感じるままに・・大人の独り言

日頃感じる事や、国内外の行く先々の美味しいグルメや観光スポットを独自の目線と本音で発信して行きたいです。

昭和の思い出⑩「絶世の美女・コバと過ごした青春の日々✨」

2019-08-15 14:02:08 | 昭和の思い出
お盆休みを直撃した大型台風10号🍃🌀☔
ウチの職場はカレンダー通りなので、皆が一斉にお盆休みとなるわけではなく、各自が其々お休みを取って行く形となっている。

昨日の14日は私は出勤してたが、大型の台風の影響を考慮した形で午後から帰宅の指示が出たので、お休みする事となった(^^)d

私は今日から19日迄はお休みを取っているので休んでいるが、出勤予定の同僚達もおそらく今日は安全確保の為お休みになるのだろう。

台風の影響で何処にも行くわけにもいかない今日は、久し振りに昭和の思い出の一つ、" 絶世の美女・コバ "との思い出について書いて行こうと思う👍

コバは私が独身時代に勤めていた職場の3歳下の後輩で、スラリとして背が高く、誰もが振り向く様な美女だった(*^.^*)

日本画家で、松井冬子と言う絶世の美女がいるが、まさにコバは彼女に瓜二つと言って良いくらいよく似た美人だった✨
松井冬子氏がこちら↓


本当に見れば見るほどそっくりである🎶
同じ部署に配属になり、同じ県出身と言う事もあって、気があったコバと私はいつもつるんで仕事帰りや休日に遊んでいた。

一緒に歩いていても、余りの美しさとモデルの様な出で立ちなので、道行く人の殆どが振り返っては彼女を二度見するくらいだったコバ(*´∀`)♪

なので彼女は、いつもモテモテだった✨

そんな彼女だったが、「大好きで、いつか結婚出来ると思っていた彼氏が他の女性と結婚した時は、部屋に籠って大泣きしたの(/_;)/~~」と私に話してくれた事があった。こんな美人も失恋して大泣きするんだ、、と、本当に私を驚かせた(((^^;)

何より彼女は、あけっぴろげに失恋話や失敗談も話してくれたりと、自分の弱味も素直に私に話してくれて、その当時の私にはその事自体が物凄く衝撃的だった。

だって、こんなに美しくて完璧な美人が失恋すると言う事実もそうだけど、その事を隠す事なく言えると言うところに潔さを感じてしまい、弱味や失敗は誰にでもあるし、隠したりしなくても良いんだと言う事を彼女から学んだ気がした👍

美人で聡明で仕事も出来るコバは、気取る事もなくありのままの自然体だったところも魅力の一つだったかな✨

だから、色んな男性が彼女に群がっていて、あの手この手で彼女の気を引惹こうと一生懸命だった(*´∀`)♪

やはり、美人はお得である🎶
この概念は、コバを見ていて一緒にいた私が出した結論なので間違いない👍

そして、時は昭和のバブル絶頂期。
彼女の気を惹こうと、沢山の男性達のプレゼント攻撃もあちこちからあった✨🎁✨


なので、一緒にいた私もよく彼女のおこぼれに預かって、色んな良い目にあっており、あの頃は毎月の様にプレゼントして貰ったチケットでコバと二人コンサートに行っていたもんだ(*´∀`)♪

マドンナにスティービー・ワンダー、スティングにホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロスetc.
全てプラチナチケットだった✨👍

アース・ウィンド&ファイアーのコンサートの時には、最前列でノリノリに観ていた私達は、コンサートの終わりにスタッフから「楽屋への特別ご招待」券なるものを貰って、他に選ばれた女の子達と一緒にメンバーと楽屋で会って、記念品もプレゼントして貰った✨

でも、それだけじゃあなかったのである😅
昭和の時代は、外国のスターのコンサートに来ているファンの女の子達の中には声をかけられて、そのままホテルへと行ってしまうと言う事もあったみたいで、現に私達も楽屋にご招待の際にアプローチをかけられたのである😅

