

ロンドン地下鉄・ジュビリー線のセント・ジョンズ・ウッド(St.John's Wood)駅から、かの有名なEMIスタジオ前の横断歩道に向かう途中にあったビートルズショップで購入。






もはやアートの領域に達している同名のアルバムジャケットをモチーフとしたTシャツも自作したし、インテリアとしても活用している。

Abbey Road レコードジャケット


Abbey Road 壁がけ写真


Abbey Roadのピンバッジもあったはずなんだけど、現在紛失中。


残念ながら、前回イングランドに行った際は時間がなくリバプールのペニー・レインまで足が伸ばせなかった。子どもたちが独立したら嫁ちゃんと2人で旅行に行こうと約束しているので、その際にはビートルズファンの聖地の一つであるペニー・レインにも行けたらいいなぁ~



レノン=マッカートニーのクレジットだが、実質的にはポール・マッカートニー作曲。ペニー・レインという響きを気に入っていたポール・マッカートニーが、過ぎ去りし日々を思い出し作曲。ただ、実際にペニー・レインに住んでいたのはジョン・レノンでポールは足しげくジョンの家に通っていたと言われる。

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サンフランシスコ・ジャイアンツ ビジターTシャツ【#23 青木宣親Ver.】

2017-11-11 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
サンフランシスコ・ジャイアンツ ビジターTシャツ【#23 青木宣親Ver.】

サンフランシスコ・ジャイアンツ自作ビジター風Tシャツ作成前に購入。後述どおり安価で入手できたので、あまり文句は行ってはいけないのだろうが…「SAN FRANCISCO」ロゴ上にあるマジェスティックのロゴが邪魔。何でもかんでも自社のロゴを目立つところに入れるのはホント勘弁して欲しい。昔はそんなことしなかったのに…。


2015年のみ在籍した青木宣親選手バージョン。シアトル・マリナーズに移籍した2016年、ABCマートのファイヤーセールにて入手。

#23 青木宣親

他のロゴやラインはオレンジのアウトラインがあるのに、ラケットラインだけが黒単色で非常に違和感あり。何故2012年からこのラケットラインが追加されたか謎。

#35 ブランドン・クロフォード

2000年~2011年モデル(但し、2005年から「SAN FRANCISCO」のロゴのアウトラインにゴールドが追加、他、袖のロゴ等のマイナーチェンジは何度かあり)

個人的には1994~1999年まで採用された「SAN FRANCISCO」ロゴ の方が好みではあるが、当書体の「SAN FRANCISCO」ロゴはニューヨークからサンフランシスコに移転した1958年から1972に使用された歴史ある書体なので、原点回帰したロゴという点では評価は高い。但し、2005年からアウトラインにゴールドを追加したのはいただけない。なんか、急にけばけばしくなったように思えた。


サンフランシスコ移転後、初のワールドチャンピオンに輝いたサンフランシスコ・ジャイアンツ(2010年)


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紫煙燻らせ、浴びるほどアルコールを摂取し、恋をして、失恋した青春の地「下北沢」

2017-11-10 00:05:00 | 街の風景
11月8日(水)@下北沢



仕事で夕方から向ヶ丘遊園駅周辺に赴き、そこから途中下車して久々に下北沢に寄った。

大学入学を機に上京してから、ずっと小田急線沿線に住んでいたので、20代前半、もっとも濃密な時間を過ごした思い出深い地である。時間さえあれば下北沢でデートして、紫煙をくゆらす中で飯を喰い、酒を飲み、この地で失恋し…。

失恋してから避けるようになり、そのうちに引越しをし小田急沿線から離れ疎遠になった。よって、下北沢に降り立ったのは約15年振り。小田急の駅が地下化されていたことは時々乗車する小田急線の車中から眺めて知っていたが、街は随分と変わっていた

