人生いろいろブログ

ありのままの日常を綴っています

不幸な話 その8(孤独)

2008年07月22日 | Weblog
そろそろ不幸な話も飽きてきたことかと思いますが、取りあえず今日が最後です。こんなの不幸のうちに入らないよ!なんて思っている人も沢山いるでしょう。

そうです!人に話せる不幸せ話は、たいしたことではないのです。私にだって話したくない、忘れてしまいたい事だってあるのです

では、では、2004年から現在までの不幸話のラストです。

年末年始も仕事でした。 
大晦日の夜、ホテルの窓から一人で花火を見ていました・・・
クリスマスの夜、ホテルのレストランで一人で食事をしていました。

初めて見た函館山の夜景は、仕事ででした・・・
初めて行った旭日山動物園も仕事でした・・・
雨の日、一人で観覧車に乗りました・・・

いつも、いつも、仲の良い夫婦、仲の良いカップルを見ていました。

たま~に仕事で素敵な部屋に泊まれることがあるのです。でも、そんな時も一人です。

いつも、いつも、一人でした・・・

明日は最終章、是非見てね。


不幸な話 その7(縁)

2008年07月21日 | Weblog
今までどのくらいの人達を施術したのでしょう・・・
一回きりで終わった人、数回で終わった人、常連さんのようになってくれていたと思っていましたが来なくなった人・・・

私の施術後に腰を痛めたと言われ、お詫びの品を持って謝りましたが二度と受けてはくれなくなった人・・・

上半身は足では、イヤダから指にしてと言っていまだに足を使わせてくれないお客様・・・

下心を持って近付いてくる男性達・・・
損得だけで近付いてくる人達・・・

人生良いことばかりではないのよ・・・

不幸な話 その6(病気)

2008年07月20日 | Weblog
昔から滅多に熱を出さない私ですが、年齢のせいか無理をしてきたからか、また39℃の熱を出してしまいました。

でも、定期的に(週1,2回)出張マッサージをさせて頂いています会社からの予約が2日後に入っていました。 1日に4人連続です。元気な時でさえ体力を消耗します。

私のことだから1日で熱は下がるだろうと思っていました。(インフレエンザではありません)でも、翌日も翌々日も下がりません。何度もお断りの電話をしようと思いましたが、あるお客様の声が頭から離れません・・・
「この日がとても楽しみなの。本当に癒されるもの」と・・・

断ることなんて出来ない・・・明日になったら下がるだろうと思いました。
朝、恐る恐る熱を測ったら39℃・・・
座薬をさしてマスクをして行くことにしました。4人施術して誰にも気付かれることなく家に帰った私は、またベットに倒れこみました。

そして2日後、また同じ会社で4人・・・熱は少し下がっていましたが38度ちょっと・・こんな状態で施術していることに申し訳ないと思いましたが、こんな状態だからこそ自分の全エネルギーを使い果たしました。

そしてその翌日、やっと熱は下がりました。
このことはいまだにその会社の人には話していません。社長さんにバレたら怒られますから

無理しないでね。無理しないでね。って言っている私が一番無理してる・・・

不幸な話 その5(疲労)

2008年07月19日 | Weblog
体力に自信のある私でもやはり限界というものがあるようです。
ある日添乗中に熱を出しバスの中で7,8回位吐いてしまいました。 幸い隣の並びの席にお客様が座っていなかったので気付かれることもなく吐いてはすぐにフクロを縛り、トイレ休憩中に捨てに行き、なんとかその日は終了しました。

食事もほとんど食べることが出来ず、一応会社のほうに状況を話しましたが、交替の添乗員はいなく(シーズン中の為)取りあえず翌日、お客様とお別れするまで頑張るということで電話を切り、翌日観光を終えお客様を空港まで見送り、気付かれることなくツアーは終了しました。

家に帰って熱を測ったら39℃・・・それから2日間、動くことは出来ませんでした。

他にも初九州添乗の時、3人も病人が出て(嘔吐)病院を手配したり、空港で休憩場所を手配したり、付き添ったりで、帰り羽田空港でそれぞれの地区のお客様とお別れして一人羽田空港から千歳空港に帰る機内で吐いてしまった私・・・恐らく疲れからきたのだと思います。

どんなに気持ちが元気でも、体は正直です。悲鳴をあげていたのです・・・

不幸な話 その4(恋)

2008年07月18日 | Weblog
自立して、クタクタになるまで働いていたのにも関わらず3人の人に恋をしたわたし・・・

一人は、10才年下の独身の人。 
もう一人は、妻と死別した7才年上の人。
そして3人目は、現在友人として良い関係なので公開は出来ませんがバツイチ男性。

まぁー忙しいのに、よくも1年おきに恋をしたものだと、今思うと自分でも呆れてしまいますが、よっぽど『愛情』に飢えていたのですね?(笑)

もちろん、恋だけで誰ともお付き合いしていませんが結果、全員に振られたというなんとも不幸な私であります

『意味のない失恋・価値のない失恋などありません。すべての失恋には貴重な価値がありその失恋が辛ければ辛いほど自分に貴重な価値を与えてくれるのです』

そう・・・振ってくれてありがとう!


