最初の定期運行は2月23日に始まり、307席は全て売り切れであった。流線型列車が北西部にやってくる日が来たのである。西行きのエンパイアビルダーは、シカゴを午後1:00に出発し、バーリントン鉄道の線路をミシシッピ川に沿って300マイルを走り、ツインシティに至る。ミネアポリスを午後8:30に離れ、列車は農業と牧畜のミネソタ州を通り、夜の間にノースダコタ州の大平原を横切り、ウィリストンに午前7:20に到着する。ここで時間帯は山岳地標準時間帯に変わり、列車は午前6:20に発車する。ビルダーは、モンタナ州を横切り、ロッキーの背骨を登り、グレイシャーパーク駅に午後の中ごろに到着する。60マイルの間、エンパイアビルダーは公園の南の境を走り、ロッキーの西のスロープを下り、フラットヘッド渓谷を通り、コーテナイ川に沿ってアイダホ州に入る。トロイで時計は更に1時間戻されて太平洋標準時間となる。そして列車は、午後11:30にスポーカンに滑り込む。ここで座席車1両と寝台車1両は列車から切り離されて、SP&S経由ポートランドに向う。10両となったビルダーは運行を続け、ウェナッチーで電気機関車に替わり(73マイル)、カスケードを越え、山を下ってシアトルに午前8:00に到着する。整備、清掃、乗員の交代を行い、流線型列車は、シカゴに向けての復路へ午後3:00に出発する。
新しい車両も多くの点で革新されていた。戦後、他の鉄道に先駆けて製造・納品された寝台車は、デュプレックスルーメットを特徴としていた。びっくりするような独創的なシステムで、今までの下段寝台よりほんの僅かだけ高い価格で、個室を提供した。もうひとつの革新は、48席座席車の乗客をもっと快適にさせるためのHeywood-Wakefieldのリクライニングシートの導入であった。明るくデコレートされたコーヒーショップ車は、カウンターが10席、ラウンジが10席であった。予約システムの導入により食堂車の長い列もなくなった。曇らない二重ガラスの窓は、客室の閉鎖性を高めた。冷水管が客車の各室に配備され、拡声装置も全車両に取り付けられた。ただし、プルマン車では、アナウンスもエンターテイメントも特別なものだったが。
戦後のエンパイアビルダーのデザインにとって塗色もまた重要な要素であった。Everett DeGolyer(有名なレールファン、歴史家にして最も包括的な鉄道写真コレクションのひとつのオーナー)は、あるときビルダーを、世界で最も美しい列車であると述べている。この面に関するGNとプルマンスタンダード社の雰囲気を反映して、プルマン社の色彩・デザインエンジニアのRalph Hamanは、「戦争の終結に伴い、世界は画一から抜け出した。誰もが、オリーブドラブやその同色系にはもう飽きた。我々は、華美で美しいものへの準備が整っており、この新しいエンパイアビルダーは、まさにそのような資質を備えるだろう。」と述べた。
そして、画一から確かに抜け出した。この列車は、ピュージェットサウンドの海岸や、モンタナ州、ダコタ州の平原を走り抜けるカラフルで華麗なストライプのリボンのようであった。オリーブグリーンとオマハオレンジによる高い視認性は、遠距離からでも列車を識別でき、踏切での安全性にも寄与した。無地のオリーブとオレンジのバンドは、合成の金色のストライプで分割され、強調された。客車や機関車の車体の一番下の部分に塗られた青白く銀色がかったグレーの帯が、車体と走行装置をくっきりと分けていた。列車名、鉄道名、車両名は、金色でオリーブグリーンの部分を背景に描かれていた。
新しい車両も多くの点で革新されていた。戦後、他の鉄道に先駆けて製造・納品された寝台車は、デュプレックスルーメットを特徴としていた。びっくりするような独創的なシステムで、今までの下段寝台よりほんの僅かだけ高い価格で、個室を提供した。もうひとつの革新は、48席座席車の乗客をもっと快適にさせるためのHeywood-Wakefieldのリクライニングシートの導入であった。明るくデコレートされたコーヒーショップ車は、カウンターが10席、ラウンジが10席であった。予約システムの導入により食堂車の長い列もなくなった。曇らない二重ガラスの窓は、客室の閉鎖性を高めた。冷水管が客車の各室に配備され、拡声装置も全車両に取り付けられた。ただし、プルマン車では、アナウンスもエンターテイメントも特別なものだったが。
戦後のエンパイアビルダーのデザインにとって塗色もまた重要な要素であった。Everett DeGolyer(有名なレールファン、歴史家にして最も包括的な鉄道写真コレクションのひとつのオーナー)は、あるときビルダーを、世界で最も美しい列車であると述べている。この面に関するGNとプルマンスタンダード社の雰囲気を反映して、プルマン社の色彩・デザインエンジニアのRalph Hamanは、「戦争の終結に伴い、世界は画一から抜け出した。誰もが、オリーブドラブやその同色系にはもう飽きた。我々は、華美で美しいものへの準備が整っており、この新しいエンパイアビルダーは、まさにそのような資質を備えるだろう。」と述べた。
そして、画一から確かに抜け出した。この列車は、ピュージェットサウンドの海岸や、モンタナ州、ダコタ州の平原を走り抜けるカラフルで華麗なストライプのリボンのようであった。オリーブグリーンとオマハオレンジによる高い視認性は、遠距離からでも列車を識別でき、踏切での安全性にも寄与した。無地のオリーブとオレンジのバンドは、合成の金色のストライプで分割され、強調された。客車や機関車の車体の一番下の部分に塗られた青白く銀色がかったグレーの帯が、車体と走行装置をくっきりと分けていた。列車名、鉄道名、車両名は、金色でオリーブグリーンの部分を背景に描かれていた。