(注)この物語の登場人物、場所はすべて架空です。
十一
「山下を頼む」
「失礼ですがどちら様ですか」
「本省の小川です」
「ご苦労様です。お待ち下さい」後藤からのとりつぎで緊急専用の受話器をとった。
「山下です。いろいろご迷惑をかけます」
「状況は、テレビでみた。大臣官房からもひっきりなしの問い合わせだよ。ところで本当はいつ気がついた」小川に嘘をついてもしかたない。本音を話すことは前からきめていた。
「ほぼ一ヶ月くらい前かな。高感度地震計のアナログ出力が波打っていたので、まさかと思った。でも監視装置には異常はみられない」
「まずかったな、よりによって斉藤がいたのか」まだ小川は斉藤との関係を気にしていると山下は察した。
「久しぶりにあったよ。元気だ。インタビューだって彼は間違ったことや、推論は一切述べていない。昔と全くかわっていない」
技術者としては、理解しているものの溝は深い。
「それはわかっている。ただ水位を下げる要求が出るとまずいな」
「どうしてだ」
「ああ、建設大臣と知事がお忍びで来週木曽に出向くことになっていた。大桑村の招待でね。高速道路の延長要請があったのだ。インターはダムの近傍、要は大桑村に」
「また、あいつは裏の家業を始めたのか」
「いずれにしても水位低下は難しいね。臨時の水位低下は地元の同意がいるし、観光の目玉として村長は主張しているからね」
「小川。俺に考えがある。責任は俺がとる。任してくれ。ただ、お前のコメントがどうしても必要だ。ダムを助けるためには。東海テレビからコメントを求められたら、ダム地質技術者の権威としてコメントしてくれ」
「ああ。本省は今後一切の問い合わせをしないように部下に指示する。そちらはまかせた。息子はどうかな」
「良くやってくれている。気苦労かけるが、公介君がいるお陰で大変助かっている」
「宜しく頼む。すまんな」
テレビの特番は繰り返し、同じ画像を流しており、専門家という連中は相変わらず無責任な発言を繰り返し、流域外の視聴者の興味をさそい、下流住民の不安をあおっている。
「所長。中部発電会社と連絡がつきました 」後藤がインターホン越しに連絡してきた。
「山下です」
「発電系統部長の榊原です」
「大変恐縮ですが、ダム緊急点検のため、速やかな水位低下に協力願いたい。損失落差の補填については、第五十二条に基づいて、不特定用水分を充当します。最大取水を要請します」
「正式要請と受けとめて良いですか」
「はい。公式文書は、管理課長から電送します。本省局長の承認は先ほど受けています」
「では、午後九時より最大取水を開始します」
「宜しくお願いします」
これで雨さえ降らなければ、これ以上の水位上昇はなくなった。電力会社も不特定用水の充当は美味しい話だし、水需要の低い時期だから大きな問題とはならない。ダムからの直接放水でないのでサイレンも鳴らないしマスコミの連中は気がつくはずはない。山下は恵子に連絡をとった。
「方針が決まった。会見の前に貴方に概要を説明したい。他のマスコミも来ているようだね」
「わかったわ。でもどうやってはいるの」
「北側の燃料タンクの脇に、鋼製の扉がある。今から五分だけ解放するのでそこから入ってくれ」
「カメラマンは」
「だめだ。貴方一人だ」
暫くすると、恵子は所長室のドアをノックし部屋に入った。
「誰にもみられていませんか」
「はい」
「それはよかった。あそこだけは監視カメラもありません。鍵も遠隔操作だけです。今後はこのルートをつかって下さい」
「そして、どの様な方針になりました」
「貴方は、中央高速の延長工事計画を知っていますか。そして来週、建設大臣と知事が大桑村の招待で来村すること。インターの設置要望ですよ」
「それが関係あるの」
「このダムの規模もこのメンバーが決めたのさ。村長は地元で大手の建設会社をしており、ダムの建設でも莫大な利益を手にしているんだ。そしてインターの建設も上松にとられないために、女を世話して大桑に設置を決めさせようとしている。役場の脇の夕映えというクラブのママだ。取材で知っているだろ・・・」
「そうだったの」恵子の目はさらに輝いた。
「ところで下流住民の反応はどうですか」山下は冷静に話題を変えた。
「ええ。でも避難についてかなり問い合わせが多いいわ。どうするの」