北東から南西に街を分断していた小田急線の線路が地上から地下に潜ったことで悪名高い踏切は一掃され、15年前は下北沢駅南口のランドマークだったTSUTAYA&ドトールコーヒーの建物は消え駅舎となり、よく通っていたミリタリーショップもなくなっていた。僕が青春を謳歌していた頃と比べ半数以上の店は消え、20代の頃見た風景とは大きく変わっていた。15年ぶりだから推測に過ぎないが、きっと以前より開店~閉店のサイクルが短くなっているのだろう。逆にまさかあの大手がここに?という店舗もあった。

北口にあったノスタルジックな「下北沢駅前食品市場」は、すっかり消えた。

殆どの建物は撤去され、1件だけぽつんと残っていた飲食店…。

在りし日の「下北沢駅前食品市場」

いくつかあった入口の一つ


上から見るとトタン屋根が不規則にひしめいていた


中は日中でも薄暗かった

戦後の闇市の名残りであった「下北沢北口駅前食品市場」。僕が上京した当時にはこの「闇市的」な場所の規模は小さくなっていたが、1980年代頃まではかなり大きかったらしい。アジアのカオスな雰囲気が漂う、お気入りの場所は、都市開発のため建物は立退き対象となる。

下北沢北口駅前食品市場跡地は駅前ロータリーとなるらしい

駅前にロータリーがなくバス・タクシーなど他の公共交通との結節機能が脆弱だったから必要な整備だったんだろうけど…なんか無機質な街並みになってシモキタ独特の風情が失われ寂しい。


でも、街をぶらつくと変わらない風景も残っていて郷愁にかられた。

・古着屋の「CHICAGO」

下北沢に来たら必ず寄っていた店。この日も安価でいいキャップがあり、散々悩んだが最近散財気味なので泣く泣く断念(苦笑)。原宿にある店舗は、今でも仕事で近くに行けば頻繁に通っている。

・インド・パキスタン料理「ににんがよん(2×2=8)」



下北では珍しい食べ放題の店。若い頃はお金もなかったし、よくここで限界までカレーを食べていた。まだ、あったんだなぁ~とすごくホッとした。この日も寄りたかったが、そこまで空腹ではなかったので断念。税抜価格は以前と変わってなかった。

・「ヴィレッジヴァンガード」

本多劇場内にある「ヴィレッジヴァンガード」。サブカルチャーをもっとも手軽に体感できる場所だった。「楽しさ」を感じさせる売場空間の創造が当時も今も心地いい。もはや観光地レベル、史上最も狂ってる下北沢店。


最後にせっかくだから新しい下北沢の味を堪能しようと、以前はなかったラーメン屋に寄る。

「俺流熟成塩らーめん」 お店の名前は…渋谷生まれの塩らーめん「俺流塩らーめん」…んっ、下北発祥のお店ぢゃないじゃん!(苦笑)


楽しかった。物事が今よりクリアに見えなかった分、勢いだけで突っ走れた20代前半の思い出が走馬灯の様にフラッシュバックした。この地での失恋のトラウマは流石に払拭できていたみたいだし(笑)、また時間があったらぶらり途中下車してみよう。






僕の愛した下北沢の特徴は、ある社会層に偏らず多様な社会層が密集していること。若者の街として本格的に発展したのはせいぜい 30年前。先述の「下北沢北口駅前食品市場」のように顧客のターゲットを若者のみに絞ることもなかった。下北沢はこの地域に居住する人々が日常生活用品を求める街であり、ショッピングの街でもあり、アメ横的魅力を追う人々の街なんだ。

だから、下北沢に集う人間の種類は多種に渡る。金持ちや商店主、子犬を連れた奥様、学生、フツーのサラリーマン、バンドマン等、ありとあらゆる人種が下北沢には密集している。改めてそう思った。

安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします

2017-11-09 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
「史上最高の右腕の一人」ハラディ氏が死去、操縦する軽飛行機が墜落


米大リーグ(MLB)のフィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)などで活躍し、サイ・ヤング賞(Cy Young Award)を2回獲得した元投手のロイ・ハラディ(Roy Halladay)氏が7日、自らが操縦する軽飛行機がメキシコ湾に墜落して命を落とした。40歳だった。