勿論、上手く断ってコバと二人帰って来たが、中にはホテルに行ってしまった女の子もいたかもしれないのだ、、

こんな経験が出来た?のも、勿論一緒にいたコバが美人だったからである(((^^;)


その頃彼女が付き合っていた彼氏は17歳年上の独身の事業家だったので、私もよくコバと一緒に色んな一流のレストランに連れて行って貰ったり、東京や大阪にも遊びに連れて行って貰ったりもした✨

お休みの日に、コバから突然電話が掛かってきて、「○○さん(私の名前)、どうせ暇でしょ、今から彼氏と東京に行くから名駅まで直ぐに出て来て❗」なんて事もザラにあり、暇だった私は一緒にお供もしていたもんだ🎵

そんな時、新幹線に乗る際はいつもグリーン席だった✌️

ある時なんて、コバのお誕生日のプレゼントを買いに行くからと、銀座の高級ブランド店回りをし、プラダのブティックでコバが靴を選んでいる時に、その彼氏が、待っている私に「○○さんもこれ履いてみたら?」と言うので履いてみたところ、「よく似合うじゃん、これ僕からプレゼント✨🎁✨」なんて、私までプレゼントして貰った事もあったり(^o^;)
なんと、一足その当時の値段で、55000円だったかな⁉️(*゜Q゜*)
勿論これまでに私が持ってる靴の中で、一番高い靴である👠

人が良くて気前の良い彼氏はこんな感じで私だけじゃなく、コバのお友達にも高価なプレゼントを振る舞ってくれていた(((^^;)

海外に行くと私にもお土産を買って来てくれるのだけど、お土産もシャネルやエルメスのスカーフだったり、とにかく桁が違うのだ😅
バブルの時代と言う事もあっただろうけど、やはり美人はお得であると言う事は、紛れもない事実なのだ(^o^;)

モデルの様だったコバはお洒落に関しても一流で、無頓着だった私のファッションセンスも磨いてくれたり、色んな意味で勉強になった(^^)d

自分の容姿に甘える事もなく、自分を高める事にも懸命に努力していたコバ。
書道やお花も習っていたし、絶世の美女は常に努力を欠かさなかったのだ✨

名古屋での独身時代の一番楽しかった時代をコバと一緒に過ごし、彼女のお陰で貴重な経験が出来た私。

会社を辞めて実家に帰って来てからは、コバとも会わなくなってしまったが、今の私がいるのも彼女に出会って色んな事を学んだお陰だと心から感謝している👍

風の便りで、あの時付き合っていた年上の事業家とは結婚せず、違う男性と結婚して子供も出来たと聞いている。
今でもきっと変わらずに努力を続け、美しさは変わらずに、更に大人の女性としての魅力に拍車がかかっている事だろう(*^.^*)

キラキラした青春の思い出を本当にありがとう😆💕✨
薔薇の花の様にゴージャスで美しかったコバとの思い出は一生私の心に刻まれて色褪せないのである✨








シスターで鬼軍曹の様な伯母は相変わらず元気だったo(^o^)o

2018-08-23 17:01:00 | 昭和の思い出
昨日の快晴はどこへやら⁉️と言う感じで、今日は朝から台風20号が近付いて来ているせいで、横殴りの雨が降っている🌧️

今日は今月最後の平日休みだったので、本当は実家の母と過ごすつもりだったが、台風が来てるのでキャンセルし、家でのんびりと過ごしていた(*^.^*)

台風が近付いて来ると、低気圧の関係で体調が悪くなるからイヤだ(/。\)
昨日は頭痛、今日は目眩がしてフラフラしてる💦
気象病って言って、結構左右されてる人が多いらしい(*_*)
この前行った八坂神社↓


ところで、昨日、久し振りにシスターで鬼軍曹の伯母と電話で話をした。
この伯母、かなり高齢なんだけど、今も母の姉妹の中でも一番元気で、若い頃より殆どパワーダウンしていない(((^_^;)