「本省の局長の内諾はすでに得ているが、水位低下は下流住民の要望だけでは法律的に無理なんだよ、地元の村長の同意が必要なんだ。だから、会見には村長のコメントがほしい。そして、村長の裏の家業を伏せて、言わせるだけ言わせて、とどめをさす。これに手を貸してほしい。それと、斉藤さんと小川局長との対話を中継したい。そして、局長に水位低下と今後の対応を発言させたい。最後に大臣のコメントを取材してほしい。ただし、最後はすべて建設所長の私の責任として会見を纏めたい。九時半から会見したい。十五分後に、東海テレビの仕切りで会見会場の設定をお願いしたい」
「あなたは、何を考えているの」
「私はダムの病気をなくしたい。ダムの病気はダムだけではない。それに関わったハイエナたちも切開する必要があるのさ、わかってくれそして協力してくれ。たのむ」
「わかったわ。でも十五分では対応が無理よ。四十五分からにしてくれない。スタッフにいまの件の調整をさせるから。やれるだけやってみる」
「ありがとう。たのみます」
山下は、後藤以下の主要職員を召集し、会見の予定を説明した。幾人かは、玄関を解放する前に、第一会議室までの通路に仕切りをした。すでに東海テレビのスタッフは玄関前に揃っていた。後藤は不思議だったが、玄関を開けると所長の会見があることを大声で伝えた。他のマスコミも慌てて玄関先に集まったが、既に東海テレビの独占的な仕切りのまえに、おこぼれを頂く程度の配置となった。
「ただいまより、今回の障害について会見を行います。先に概要を説明してから、皆さんからの質問を受けたいと思います」
所長からの概要説明があったあと、東海テレビをはじめとするマスコミ各社は、ダムの安全性と責任問題を繰り返し質問している。答える所長も同じ質問の繰り返しに飽きてきた。突然恵子が立ち上がって、質問を始めた。大きなテレビが持ち込まれており、スタジオも含めたメンバーも写し出されている。
「ここで、本省の小川局長との中継ができましたので、幾つかの質問をします。小川さんよろしいですか」
後藤はおどろいた。通常本省のトップは取材を受けることはない。なのに局長がコメントするとは、この問題は非常に大きな事なんだとあらためて思った。
「地質ご専門の立場で、今回の状態をどの様に考えていますか」
小川は落ち着いてゆっくり話し始めた。
「はじめに、ダム自体は健全であることをご理解ください。もし、この様な現象が起きたとしても急に変化が生じるものではありません。ゆっくりとした変化でしょう。したがって、いまどうこういう問題ではないのです。ただ、このダムには高感度地震計が設置されており、この様な現象が本当に生じたとしたら揺れも関知して管理報告にでてくるものです。報告にはなにもありませんので、これまでは問題なかったんでしょう」
恵子は山下に質問した。
「報告はデジタル処理されたものが発表されているだけで、生のアナログは公開されていませんね。もし、私たちが見た現象が正しいとすると、観測機器は反応しているはずです。ケーブルが故障していれば別ですが」
山下はマイクを持ち、自ら説明にたった。
「私から説明しましょう。高感度地震計は先月はじめから周期的揺れが観測されていました。しかし、値はごく小さく、基準に抵触しないので報告書にはきさいされていませんでした」
会見会場はざわめきたった。
「また、漏水観測計器のケーブルははやい段階から崩落岩でショートしていました。排水ポンプの積算電力計から判断すると、昨年の制限水位に達したころから、漏水は多くなってきていました。気づきませんでした」
マスコミは一斉に、山下の責任問題に矛先をむけた。ただ恵子は前向きの質問をした。わかっていながら、恵子の質問のみに答えるタイミングをはかった。
「いまの質問ですが、私は管理所長として、いやダム技術者として考えると、ダムの水位を低下させ、基礎を再度よく調査する必要があると考えています。勿論規程にそった関係箇所の了解が得られればですが」
「小川局長の意見は」
「ダム管理者の総責任者は規程上、山下所長です。したがってあくまでも決断者は所長でありますが、地元関係者のご理解が必要です」
「下流住民は不安なのですよ。要望があがっています」