 フィリーズは事故の直後に声明を発表し「ロイ・ハラディ氏の不慮の死という悲劇的な知らせに衝撃を受け、言葉がありません。フィリーズファミリー全体が、野球史で最も尊敬される人間の一人が失われたことを悲しんでいます」と哀悼の意を示した。

 フロリダ州(Frorida)のパスコ郡保安官事務所によると、ハラディ氏が乗っていたのはエンジンが一基の軽飛行機で、同乗者はいなかったという。保安官は記者会見で、同氏は飛行機の操縦が非常に好きだったと明かし、「彼の親族にも飛ぶ人間がいるのを知っている。そういう環境で育ってきた男だ」と語った。

「飛ぶことを愛していたし、その話をよくしていた。機体をいじるという話もしていた。そうやって育ってきたんだ。野球のことを話し、みんなで飛ぶことを話していた」

 ハラディ氏は、トロント・ブルージェイズ(Toronto Blue Jays)とフィリーズで16年にわたってMLBでプレーし、2013年に現役を引退。2010年には完全試合、同年のポストシーズンにはノーヒットノーランを達成した。オールスターには8回選出されているが、ワールドシリーズ制覇には手が届かなかった。

 妻ブランディさん、息子ライアン君とブレイデン君の3人の家族がいるハラデイ氏の死に対しては、元チームメートや野球界のスター選手たちから数多くコメントが寄せられている。元ブルージェイズのバーノン・ウェルズ(Vernon Wells)氏は、ハラディ氏は史上最高の選手だと述べ、ツイッター(Twitter)に「彼のすごさを最前列で目撃してきた。安らかに、ドク」と投稿した。

 元フィリーズ内野手のマイケル・ヤング(Michael Young)氏は「非常に残念だ。自分にとっては最高のチームメートの一人。競技者の手本のような選手だった。安らかに、ロイ・ハラデイ。家族のことを思うと胸が痛む」とつづった。ヒューストン・アストロズ(Houston Astros)で2017年のワールドシリーズを制したダラス・カイケル(Dallas Keuchel)投手は「安らかにドク・ハラディ。史上最高の野球選手の一人。惜しいよ」と短くコメントしている。

引用先はこちら


低迷期のブルージェイズを支えてくれた偉大なるエースだった彼の早すぎる訃報はあまりにもショックだ…。ありがとう、ドク…。安らかに、ドク…。






John Lennon フィギュア

2017-11-08 00:05:00 | 模型・フィギュア等
ジョン・レノン フィギュア


大学生時代から社会人なりたての頃はガンダム、野球選手、スター・ウォーズ等々、結構な数のフィギュアも集めていたが、引越しのたびに破棄され、現在手元に残っているフィギュアはこれ1つのみ。

購入したのは、10数年前。今はなき秋葉原の旧ラジオ会館にて。本来ならボイス機能が着いて音声が出るはずのだが、購入したときから声は出ず。不良品を買ってもうた(苦笑)。まぁ、観賞用だから支障はないんだけど。

5ドルで購入した「NEW YORK CITY」Tシャツの半袖部分をカットしノースリーブにしたシャツを着用して1974年8月29日、NY東52番街のペントハウスの屋上にて撮影されたジョンのアイコンとも言える象徴的ショット。

そのショットが、当フィギュアのモデルになっている。(詳細はこちらを参照)

当時34歳、反戦的イメージを全面にだした結果、商業的には失敗し路線変更を模索していた頃である。

ジョンに関しては、ただ一言…

ホント、カッコいいわぁ~❤

これに尽きる!

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Lotus 97T プラモデル

2017-11-07 00:05:00 | 模型・フィギュア等
Lotus 97T プラモデル









以前の職場の同僚からのいただきもの。アイルトン・セナが初優勝を飾ったポルトガルGP仕様。

なんて、素晴らしく、精巧な作りなんだ!私も高校生ぐらいまでプラモデル制作を嗜んでいたが、ここまでの技術は持ち合わせていなかった。カーボンモノコックのリアルの再現、細部に渡るエンジン周りの塗装テクニック等々…こんな素晴らしい完成品をを目の当たりにすると…昔自分が作ったプラモなんて…幼稚園児の工作レベルだな。

なにはともあれありがとうございました!