以前、記事にも書いたけど、伯母は昔京都でシスターとカトリック系の幼稚園の先生をしていた事があり、私が小学校六年生だったかの時に、東京の従姉と二人で夏休みに伯母の所に遊びに行った事がある。

正直なところ、遊びに行ったと言うよりは合宿か修行の様な感じだった💦

(その時の記事はこちらを参考に👍)

二泊三日くらいだったと思うが、京都中の神社仏閣を3人で巡ったのだけど、その余りにも過酷なスケジュールの為、何処に拝観したのか殆ど記憶に残っていないのだ( ̄▽ ̄;)

ただ、嵐山でボートに乗って全身びしょ濡れになったのと、比叡山に行った帰りにバスがなくて、歩かされた事だけはしっかり覚えている(((^_^;)

それと、去年息子のマンションで、五山の送り火を見た際に、確かあの時伯母と従姉と一緒に大の字を見たと言う記憶が甦って来たので、五山送り火も見せて貰ったと思う。
この写真は、去年行った天龍寺の蓮池。多分、ここも行ってるのかも↓(^_^;)


伯母に何処に連れて行ってくれたのかを去年からずっと確かめたくて、昨日漸く本人に確認出来る日が実現したと言うわけなのだ🎵

私が伯母に、「私が小学校の時、従姉と二人で京都に行って色んな所に連れて行って貰ったでしょ、あれ覚えてる?」と伯母に切り出したところ、

「ああ、覚えてるよ。ボートでびしょ濡れにさせちゃったり、今では散々振り回して悪かったなぁと思ってるよ(((^_^;)」と、伯母。

なぁんだ、ちゃんと覚えてるし、振り回した自覚もあるんだなんて、内心思った私(笑)

だけど、どの神社仏閣に行ったのか、再三問い正したのだけど、伯母自体も沢山行き過ぎて覚えてないらしいのだ(*_*)

とにかく、伯母曰く「鈴虫寺や平安神宮とか、ガイドブックに乗ってる神社仏閣は殆ど回ったと思うよ。今考えると、よく回ったよねぇ、シスター姿で(笑)」なんて笑ってた(^_^;)
平安神宮がこちら↓


五山の送り火もヤッパ見せてくれたらしい。

あの頃の伯母はまだ30代だったと思う。本当にパワフルで男勝りだったが、それは年を取った今も変わらない、、(((^_^;)

ヘェ〜、鈴虫寺も連れて行ってくれたんだ🎵
鈴虫寺は西芳寺と同様、今私が一番興味があるお寺なのだ(*^。^*)

伯母曰く、「鈴虫寺の苔は、今じゃあダメになっちゃって見られないらしいよ。見といて良かったねぇ✨」なんて言ってたが、私の記憶に残ってないからなぁ、、( ̄▽ ̄;)
こちらは宝厳院の苔↓


昔からじっとしてるのがイヤで常に走り回っている伯母は、高齢になった今でもイタリアやら海外にも一人で出掛けて行くらしい。

健康寿命を保ってて、老後をエンジョイしている伯母を私も見習って行きたいもんだ(*^。^*)

あの頃は、全く神社仏閣なんて興味はなかったが、伯母のお陰でしっかりと刷り込まれていたのだなぁと、今京都のお寺巡りを生き甲斐にしている自分自身の姿を考えると、そんな風に感じてしまう私なのである(*^.^*)

昭和の思い出⑨「泣く子も黙る" 三羽烏 (ガラス)"の1人、アベさんとの思い出🌠」

2017-10-28 13:26:00 | 昭和の思い出
私が在籍していた短大の隣には、姉妹校の四年制大学のキャンパスがあった。学生の内の殆どが男子学生で、しかも金持ちのボンボンが多くて、学生のご身分なのに通学に自分の車を使っている学生が多かった。
その上にバブル世代だったので、中には高級外車を乗り回している学生も少なくなかったのを覚えてる(* ̄∇ ̄)ノ

