ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

華の乱・鳳(与謝野)晶子によせて

2010年07月19日 | 
・短歌の覇王文壇の星与謝野鉄幹桃割れまだ結ふ我に現る
(たんかのはおう ぶんだんのほし よさのてっかん ももわれまだゆう われにあらわる)

・燦燦と太陽輝く日のもとに現る君にいかでか話さむ
(さんさんと たいようかがやく ひのもとに あらわるきみに いかでかはなさん)

・君が笑み君の言葉の一言も逃すものかはこの夏の日に
(きみがえみ きみのことばのひとことも のがすものかは このなつのひに)

・師と仰ぐ君が浴びせし接吻(くちづけ)を驚きてただ白百合で受く
(しとあおぐ きみがあびせし くちづけを おどろきてただ しらゆりでうく)

・君が接吻(くちづけ)吾に刻印とし刻まむと手の白百合を握りつぶさむ
(きみがくちづけ あにこくいんとし きざまんと てのしらゆりを にぎりつぶさん)

私の大好きな映画、もうすでに何回もご紹介させて頂きました「華の乱」より、主人公、与謝野晶子になったつもりで詠んだ句です。決して晶子自身の句ではございません。
私が晶子のように、大胆に短歌を詠みたいという願望です。
短歌の師と仰ぐ与謝野鉄幹と初めて会った時、すでに鉄幹は林滝野という妻がおり、もちろん晶子はまだ処女(おとめ)で、旧姓・鳳(ほう)晶子でした。
故・深作近二監督のこの映画で与謝野(鳳)晶子を演じるのは吉永小百合、与謝野鉄幹は故・緒方拳です。
画像は映画より。東京から来た鉄幹と京都に住む晶子が初めて会い、晶子が初めて鉄幹から接吻を受けるシーンです。
とっさに晶子が白百合の花で、鉄幹から受けた接吻を隠すところが、私は奥ゆかしく、晶子の天性の感性を感じる好きなシーンなのですが。
(まあ、映画上の演出と指摘されればそれまでなのですが)
接吻=キスの習慣のない日本人が人前で接吻をするというのは、どういうものか?と私は思っております。この頃の結婚式でもよく、新郎新婦が人前で堂々と接吻を交わすのを見るたび、恥ずかしくなってしまう私です。

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言葉と官能

2010年07月19日 | 
キリストがわたしたちのために、ご自身を献(ささ)げられたのは、
わたしたちをあらゆる不法から贖(あがな)い出し、
良い行いに熱心な民をご自身のものとして清められるためだったのです。
新約聖書:テトスへの手紙2章14節


昔歌った合唱曲を聴いてみた
ふと、この箇所の歌詞に耳がとまった

「そして 私は見る 私にむかって
 ひときわ 青く美しく
 空が優しくうるむのを」

最後の2節をもう一度「ひらかな」で繰り返す

「ひときわ あおく うつくしく
 そらが やさしく うるむのを」

私たちの母国語日本語は「あいうえお」からなる母音に
子音をくっつけて「50音の言葉」がなっている
この「母音と子音の発音のバランスが日本語の美しさを決める」と
傲慢にも私は考える

上の二節の子音をはずして見る

「いおいあ あおう ううういう
 おおあ ああいう うううおお」

私が思うに、母音で美しく発音しにくいのは「い」と「え」だと思っている
すなわち「聴いて美しいか美しくないか」を決める母音が
「い」と「え」だと言うことだ
上の二行には「い」が4回だけ「え」はひとつもない
その他は「あ」「う」「お」
発音も聴くほうも、心地よい母音が並んでいる
心地よい=官能性を刺激する、と解釈するのは大げさだろうか?

もう一度もとの詩を漢字で書いてみる
するとこの詩の官能性がわかる

「ひときわ 青く 美しく
 空が優しく うるむのを」

「空がうるむ」と表現したのは、詩人伊藤海彦さん
「空がうるむ」・・・成熟した女性の微笑みを連想させるような表現
ここから私は、言葉の官能、エロティシズムを感じずにはいられない
官能性のある言葉は美しい、と私は思った
官能を感じさせる言葉で私も歌いたい

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