ロータス・97T (Lotus 97T) は、チーム・ロータスが1985年のF1世界選手権開幕戦から最終戦まで実戦投入された参戦用に開発したF1カー。設計はジェラール・ドゥカルージュ。私が愛するJPSロータスの車体の一つである。JPS以外のスポンサーロゴを含め、全てブラック&ゴールドに統一されていることが97Tを含めJPSロータスの美しさ源であろう。

ドライバーは、エリオ・デ・アンジェリスとアイルトン・セナ。No.2ドライバーとしてチームに加入したセナであったが、デ・アンジェリスを上回る速さを見せ、第2戦ポルトガルGPではポールポジションを獲得。初優勝、ファステストラップを記録し、ハットトリックを成しえた。

雨のポルトガルGPで初優勝を飾った#12 アイルトン・セナ






アイルトン・セナの台頭により、居場所を失い1985年限りでチーム・ロータスを離れることになった#11 エリオ・デ・アンジェリス



それでも第3戦サンマリノGPで優勝を飾っているのは流石である。低迷期のロータスを支えた

リアウイングの「John Player Special」のロゴは第12戦イタリアGP以降「John Player」に変更。

「John Player」のロゴは翌年の98Tにも継続される。

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ジョギング 第6週【11/4,5】

2017-11-06 00:05:00 | ジョギング
週末だけとはいえ、なんとかジョギングは1ヶ月継続。そして2ヶ月目に突入!

11月3日(祝・金)
午前中は息子の将棋大会、午後は嫁ちゃん、息子、娘3人が嫁ちゃんの友達の家で開催されるハロウィンパーティーに行ったので久々の一人。一人の時間を満喫すべく都内で出かけたので、この日のジョギングはなし。

11月4日(土)
久しぶりに息子と一緒に走ったが、息子は1kmも走らないうちから息が上がり、ペースも極端に落ち限界だっため、ジョギングコース途中にあるダイエー新松戸店へ車で買い物に来ていた嫁ちゃんに引き取られ途中リタイヤ…。こんなんで12月のマラソン大会は大丈夫なのだろうか?

11月5日(日)
先日、あまりにも息子が走れなかったので、この日は息子ためにコース変更。息子は自宅から小金城趾駅まで往復1,5kmのみ走る。それでもしんどそうだった。ほんとに大丈夫かなぁ?息子のジョギング1,5kmに付き合った後はヤオコー南流山店(往復約3,3km)まで走る。合計で4,8km走ったので普段の走行距離とほぼ変わらず。


さて、10月1日から初めたジョギング。気軽にできるスポーツだとは思うが、最低限のグッズは必要。まぁ、私が形から入るタイプなので、必要以上に購入したものもあるが、100均グッズをメインに揃えてみた。

スポールデポにてランニングシューズがぼろぼろになっていたので新調


スポーツデポにて吸収性、速乾性の高いランニングシャツ新調

ここまではきちんとした商品を揃えたが。あとは全て100均で揃えてみた

ウエストポーチ

10月中旬に購入。ジョギングを始めて、まず気付いたのが…当たり前だがジョギングをしながら小銭やスマホを持ち歩くのは邪魔である。当初は通常のウエストポーチを使用してみたが、走ると上下に揺れて実用的ではないので、ベルト部分がゴムでうす~いウエストポーチを使用中。ネットショップを検索してみると同様の商品が500円前後はするらしいので、これで100円(税抜)は素晴らしい!
※水筒代わりのペットボトルをこのウエストポーチに収納したいので、現在ここに収納しているスマホを入れるためのアームホルダーの購入を検討中。→しかし、このウエストポーチは水筒を入れるのに適していないことが発覚。後ほど別のものを買い直す予定。