男子学生が九割以上を占める中、その隣にあった女子短の私達が、チヤホヤされない理由がなく、今思うと私のモテ期の絶頂期は、短大時代だった事は間違いない(*´∀`)♪

何故ってとにかく、女子学生が比率的に少なくてキャンパス内で見慣れないせいか、私達短大の女の子達が図書館やお昼時に学食に姿を現すと、それだけでもパッと華やぐ🌸


おまけに時代はバブル時代🕺
ナンパなんて、ご挨拶のイタリアンな時期真っ只中だったのだから、毎日ナンパのお声がかかるのは当たり前👍
私と親友なんて最初の内は面白がって、ナンパされた数を正の字で書いてたくらいだった(^o^;)
すぐに面倒さくなってやめちゃったけど、、( ̄O ̄;

そんな中、大学の中でコワモテで恐れられている" 三羽烏 "と言われている四年生の男子学生達がいた。
合気道の主将と応援団の主将と空手部の主将の3人で、いつも大勢の学ランを着た下級生を引き連れて学食を占拠してたもんだf(^^;


その3人の内の1人、空手部の主将(だったと思うけど)のアベさんが、今日の主役である(* ̄∇ ̄)ノ
アベさんは確か空手部の主将で(合気道だったかな⁉️)、応援団の団長の毛利さんの様に大柄ではなかったけど、角刈りで目付きが鋭くて、三羽烏の中では1番コワモテで皆に恐れられている存在だった💦
こんな感じに近かったかなぁ↓


そんなコワモテのアベさんと何処で知り合ったのかと言うと、私と親友がバイトしてた喫茶店" ジミー "だった☕

アベさんは、ジミーには1人で来る事が多くて、その時の印象は寡黙で礼儀正しく目立たない感じだった気がする。今思うと空手部の主将としてのコワモテの一面は、彼の営業用のお顔だったのだろう。
なので、ジミーに来る時のアベさんはコワモテのオーラは一切消していたからきっと、三羽烏の時の自分と素の自分とを使い分けていたのだと思う。

ジミーで顔見知りとなり、後で三羽烏の1人だと知った事もあり、私も親友も皆に怖がられている" アベ主将 "がイマイチピンと来なくて、信じられなかった(^o^;)

それでも、四大の学食に行った際、何十人もの学ランの生徒が取り囲む中のど真ん中に、他の二人の主将と一緒にアベさんが陣取って座っているのを目撃すると、「アベさんってスゴい存在なんだねぇ😱」なんて、親友と言ってたもんだ(*´∀`)♪


その上、ちっとも怖くなかった私達は、「アベさ〜ん❗」なんてアベさんに手を振ったりする事もあり、それを見ていた周りの学生達がギョッとしてビビっている事もあった( ^∀^)

短大のお友達にも「アンタ達、怖くないのォ⁉️」なんて言われたけど、「お店の常連さんなの。ぜ〜んぜん怖くないよぉ✨」と答えてたし、実際のアベさんは本当に穏やかで優しくて面白い普通の男子学生だった(*^。^*)

そんなある日、私達が四大の学食でランチを取っていると、学ランを着た学生が5、6人くらい近付いて来て私と親友を取り囲むと、後ろ手に組んだ1人が「アベ主将がユッコさんとミオさん(親友の名前)を呼んでいます、ウィースッ❗」なんて言う(* ̄∇ ̄)ノ


食事中だった私達は、「イヤよ、食事中で行けないって言っといて( ̄O ̄;」と断ると、もう1人が「連れて来るまで帰って来るなと言われてます、ウィースッ❗」と言って動かない(-""-;)

おまけにもう1人が、「お二人が来てくれないと、オレ達がシバかれます(´;ω;`)、ウィースッ❗」なんて、言い出すので、気の毒になった私達は、渋々アベさん達三羽烏のいるところまで出向いて行った(--;)


