2020/01/20 愛知県西尾市吉良温泉と歴史の散策。
西尾市吉良、黄金堤、
✿黄金堤(こがねづつみ)史跡
吉良上野介義央(よしひさ)時代に築堤した良い政治と伝える。
この地のやまあいの約180メートルを堤防でふさぎ、下流に八千石の田園を水害から救った。提を作るにあたっては領内老若男女こぞって工事に参加し、一晩で完成したと伝え、別名「一夜堤」と呼ばれる。現在は堤防の左右に桜が植えてあり桜の名所となっている。
案内板
黄金堤
堤と桜並木
✿鎧ヶ淵古戦場(よろいがぶち)
鎧ヶ淵の戦いは善明堤の戦い(ぜんみょうつつみのたたかい)で永禄四年(1561)に三河国において松平元康(徳川家康)と吉良義昭との間で起った戦い。この合戦によって淵の底に沈んだ将兵の鎧や武具がその後しばしば引き上げられたため、この淵を鎧ヶ淵と呼びこの戦いを「鎧ヶ淵の合戦」と称するようになった。
古戦場
✿金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)国宝
文治二年(1186)に源頼朝が三河守護安達藤九郎盛長(もりなが)に命じて建立させた「三河七御堂」の一つと伝える。
石標 本堂(国宝)
◇阿弥陀三尊像(県重文)
木造阿弥陀如来及び両脇侍像(像高は阿弥陀如来坐像80cm 両脇侍立像約80cm)
阿弥陀三尊像(パンフレット)
✿鳥羽神明社
第五十一代平城天皇の大同年間(806から809)の創建と伝わる。1200年の歴史がある「鳥羽の火祭り」は「天下の奇祭」として名高く、国の重要無形民俗文化財(平成十六年(2004))に指定された。
火祭りの看板(毎年2月の第2日曜日) 説明版
参道 拝殿
火祭りの準備
✿正法寺古墳(国史跡)
年代は古墳時代中期の前方後円墳で、墳長約94mの西三河最大の前方後円墳である。
説明版
古墳
✿正法寺(しょうほうじ)曹洞宗
暦応二年(1339)足利氏が鳳来寺の僧玉林坊を招いて再建したと伝える。その際、本尊として鳳来寺から移された薬師如来像(市文化財)は、眼病にご利益があるとの信仰が 厚いと云われる。
参道 本堂
✿羽利神社(はりじんじゃ)
市天然記念物の「双幹大樟(そうかんおおくす)」がある。
鳥居 拝殿
「双幹大樟」の大木
✿海蔵寺(かいぞうじ)浄土宗
慶安元年(1648)に3代将軍家光から朱印地10石7斗をうけた寺である。
文明二年(1470)西尾市善明町に創建され、寛永十八年(1641)にここに移ったと記す。
寺には、木造阿弥陀如来坐像(県文化財)が保存され、体内下部に元禄十二年(1669)に糟谷縫右衛門より寄進の朱書きがあると云う。
参道 本堂
◎佐久間玄蕃盛政公墓《索麻塚(さくまづか)》
佐久間盛政の墓は「刀形の墓碑」でした。
佐久間盛政(柴田勝家の甥)は名古屋市の御器所台で生まれた武将と伝えられ、鬼玄蕃(おにげんば)とも伝える、身長が六尺の大男だった武将であった。
✿旧糟谷邸(かすやてい)県指定文化財
豪農で豪商の糟谷縫右衛門家の屋敷である糟谷家は代々縫右衛門(ぬいえもん)を名乗り、吉良の大地主として三河木綿問屋、金融業、肥料、日用雑貨の卸小売業で財をなした豪農で豪商です。その主屋と長屋門などが「県指定文化財」となっています。
長屋門 裏木戸
母屋
待合
茶室
庭
土蔵
高井戸
◎尾﨑士郎記念館、
長編小説『人生劇場』で一世を風靡した尾﨑士郎(おざきしろう)の記念館です。
記念館 東京より移築の書斎
✿幡頭神社
大宝二年(702)の創建と云う。
祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)で、日本武尊の東征に従った建稲種命が駿河沖で遭難し、遺骸が宮崎海岸に漂着し、当地に葬られたと伝えられています。
本殿(国重文)は天正八年(1580)の建物で桃山時代の様式を伝える。
石標 参道
鳥居 拝殿
✿吉良温泉
吉良小唄と人生劇場の碑
✿宿泊
旅館 露天風呂(ケーブルで行く)
夜明け
部屋より(無人島の梶島)
以上
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