キャップ

専用のランニングキャップではないので通気性が優れているわけではないが、100円(税抜)だけあって生地が薄く軽量のためランニングには適しているかも。当初はコレクションのキャップを着用して走っていたが汗ジミがスゴイことになってしまった。コレクションキャップは、観賞用も兼ねているので目立った汚れが付着するのは好ましくない。よって、以前色合いが好きという理由だけで購入したこの100均キャップを愛用中。これなら汚れても支障ないし。他に元々ランニングキャップだったこちらも使用している。

スポーツウォッチ



日常で使用している時計が汗等で故障するのも嫌なので、専用のウォッチも100均で購入。ホントはホワイトかブラックが欲しかったがなかったので、キャップに合わせてスカイブルーにしてみた。ネットショップを検索してみると同様の商品が500~1000円ぐらいはするらしいので、これで100円(税抜)は素晴らしい!

LEDリストライト

これも100均グッズ。夜間に走行していると闇に紛れてドライバーが私の存在を確認しづらくなってしまうため夜道での交通安全用アイテム。自転車の反射板(リフレクター)と同じようなもの。走るのはほとんど日中のため現在は利用機会はないが、これから日没時間が早くなるので使う機会があるかな?

サングラス

正直、サングラスはあるので新調する必要もなかったが、まぁ、100円だからいいかぁ~というノリで購入。でも、今まで白いフレームのサングラスは所有していなかったので気に入っている♪

趣味程度のジョギングだから100均グッズで充分ですな しかし、今は100均で随分揃うもんなんだなぁ~

基本コースは自宅から流鉄沿いを走り新松戸駅を得てダイエー新松戸店に寄って休憩してから自宅に戻る約4,4Km。

※出発地点の自宅は非表示

※ダイエーによるのはRakutenチェックを使い楽天ポイント10ポイント貯めるため



●ジョキング実施履歴はこちら

大日本東京野球倶楽部のユニフォーム

2017-11-05 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
日本で4番目に誕生(※)した職業野球(プロ野球)球団である「大日本東京野球倶楽部」
※ちなみに大日本東京野球倶楽部以前に存在した職業野球球団は「日本運動協会(1920年〜1923年)」→「宝塚運動協会(1924年〜1929年)」及び「天勝野球団(1921年〜1923年)」

改めてそのユニフォームを見ても、そのデザインは非常に秀作であった。(1935年5月バンクーバー・アスレチックパークにて撮影された下写真の出典はこちら

後列左から#8 水原茂(三塁手)/#17 沢村栄治(投手)/#15 畑福俊英(投手)/三宅大輔(総監督≒現在のGMに近い地位。但し写真には「コーチ」記載のため監督の役割も担った可能性あり。登録上の監督は写真には写っていないが浅沼誉夫)/#11 倉信雄(捕手)/市岡忠男(総監督≒現在のGMに近い地位。監督は写真には写っていないが浅沼誉夫)/鈴木惣太郎(写真には「GM」と表記されているが実質はケアテイカー。余談だが私の地元・群馬県伊勢崎市出身!)/#3 田部武雄(二塁手)/#9 青柴憲一(投手)/#5 苅田久徳(遊撃手)/#6 永沢富士雄(一塁手)/#4 ジェームズ・フミオ・ホリオ 通称:ジミー堀尾(外野手 日本名は「堀尾文人(ほりおふみと)」日本初の両打、日本初の外国籍選手でもあった)
前列左から#18 ヴィクトル・スタルヒン(投手)/#14 江口行男(内野手控え)/#12 新富卯三郎(外野手)/#13 津田四郎(三塁手)/#2 矢島粂安(外野手)/#20 内堀保(捕手)/#19 中山武(捕手)/#10 山本栄一郎(外野手控え)
◆監督の浅沼誉夫、外野手の#1 二出川延明は上記集合写真に写っていない 