アベさんの所まで行ってみると、皆の手前、いつもと違うコワモテのお顔のアベさんだったが、それでも私達に悪そうな感じで他の二人の主将を紹介してくれて、(きっとこの二人に紹介しろと頼まれたのだろう)「一緒にお茶でもどう?」なんて、席を用意してくれてススメてくれた💦
だけど、学ランの学生達がズラリと取り囲む居心地の良くない席で、しかも三羽烏と一緒にお茶なんてとんでもないと、勿論お断りして戻って来たf(^^;

そんな事が何度か続いて、私と親友はすっかり三羽烏に気に入られてしまった( ̄▽ ̄;)
流石に一緒の席でランチやお茶をする事はなかったが、私達の席には下級生からコーヒーやスイーツが届けられる事もあった☕


大学では知らない者がいないくらい恐れられていた彼らも、一人一人は武士道に乗っ取った礼儀正しく優しい学生だった。
アベさん以外の二人とは、個人的に交流する事はなかったが、ジミーの常連客だったアベさんとは、たった一年だったけど楽しい時間を共有する機会があった私達(*´∀`)♪

ジミーに来ているのはアベさんだけじゃなくて、私達と仲良かった先輩達もよく来てたので、私達がアベさんの冗談に笑いながら「ヤダァ〜、アベさんったら面白いんだから」なんて、アベさんの背中とかよく叩いてたりするのを見ていた先輩達には後で、「お願いだから、ああいう事はしないでくれ、心臓に悪いから、、(;゜∇゜)」なんて言われる事も多かった。

アベさんはよく、私達のバイトが終わるのを待ってては、車で藤が丘や星が丘のお洒落なカフェに連れて行ってくれる事もあり、パフェやドリンクをご馳走してくれた🍹

車中では、面白いお話や怖い話とかもしてくれて、私達を笑わせたりビビらせたりしたが、1番怖がりだったのは、アベさんだった(* ̄∇ ̄)ノ

アベさんがいつもの如く怪談話をしている最中に、「ワァッ‼️」と驚かせると、「ギャア〜ッ!!(゜ロ゜ノ)ノ」と大声を上げて飛び上がり、私と親友はその姿を見て、ゲラゲラお腹を抱えて大笑いしたもんだ(^○^)


アベさんは又、コワモテの見かけと違いピンク色がお気に入りで、甘い物や可愛いグッズも大好きだった❤️
この事を知っているのは、もしかしたらごく少数の私達だけだったかもしれない(((^_^;)

「ワァ〜これ、可愛い(*^▽^*)」なんて言うと、気前良くプレゼントしてくれたりもしたもんだ✌️

人は本当に見かけによらない。
コワモテで皆に怖がられている人程優しくて情に厚い人が多いのかもしれないと、私はJK時代にはバルタンから、そして、短大時代にはアベさんから学んだ。
(何故だかコワモテだけど優しい人とのご縁を授かってしまう私、、σ(^_^;)?



アベさんは確か山口県の出身だった記憶があり、総理大臣と同じ出身に名前なので、少なからずご縁のある人だったのかなぁと、先日の選挙戦を観ながら思い出してしまった。

今頃どうしてるのかなぁ✨
相変わらずコワモテの表向きのお顔と、私達が知っているメルヘンチックで面白くて優しい素のお顔とを使い分けていて、今でも1人でカフェタイムを楽しんでいるのかもしれないな(*^。^*)


昭和の思い出⑧-2「金髪リーゼントのバルタンとの思い出🌠(後半編)」

2017-08-10 22:41:00 | 昭和の思い出
私が高校生になって直ぐ、JRの通学電車で出会った2つ上の他校の3年生だった金髪リーゼントのヤンキー" バルタン "は、何故か理由は分からず仕舞いだったが、私を見つけると「魔女、おはよう!」、「魔女、バイバイ✋」と挨拶をしてくる様になった( ̄▽ ̄;)