会見中継が終了したころ、会見会場の入り口がざわめいた。格幅のいい男が入ってきた。一斉に照明が点灯してカメラはその男をおった。音声のマイクはふたたび音を拾っている。
「おい、勝手な会見を開いては困るね。本来村当局に最初に報告があってしかるべきだろう。所長あんたの責任だよ。紅葉観光はまだ後少しある。ボートの湖面利用も来月半ばまであるんだ。こんな悪評を勝手に放映してはこまるよ。知事からも先ほど電話があって、相当立腹している。あんたの責任や」
「村長。水位低下に協力なさいますか」
「なんのことだ。ダムの定期報告では安全であるとのことなんだよ。昨年は渇水だったろ。下流の市町村はこの水瓶が必要なんだろ。困るんだよ」
恵子はスタジオにホットラインを入れ、緊急中継に移行した。ここにいる者は誰もしらない。勿論一方的放映で、会見室のテレビは消した。
「大林さん、水位低下を点検目的でお願いします」
山下は深々頭を下げた。カメラは二人の関係を鮮明に移している。
「冗談じゃないよ。死活問題だ。あんたじゃ役不足だよ。それなりの人間が頭をさげなけりゃ。下流の市長だって、ダムは反対だ。洪水を防げ。水をためろ。言いたいことをいっている。今度は不安だから水位を下げろだって。村の生活を誰が保証してくれるんだ。下流の市町村が生活費をみてくれるのか」
「でも、いまダムの水位をさげないと」
恵子が割って質問した。
「あんたは誰だね」
「東海テレビの山根です」
「マスコミか。あんたらは、はじめこのダムの反対派に協力しただろ。自然破壊とか税金の無駄遣いといってな。そして、洪水の時は対応の遅れといって当局を避難したね。一体どっちがあんたらのスタンスや。あんたらに山村で生きるということはわかりはしない。どうせ視聴率だけの世界なんだろ」
恵子は、痛いと思った。ただ山下からの情報で切り札をもっていた。
「村長。来週に建設大臣と長野県知事が来村すると聞きましたが、水位低下に同意しないということはこれに関係ないのですか。高速道路のインター誘致の裏工作との話もありますが」
「失敬な」
村長は言葉に窮した。顔はひきつっている。なぜこの話をしっているのか。だれが情報を流したのか。
「君。憶測でものを言ってはいけない。私は渇水を今年は避けたいと思っているんだよ。下流の住民は渇水に耐えられるのかね。十二時間断水が一ヶ月も続いても我慢するのかね。本当にそれができるなら、下流の市町村の長の要請があるだろう」
「ダムの安全を確保する必要が生じてでも」
「ダムのどこが心配なの。毎月の報告は全く心配なく、故障一つ発生していない」
「しかし、我々の取材でそれは明らかになったでしょ」
「斉藤さんとかいうOBがコメントしているが、彼は地質の専門家かね。現役を離れ、かつ完成後の経過を観測している人間ではないでしょう。彼は昔から、村民の夢を砕き、誰の協力をもえられなかった所長だよ」
「局長も水位を下げる必要があるとのコメントがありますが」
「一介の役人が何を言っているのだ。そいつが全責任をとれるというのか。ましてや、その息子が観測をとりまとめているというじゃないか。息子のミスをかばっているんだよ。とにかく、長たるものの要請がなければ、お預かりしている水は下げれない。村に来てくれる観光客のための水でもあるんだ」
「村長さん。貴方は知事さんと特別な関係と聞きますが。女性がらみでね」
「なに」
「あるクラブのママが我々の取材を受けてくれましてね。このダムの建設裏話や、今回のインター誘致に関してもいろいろ話してくれました。ごらんになります」
「君たちは何者だ。そんなことはしらん。所長あんたの責任や、すべてな。勝手にしろ。我々の村は本件には関知しない」
「しかし、村長の了解が手続き上必要なのでは」
「一切、当村は関知しない。したがって、ダムに起因するすべての責任はそこの連中がとる」
「では貴方には、拒否する気はないと」
「とにかく、しらない」村長は、赤ら顔で肩を揺すってでていった。他のマスコミは、局長と息子の関係を指摘した。
「担当者のコメントを求めます」
「いや、全ての責任はこの私にある。したがって、一切の答弁はわたしが対応する」
「なにか隠していないのか」
「そんなことはない。これで会見を終わります」
大きな声で、山下は言い切った。そして、書類を抱え席をたった。一斉にフラッシュが光り立腹した、開き直った山下を撮影した。