Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 585 

2006年11月15日 00時01分11秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 14

(No.2、昨日のブログ続き)

ところが、突然当時13歳の高校生ヘクター
ピーターソンが警官に発砲されて最初の犠牲
者になったのである。

この写真は、問題の学校名が書かれていた塀
も現在は大分このように崩れてきているのです。

      今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 584  

2006年11月14日 19時45分01秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目
(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 13

(No.1)

このあたりが、1976年6月16日、暴動が
発生した黒人学校跡地なのである。

もはや当時の面影すら無く、その看板も大分破
損している。 

当時、黒人学校では白人企業に労働力だけ提供
すれば良いのだ、という徹底した教育方針があ
ったようである。

そこで突然、教育改革を求めて立ち上がった学
生達は従来の低レベルの黒人教師の下に黒人学
生に低レベルの教育を施すのはもう中止しろ、
と学生集会を開くために近くのオーランド集会
場へ粛々と平和的にデモ行進を始めたのであった。

       今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 579 

2006年11月09日 00時01分42秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 7

元南ア大統領マンデラ氏肖像写真の前で記念
の訪問写真を撮って貰う。

ここで、このマンデラの旧居前でガイドの説
明を思い出して記して置こう。

黒人初のノーベル平和賞受賞者であり、しか
も黒人初の南アフリカの大統領、ネルソン・
マンデラは、現在はこの住居には住んでいない、
と言う。

結婚は3回していて、最初の結婚で3人の子供
がいたが、長男はエイズで死亡、次男も他界し、
長女だけが生き残っている。
2度目の結婚では2人の娘がいる。
3度目の結婚では子供はいない。
現在、3度目の奥様と二人でヨハネスブルグで
ここから少し離れた所で静かに暮らしている、
ということだった。

そしてマンデラの年齢は2006年現在、87歳
だという。アフリカでは長生きに違い無い。
やはり、生活水準が急激に上昇したからであろうか?

因みに、今回の旅行地で、南アの平均寿命は47.8歳、
ジンバブエが39.9歳、ボツワナが39歳、ザンビア
が38歳なのである。
いくらなんでも文明の発達している現代で平均寿命
が30代というのは深刻な問題だと思う。
勿論その原因は、エイズと貧困なのである。

ところで、マンデラの話に戻りますが、マンデラの
子供で政治に関係しているのは1度目の結婚で生ま
れた長女だけだ、ということでした。

ともあれ、今日見学している彼の旧居には台所、浴室、
自分の寝室、子供の寝室、居間兼客間の3DKで各部
屋とも5畳以下の狭さには驚いた。

        今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 578 

2006年11月08日 09時04分20秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 6

元南ア大統領のマンデラ氏が大統領時代に
大衆を鼓舞していたと思われる写真が自身
の寝室の壁中央に飾ってあった。

木製の簡単な衣装箪笥の上には履いていた
靴が数足置かれていた。

      今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 577 

2006年11月07日 19時28分24秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 5

元南ア大統領マンデラの旧住居は、「見学用」
として残されているのです。

この住居内には写真のように数え切れない程の
賞状、賞品、盾等が所狭しと飾ってあった。

         今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 576 

2006年11月06日 08時11分44秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 4

元南ア大統領ネルソン・マンデラ嘗ての住居を
裏口から入ると、直ぐキッチンがあって流しの
横の調理台には若かりし時代の写真が2枚飾っ
てあったが、この通り、顎鬚に埋まっていたよ
うです。
        今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 575 

2006年11月05日 09時29分41秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 3

マンデラの家へ入る前に、先ずガイドの説明が
裏玄関前で行われたが、このガイドはマンデラ
氏住宅、2代目の専属ガイドなのだと言う。

男性ガイドの横に立っているのが私達のガイドS
さんで通訳を勤めて呉れた。

     今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 574

2006年11月04日 08時41分12秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 2

ヨハネスブルグに、12時40分に到着すると、
専用バスでソウエト(旧黒人専用住宅地区)へ
向かう。

途中、機内で話した女性の住むダーバンへ向か
う道路標識があった。

間もなく道路沿いに予想通りの黒人の低所得者
専用住宅地区だと分かる地域が見えて来た。

直ぐ近くのレストランでランチを取る。

レストランと言ってもあまり綺麗とはお世辞に
も言えないし、食欲も無くほんの少ししか食べ
なかった。

先に、紹介の機内で知り合ったダーバン出身の
女性との会話で知ったのですが、この南アフリ
カ国内には低所得者層を大きく二つに分けてい
るようです。
一つは、Shacks Area (シャックス・エイリア)
と言って掘っ立て小屋地区ともう一つのLow Cost
Housing Area (低所得者層住宅地区)と呼ば
れる地域である。

シャックス・エイリア地区というのは、文字通り
掘っ立て小屋の丸石やブリキ屋根で風雨が入りこ
む極貧層が住む地域である。

一方、低所得者層住宅地域というのは、電気、水道、
下水道が敷設されている地域なのである。両地域
とも家賃、水道などのライフラインは無料サービス、
納税義務は一切無い、という旨い話ではある。しか
し、政府側にとっては、頭痛の種らしい。

ランチが終わると、バスで2,3分位の所にある
黒人初のノーベル平和賞受賞者であり、初の南ア
フリカの大統領であるネルソン・マンデラの住宅
を見学することになった。

バスへ乗車する直前レストラン前に住んでいるア
フリカ人家庭の家族とのスナップ写真を撮った。

やはり、黒人家庭は子沢山が普通のようである。

これは、すっかり写真慣れした黒人家族とのスナ
ップ写真風景である。

   今日は、ここまで…。

Jimmyの旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか? P 573

2006年11月03日 07時57分14秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第8日目

(2006年3月18日)ソウエト、旧黒人専用居住区観光 1

今日は移動日、もうヨハネスブルグへ帰ることになる。
荷物を部屋の外へ出して出発の準備をする。

ケープタウンを昼過ぎの12:45に離陸する。

南アフリカ航空の機内はいつも満席である。 

隣席にアフリカ人、M女性が座っていて、2時間あまり
の飛行時間中仲良しになり色々お話が出来た。

勿論、言葉は英語である。聞けば、ヨハネスブルグの郊外
ダーバンに住み、遠距離通信会社に勤務しているという。
この度出張でケープタウンまで来て今帰宅する途中だという。

御主人は銀行員、車もトヨタとBMWの2台持ち、子供の面倒
を見るメイドも住み込みで雇っているというから、経済的に
はかなり上流家庭のようだった。日本から持って来たお菓子
を一袋あげたらとても喜んで最後には私の写真まで撮り、
電子メール・アドレスや自宅の電話番号まで頂戴した。

私も写真を撮らせて貰ったのがこの写真である。

そのうちメール位送ってみようかと思ったのですが、最近世界
各国、アフリカからのメールが1番多く迷惑メールがよく届く
ようになり、戸惑っているところです。
 
原因はよく分からないのですが、困った問題として私の課題解
決の一つになっている今日この頃であります。

               今日は、ここまで…。