カスケードのウェナッチーとスカイコミッシュ間では(1947年から1956年まで)、ビルダーは、もちろんディーザル機関車の前に連結された電気機関車で牽引された。スカイコミッシュとメリット間の2.2%勾配では、E-7-Aは225トンの牽引力しかなく、2両のAユニットを合計したパワーでもこの勾配を補機なしで登るには不十分であった。更に運用を複雑にしたのは、トンネル内では、煙やガスの発生を避けるためにディーゼルはアイドルポジションで走らなければならなかったことである。初期のディーゼルはダイナミックブレーキを装備していなかったので、東西どちらに向うにしろ、勾配を下る際には、電気機関車の回生ブレーキが必要不可欠だった。ウェナッチーでもスカイコミッシュでも特定のクラスの電気機関車がビルダー専用として割り当てられたことはなかった。むしろ、割り当ては必要性に応じ、運転指令の自由裁量に任せられていた。結果として、その時々に応じ、列車番号31と32は、2両のYクラス、YクラスとZクラスの混合、巨大なWクラス等によって牽引された。
Wクラスは、1947年に納車されたが、オマハオレンジとオリーブグリーンで塗装されていた。同時期に、GN工場は、Yクラスをこのカラースキームに塗り替え始めた。Yクラスが工場入りするごとに、塗替えが行われ、最終的にはYクラスすべてが燦然たる流線型列車カラースキームとなった。Zクラス機関車は、塗り替えられることはなく、スクラップされる日までオリーブと黒のカラースキームのままであった。
1967年・1968年に、エンパイアビルダーは、そのカラースキームをオマハオレンジとオリーブグリーンからビッグスカイブルーに変更したが、その外観はそれほどよくなったとは言えなかった。1970年には、バーリントンノーザン鉄道の創設により、車両はカスケードグリーンに白をアクセントとしたカラーに塗り替えられた。このカラースキームがほとんど広がらないうちに、AMTRAKにより運用が引き継がれてしまい(訳注:1971年5月1日より)、エンパイアビルダーのアイデンティティはほとんど完全に失われてしまった。現在、オリジナルの車両は、AMTRAKシステムのどこかで使用されているか廃車となっており、エンパイアビルダーの名前だけが時刻表に残るだけとなってしまった。
(了)
Wクラスは、1947年に納車されたが、オマハオレンジとオリーブグリーンで塗装されていた。同時期に、GN工場は、Yクラスをこのカラースキームに塗り替え始めた。Yクラスが工場入りするごとに、塗替えが行われ、最終的にはYクラスすべてが燦然たる流線型列車カラースキームとなった。Zクラス機関車は、塗り替えられることはなく、スクラップされる日までオリーブと黒のカラースキームのままであった。
1967年・1968年に、エンパイアビルダーは、そのカラースキームをオマハオレンジとオリーブグリーンからビッグスカイブルーに変更したが、その外観はそれほどよくなったとは言えなかった。1970年には、バーリントンノーザン鉄道の創設により、車両はカスケードグリーンに白をアクセントとしたカラーに塗り替えられた。このカラースキームがほとんど広がらないうちに、AMTRAKにより運用が引き継がれてしまい(訳注:1971年5月1日より)、エンパイアビルダーのアイデンティティはほとんど完全に失われてしまった。現在、オリジナルの車両は、AMTRAKシステムのどこかで使用されているか廃車となっており、エンパイアビルダーの名前だけが時刻表に残るだけとなってしまった。
(了)