【原文】 Group portrait: standing (L-R) Shigeru Mizuhara 3B, Eiji Sawamura RHP, Toshihide Hatafuku RHP, Daiske Miyake COACH, Nobuo Kura C, Tadao Ichioka MGR, Sotaro Suzuki General Manager, Takeo Tabe 2B, Kenichi Aoshiba RHP, Hisanori Karita SS, Fujio Nagasawa 1B, Jimmy Horio CF. Kneeling (L-R) Victor Starffin RHP, Yukio Eguchi UT, Usaburo Shintomi OF, Shiro Tsuda 3B, Kumeyasu Yajima OF, Tamotsu Uchibori C, Takeshi Nakayama C, Eiichiro Yamamoto UT.

選手詳細はこちら

左:#1 二出川延明/右:#2 矢島粂安

二出川さんといえば「俺がルールブックだ」「気持ちが入ってないからボールだ」「写真が間違っている」等の名語録で有名だった審判のイメージが強い

総監督:三宅大輔


1935年当時、日本で唯一の職業野球球団であった「大日本東京野球倶楽部」はMLBマイナーリーグとの対戦のためアメリカ・カナダ遠征を実施。その際に使用されたユニフォームは遠征=敵地(ビジター)であることからグレーの生地を採用。当時MLBでも多くの球団が採用していたラケットラインを織り込み、左胸には「TOKYO」の文字と日の丸を配した王冠のようなデザインのロゴ。

左胸にワンポイントでロゴを配置するのも当時のMLBの流行を取り込んでいると推測できる。当時としては、かなりファッショナブルなデザインではなかっただろうか。

左袖には漢字の縦書きで「日本」、左袖にはアラビア数字で袖番号

1924年に年間を通じて初めて袖番号を導入したセントルイス・カージナルスを意識したデザインか?ここでも上手くMLBの流行を取り入れている。

日本と球団ということをアピールするためか?背番号は漢数字で描かれていた。非常にユニークではあるが、非常に奇妙でもある。



背番号の漢数字表記は、恐らくこの1935年の大日本東京野球倶楽部以外は存在しないであろう。よって背番号はかなり奇異に感じるが、それ以外は説妙なバランスで球団ロゴ等が配置され、現在の感覚でも非常に洗練されたデザインのように感じる。

キャップは趣味じゃないけど(苦笑)


2016年にアンダーアーマーから大日本東京野球倶楽部Tシャツが販売されたが、左胸の球団ロゴが実際よりもかなり小さく、お値段も高価だったので購入はしなかったが、う~ん、やっぱ入手しとくべきだったか…


球団ロゴさえネットで見つけられれば、自作できるのだが…今現在では見付からなくそこまで至ってない。やっぱアンダーアーマー製Tシャツ買っとけばよかった…後悔先に立たず…


ちなみに大日本東京野球倶楽部の集合写真が撮影された「アスレチックパーク/Athletic Park」所在地は「north-east corner of Hemlock Street and West Fifth Avenue」と記載されていたので、現在の「グランビル・ループ・パーク/Granville Loop Park」辺りか? だとしたら、バンクーバーに住んでいる時、近くは通ったはずだ。う~ん、その時知っていたのなら、じっくり見たのに…残念なことをした。

【1923年当時の地図。ほぼ中央に「ATHLETIC PARK」がある】
余談だが、現在は陸続きになっているグランビル・アイランドが当時は島になっていたことが分かる

ちなみにアスレチックパークは1951年に解体され、以後バンクーバーの主要球場は現在も使用されているNat Bailey Stadium/ナットベイリー・スタジアム(1951年開場当時はCapilano Stadium/キャピラノ・スタジアム)になる。

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

アルバム「Rock 'n' Roll」(John Lennon)レコード 

2017-11-04 00:05:00 | その他グッズ等諸々
アルバム「Rock 'n' Roll」(John Lennon)レコード 



1. Be-Bop-A-Lula
2. Stand By Me
3. Medley: Rip It Up/Ready Teddy
4. You Can't Catch Me
5. Ain't That A Shame
6. Do You Wanna Dance
7. Sweet Little Sixteen
8. Slippin' And Slidin'
9. Peggy Sue
10. Medley: Bring It On Home To Me/Send Me Some Lovin'
11. Bony Moronie
12. Ya Ya
13. Just Because
14. Angel Baby
15. To Know Her Is To Love Her
16. Since My Baby Left Me
17. Just Because (Reprise)