最初の内は気付かないふりを通して避けてばかりいた私だったが、ある日のこと、よりにもよってバルタンとバッタリ電車の中で鉢合わせとなってしまった、、(゜O゜;

「魔女、おはよう!」と、いつもの如く目の前で挨拶をされてしまった私f(^^;
「ウウッ、逃げられない、、」と観念して、人一倍背の近かったバルタンを見上げる形で目と目があった瞬間、私の目に飛び込んで来たのは片方の眉毛が半分無い、なんとも間の抜けた情けないお顔のバルタンだった(((^^;)
きっと眉剃りに失敗したのだろう、、

彼の顔をまともに見たのはこの時が初めてだったが、余りにも可笑しくて、思わずクスッと吹き出してしまっ私、、(;゜∇゜)


ハッと我に返って怒られちゃうんじゃないかと一瞬固まってしまったのだけど、当のバルタンと言えば、「魔女が笑ったぁ〜(*^O^*)」なんて、顔をクシャクシャにして大喜びしているのだ、、( ̄▽ ̄;)

その顔を恐る恐る二度見した私は、「なぁんだ、ちっとも怖くないじゃんヽ(^。^)ノ」と、現金な事にそれからは、バルタンに恐怖を感じる事がなくなってしまったのである(*^.^*)

それどころかバルタンは、各校の不良達を統率して恐れられていたにも拘らず、いつも優しい笑顔だっし、とりたてて話しかけて来る訳でもなく、礼儀正しく挨拶をするだけだったf(^_^;

私が同級生と他校の生徒に絡まれていたりすると、何処からともなく現れてはその子達を追っ払ってくれるし、他の子分や不良仲間達にも「この子らをいじめんなよ(`へ´*)ノ」なんて釘を指していたらしく、皆に恐れられていた不良達でさえ私達が近付いて来るとサッと道を開けて通してくれて、しかも挨拶までしてくれるのだf(^^;


なので、バルタンのお陰?なのか、その後は怖い目に遇うこともなく、快適な通学生活を満喫出来ていた私🎵

バルタンはいつの間にか、私の中で「正義の味方」に近い存在に変わっていった👍

そうして1年生の3学期になって卒業式が近づくにつれ、JRに乗り合わせていた3年生達の姿も日に日に見る機会が減って行った。

卒業式の日だったと思うが、久し振りにバルタンの姿を見かけたなって思っていたら、帰りの電車で、「魔女、バイバイ✋元気でな」と、いつもの優しい笑顔で最後のご挨拶をして来たバルタン。

この時ばかりは私も手を振り返したが、悲しいかな何も言葉が出て来なかった(ToT)


そして、バルタンを乗せた電車が見えなくなるのを見送りながら、もうこれでバルタンとも会えないんだなと思うと、一抹の寂しさが込み上げて来て、「ありがとう」って言えば良かったな、、とひたすら後悔した(/_;)

年度が変わり、2年生になった私は、バルタンのいなくなった通学電車の中で、時折バルタンの事を思い出しては懐かしくなった事を覚えてる。

人は見かけによらない。今でも、ヤンキー自体は決して好きじゃあないが、例え金髪リーゼントにしてても、見かけよりは良い人もきっと沢山いる筈である。

ヤンキーに限らずも、人は見掛けで判断してはいけないと言う事を、バルタンから教わった気がする。
だけど、幾つになっても私ってばホント学習能力無いんだよね、、

昨日の記事でもエラソーに「良心に恥じない生き方をしよう」と言ってはいるものの、いまだにバチが当たりまくってて、成長してないなぁと、日々反省の毎日なのが現実だ( ̄▽ ̄;)

バルタンは今頃は、きっとイイオジサンになって、若い子達を" 統率 "してリーダーシップを発揮し、上手にまとめているのかもしれない。
昔の様に(*^.^*)