不幸な話 その3(友人)

2008年07月17日 | Weblog
サロンを辞めることになり、食べていく為には、とにかくお客様を増やさないといけません。宣伝にお金をかけることも出来ないので自ら歩いて自分を売り込まないといけないのです。

最初、頼るのは友人しかいませんでした。でも、心ない友人は、腰を痛めて近くの治療院に回数券を買って通っている話を私に、平気でするのです。
ムリもありません。当時資格取りたての私の技術を信用してもらえる訳がないのです。

当時多くの人達に練習台になってもらいましたが、現在お客様になってくれている人は(月2回)意外にもそれまでマッサージなんかしたこともない友人一人だけです。その友人だけは、今でも特別価格で施術しています。

現在は、友人価格の設定はありません。人によって差をつけることは止めました。

勿論、気持ちでは、応援してくれる友人も沢山いますが現実、友人を頼ることは不可能でした。 自ら努力していかなくては、いけなかったのであります。

同情は、そう長くは続きませんから・・・

明日は失恋不幸話を聞いてくださいね。

不幸な話 その2(解雇)

2008年07月16日 | Weblog
なんとか応援してくれる友人やお客様の口コミで、少しずつではありますがお客様も増えてきた頃、第2の壁がやってきたのです。

朝、いつものようにサロンに行くと、もう明日から来なくて良いよ。と言われて・・・(売上げ低迷の為)あまりにもショックにそのまま帰らせてもらいました。サロン収入は月に6,7万円でした。その収入が突然なくなるのです。
車を運転しながらの帰り道、涙が流れてきて止まりませんでした。
このまま一人になったら、どっと落ち込みそうだったので私は、以前働いていた会社が経営していたガソリンスタンドに向かいました。そこのスタンドには4,5人の男性がいて、以前からたま~に遊びに行っていたのです。

そこでお昼も一緒に食べてどうでも良い話をして気を紛らわせ、それから親友の家に寄って、今日の話を聞いてもらって心を落ち着かせ家に帰ろうとしたら私の当時の先生(現在の師匠ではありません)から電話がかかってきました。

これから会えない?と言われましたけど、私は会いたくありませんでした・・・でも、責任を感じた彼がどうしても話したいと言うので仕方なく会うことにしたのです。

「千春ちゃん(彼は私より10歳以上年下)ごめんね。僕に力が無かったばっかりに・・・」と謝ってくる彼・・・
「もう、いいよ・・ショックだったけど時間が経ったら気持ちが落ち着いたから」

お金もないのに「僕、払うよ!」と言ってかっこつけた彼・・彼の誠意が伝わりました。

さぁー必死でお客様を増やすしか方法がありませんでした。食べていく為に・・・落ち込んでいる暇などありませんでした。

鶴の恩返し

2008年07月15日 | Weblog
3つの仕事と家事とで、くたくたの毎日でした。でも、休みたいとは思いませんでした。私が休むということは収入がないということだからです。

お客様を元気にさせて、私の体力が消耗していく時、『鶴の恩返し』の話が頭を駆け巡りました。

添乗員の仕事は、常に笑顔です。どんなに疲れていても笑顔でいるしかありません。どんなに嫌な事があっても決して顔に出してはいけません。

当時よく人から「いつも元気だよね~ いつも明るいよね~」って言われていました。

自分のベットに入ると死んだように眠りについていました。

でも、働ける所があるって、有り難かった・・・

そんな時・・・不幸な話その2は明日です。

不幸な話 その1(薄情)

2008年07月15日 | Weblog
4年前、ほとんどお金も持たずに家出をしてしまった私は、添乗員の仕事と足圧マッサージのサロン(パート)と、夜は友人からの紹介で某保険会社に足圧マッサージで週1回入らせてもらっていて、なんとか生活が出来るようになっていた頃、「稼がしてあげてるから」と保険に入るように強引に迫られ、仕方なく入ることになってしまいました。

それから数ヵ月後に、その会社には別のマッサージ師が来るようになり、私は行けなくなってしまったのです。保険は途中で解約した為8万円位損してしまったことになりました。

1ヶ月、5,6万円の収入がなくなってしまった事は、私にとっては、とても大きな打撃でした。

私の忍耐力の無さから家出をしてしまった為、両親には一銭たりとも迷惑をかけたくなかったのです。

食べていくためには、新しいお客様を探さなくてはいけなかったのです。宣伝費もないのですから、なるべく多くの人に会い自ら宣伝するしか方法がありませんでした。その為には、多少なりとも食事代やお茶代がかかります。

休んでいる暇などありません。黙っていたらお金にはならないのです。毎日、くたくたになって働いても、元夫の収入の1/5位の自分が悔しくて、悔しくて・・・意地でも「頼るものか!」そんな思いでやってきたのかもしれません・・・

オートバイの生き方

2008年07月14日 | Weblog
17歳の頃、原付バイクの免許を取って50ccでしたけど、男の人が乗るようなバイクを買って、その辺を走っていました。

いつか中型の免許を取って400ccに乗り日本を旅したいと思っていた夢は、実現しないまま現在に至っています。

あの風を切って走るバイクが大好きです。車は、好きではありません。スリルがないから・・・

『 オートバイの生き方 』

人生の目的地、経由地や少なくとも進むべき方向をはっきりと決め、さまざまな人々や組織(自動二輪)の助けを借りながら、その上に乗っかって要領よく進もうとします。自分の力でペダルを踏むことは面倒なので、なるべく他人の力や幸運に頼ろうとしますがその反面、安らかに自分を覆い隠してくれるボディや屋根までは求めません。

むしろこのような人は、世の中の風を真正面から受け風を切って世間の荒波を身体で感じることに喜びや自己満足を見出します。
時には暴風で倒れて足を折ることもありますが、人生たるものそれなりに風雨を浴びながら生きなければ楽しくないし風を切ってビュンビュン飛ばす生き方こそが格好良いのだ。という信念を持っています。
しかしそうは言っても自分でペダルをこぐ気はありません。

そう・・私は、この本を読んでまさに自分は、オートバイの生き方だと思いました。

では、明日からしばしの間、千春の不幸な話を聞いてくださいね。