1950 - 1960年代にヒットしたロックのスタンダード・ナンバーのカバーを収録。ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」やチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」等を取り上げている。

チャック・ベリーもカッコいいなぁ~

中学3年生の時、初めて買ったジョン・レノンのCDがアルバム「Rock 'n' Roll」だった。その影響もあり、「Stand By Me」はジョンのバージョンが一番お気に入りだ。オリジナル曲は収録されていないがお気に入りのアルバムだ。

ジャケットも芸術性が高い仕上がりで、ユルゲン・フォルマー(Jürgen Vollmer)が1961年のハンブルクツアーの際に撮影したもので、ジョンの前を横切る影はポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフである。レコードプレイヤーを所有していないにも関わらずインテリア用としてレコードも改めて購入した。

ビートルズがメジャーになる舞台になったライブハスウである「The Cavern Club(キャヴァーン・クラブ)」と道を隔てたところにある「Cavern Pub(キャヴァーン・パブ)」前には「Rock 'n' Roll」のジャケットイメージを彷彿させるジョン・レノンの像が1997年1月16日に設置されたのは有名な話だ。


ビートルズ末期からソロ活動初期のロン毛でヒゲモジャ、丸メガネのジョンもカッコいいが、この頃のジョンもとんがった雰囲気がするロックンローラーって感じでサイコーにイカしている!ティーンエイジャー後期はこの頃のジョンの真似をして、よく革ジャンやレザーパンツを着用したもんだwww 全然似合わなかったらしいが(爆笑)

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読売ジャイアンツ 原辰徳選手引退記念パネル

2017-11-03 00:05:00 | その他グッズ等諸々
原辰徳選手引退記念パネル

1995年10月8日 巨人対広島(東京ドーム)
引退試合にて最後となる通算382号本塁打を放つ#8 原辰徳/投手:#11 紀藤真琴/#32 西山秀二

日刊スポーツの通信販売により購入(当時はネットが普及していなかったのでハガキで申し込みしたような記憶あり)

少学校3年生だった、とある日曜日。父親がいつものようにリビングのテレビを占領していたので、特に意識することなく父親の横に座り一緒にそのテレビ番組を見た。ブラウン管に映し出された映像は後楽園球場で開催されていた巨人対阪神戦だった。

当時、僕は全く野球に興味もなく、退屈しながら観戦していたが、一瞬の出来事に目を奪われた。

打席には巨人の四番打者・原辰徳選手。山本和行投手が頬ったストレートを左翼席に放り込むホームラン!鳥肌が立った!理由は分からないが「すげぇ、カッコいい!」と感じた。ダイヤモンドを悠々と1周する原辰徳選手が物凄く輝いて見えた。この瞬間から僕は野球ファンになった。


原選手のホームランにすっかり魅了され、すぐに両親に野球チームに入りたい旨を伝えた。当時、僕はまるっきりの運動音痴。野球なんかできるもんかと反対されたが、病気がちだった僕が運動をすることで少しでも健康になるのならいいじゃないかと考え直してくれて野球をすることになった。今はもう、野球をプレイすることはないが、息子とキャッチボールをしたり、変わらずテレビや球場で野球観戦を続け、野球漬けの日々を送っている。

幼少の頃から現在でも巨人は好きではないが、選手に対しては常に敬意を抱いていた。その中でも原辰徳選手は格別だった。「原辰徳のパーフェクト野球盤」なんてものまで買ってもらった。


野球を愛するきっかけを作ってくれた原辰徳選手の引退は僕にとって一大事だった。

もう、20年以上も前の出来事だが、今でも鮮明にその勇姿を覚えている。

今の若い子は巨人の監督として、WBC日本代表の監督として数々の偉業を成し遂げたイメージだろうが、僕にとってはいつまでも「永遠の若大将」原辰徳選手である。


野球少年だった僕は野球選手にはなれなかったが、父親となり息子と野球の話で盛り上がり、公園でキャッチボールをしたり、球場で観戦したり、親子のコミュニケーションの潤滑油的な存在になっている野球。野球って本当に素晴らしい!