金髪リーゼント・バルタンは、私の中の青春の一頁として今も鮮やかに刻まれている🌠
あの時のまま、色あせることなく…




昭和の思い出⑧-1「金髪リーゼントのヤンキー" バルタン "との思い出(前半編)🌠」

2017-08-07 22:29:00 | 昭和の思い出
昨日の台風の前の静けさとは打って変わって、今日は明け方から大雨に突風と大荒れの1日だった☔

大雨、暴風警報が朝から出てたし、電車も止まりだした上に午後から夜にかけて台風が三重に最接近するとあって、さすがにウチの職場も皆に帰宅する様にお達しが出たf(^^;

業務に差し支えない者から帰り始め、私も違う部署の駐車場が同じ女の子が一緒に帰ろうと誘いに来たので帰る事に(^^)d

傘もさせない様な強風と大雨の中、転んでも只で起きない私は、この時間を無駄に過ごす訳にいかないとばかり、週末忙し過ぎて行けなかった地元のデパートに寄り道👍

今週末に久し振りに会う大阪のお友達へのお土産をゲット🎵

その後、無事オウチに辿り着き今に至るのだけど、今まさに頭上をご長寿台風が通過中と言う事で、雨風の音が半端無い😵
昨日の夜との違いには、自然の驚異ってスゴいと思わずにいられない、、
写真は先月熊野市に出張で泊まったホテルのテラスからみた風景🎵熊野も今日は大変だったみたいだ💨


職場から帰宅して暫くのんびりと雨音をBGMに過ごしていると、同じくBGM代わりに流していたTVの画面テロップにJRの運休情報が流れて来た。

高校生の時は、これに乗って通ってたなぁと大昔の記憶を連想している途中、ふと" バルタン "の事を思い出し、彼との色んな思い出が甦って来てしまったf(^^;

" バルタン "は、私が高校生になって直ぐの電車通学の時に出会った2年上の他校の3年生で、背が高くて金髪リーゼントの、電車内ではメチャ恐れられていたヤンキーの親分的な存在の男の子だった。
本名は知らなくて、何となくバルタン星人に似てたので、陰でそう呼ばれてたのだ(((^^;)


目が悪かったのか、細い目をより細くしながら人を見る感じはピコ太郎にも似てるが、バルタンの方が数倍目付きが鋭くて、私も最初の内はまともに彼の顔を怖くて見れなかったくらいだったf(^^;


高校生の時の私は自分で言うのもなんだけど、当時は県内で有数の進学校に通う普通の真面目な女の子だったので、ヤンキーのお友達や知り合いなんている筈もなく、接点さえもなかった。

そんな私とバルタンが出会ったのが、通学で利用してたJRの電車の中だった。
バルタンは、ヤンキーの子分や友達といつも徒党を組んでたむろしてたので、メチャ目立ってたし、皆に怖れられている存在だった。

だから私も、なるべく彼らの集団には近づかない様にしていたものだ(((^^;)

そんなある日、私が利用していた駅に電車から降り、プラットホームを改札口に向かって歩いていると、電車の中から誰かを呼ぶ声がするのに気付いた。「魔女、魔女、」と、呼んでいる声の先を見ると、そこにいたのはバルタンだった( ̄▽ ̄;)

ギョッとして視線を戻し、慌てて改札口へと小走りで逃げ出したのだけど、私の後ろ姿に向かってバルタンが「魔女〜、バイバイ✋」と大きな声で言ってるのが聞こえて来た、、(;・∀・)

「何で私が魔女な訳⁉️ううん、きっと他の人に言ってたんだ、、私の勘違いに決まってる(;´д`)」と、自問自答しながら一生懸命自分自身に言い聞かせ、その日は考えない様にしたのを覚えてる😅

だけど、その日を境にバルタンは私を見つけると、「魔女、おはよう✨」、「魔女、バイバイ✋」と毎日の様に声をかけて来る様になったのだ( ̄▽ ̄;)
次回、後半編に続く。