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近鉄バファローズ ホームモデル

2017-11-02 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
近鉄バファローズ ホームモデルTシャツ

1974~1976年に使用されたホーム用ユニフォームをモデルにしたTシャツ。袖章が一般的に認知されている岡本太郎画伯の猛牛マークでないのが特徴。2011年、オリックス・バファローズが企画した「LEGEND OF Bs2011~蘇る黄金の70’s~」 近鉄バファローズ復刻イベントの一商品。

#3 羽田耕一


#68 西本幸雄監督




2011年8月19日(金)北海道日本ハム対オリックス・バファローズの観戦のため訪れた札幌ドームにて購入。

【スケールズ、サヨナラ押し出しフォアボール 北海道日本ハムハム×オリックス(2011.8.19)】


その際、同じく復刻されてキャップもあったが、デザイン的にあまり好みではなかったので購入せず。正直後悔している。

購入しなかった1974~1978前期モデルのキャップ



当時のMLB、アトランタ・ブレーブスが1972~75年に使用していたユニフォームがモデル。

#44 ハンク・アーロン

ただしバファローズはラグランスリーブには赤を採用。当時の西本幸雄監督がチームのキャッチフレーズとして打ち出していたのが「燃える野球」。燃える色=赤ということらしい。

このユニフォームは使用期間が長く、大阪ドーム本拠地移転直前の1996年まで使用されていた。その期間はなんと23年間にも及んでいる。そのためマイナーチェンジが繰り返されてきた。

私の世代だと近鉄バファローズと言えば、この赤いラグランスリーブ!このモデルはリアルタイムで目にすることはなかったが親しみあるデザインである。

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バンクーバー・カナックス ジャージ

2017-11-01 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
バンクーバー・カナックス ジャージ

1997/98~2006/07シーズン使用モデル。バンクーバーに住んでいた1999年に「メトロポリス・アット・メトロタウン」(バーナビーにあるショッピングセンター)で購入。

ジャージのデザインとしては2007/08シーズンから現在まで使用されている方が好きなので、できればそちらも購入したいが、日本ではカナックスグッズ、あまりないんだよなぁ~ (なので、現行モデルのTシャツは自作した。)そういう意味ではバンクーバーに住んでいるときにキャップTシャツもひと通り購入しといてよかった。

MLB球団のないバンクーバーではあるが、MiLBのバンクーバー・カナディアンズがあり、バスに乗ればシアトル・マリナーズの本拠地「セーフコ・フィールド」にも気軽に行けたので、野球シーズンは退屈することはなかった。

問題は冬。膝があまり良くない私はスキーに行くこともほぼ皆無でやることはない。地元にNBAのバンクーバー・グリズリーズはあったが、あまりにも弱く、興業的にも成り立たないということで2000/01シーズンをもってメンフィスに移転…。そうすろと、必然的に冬はカナックス観戦に明け暮れることに

バンクーバーに引っ越すまでアイスホッケーはほとんど見たこともなかったが、一瞬でとりこになった 野球にはないスピーディーな試合展開がものすごく新鮮で、カナックスは生活の一部になっていった。

気がつけば、雑貨もそこそこ手元にあるなぁ~。知らず知らず購入していたんだろうなぁ~



【左側】
バンクーバー・グリズリーズ
バンクーバー・カナックス
トロント・ブルージェイズ
【右側】
オークランド・アスレチックス
モントリオール・エキスポズ
ニューヨーク・レンジャース
日本国旗


#55 エド・ジョバノスキー

愛してるぜぇ、バンクーバー・カナックス!

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