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本来、私的な運用を旨とする私のBLOGですが、今回初めて公共性のあるトピックスを取り上げたいと思います。
この画像は昨夜(3/15)町内会の公民館で開かれた「防災対策委員会」の様子です。
6年前から3~11月(奇数月)の15日にここへ集まり防災に関する勉強会を開催してきました。
私は3年前から携わるようになりました。
約1500世帯が暮らす都市型町会ですが少子高齢化の波はここにも押し寄せています。
この会の発足した経緯は、町内を流れる用水が梅雨時や大雨で氾濫しやすかった事に起因しています。
いわゆる「水防」から展開していったとも言えます。
発足から2年目の2007年3月25日に「能登半島地震」が発生しました。
この時町内にある自警隊を中心にボランティアに参加した事が、後にこの会の展開が大きく変わって行きました。
ボランティア活動から帰町した彼らは「この惨状の実態をみんなに伝えたい、いや伝えるべきだ」と行動に移していきます。
レポートをまとめ発表するのは勿論でしたが、どうやって核心の部分をちゃんと伝えるかに腐心しました。
その時点で調べられる限りの「地震の構造と今回の関係・その為に日頃の心構えとは」に時間を費やされました。
一週間後に集められた町内の人々で公民館は溢れかえっていました。
やむなく二部構成で開催された地震報告会は延べ500余人。
関心の高さが来場者を押し寄せさせたとはいえ、そのレポートには聴衆の皆さん声もありませんでした。
そしてその時リーダーを務めていた寺西委員長は地震にまつわる防災対策委員会を急ピッチで進められたのです。
それから4年目に入った防災会は着実に賛同者を集め現在645名が各町内会の自主防災組織に参加し研究・啓蒙に努めています。
昨年は「避難誘導班」「消化班」の模擬訓練も実施しました。
今年は「情報班」「救出・救護班」に防災カードの作成や救急救命の講習を受けて頂くよう熟慮中です。
今回東北地方を襲った未曾有の大災害。
日本国内は勿論世界中が震撼しました。
浮足立つなというのが無理な話で心が痛むのが当たり前です。
そんな時に開催したこの委員会に先立ち、委員長は「しゃべりたくない」とおっしゃいました。
彼が進めて来た防災活動の原点が「日本国内に於ける地震の実態と研究」だったからです。
日頃述べていた過去の発生していた地震とこれからの予見(政府発表や研究機関のデータ等)がこんなにも一致するとは・・・
その上、二次災害的に勃発した原発の事故が予断を許していません。
こんな会を開かずともTV等のメディアでは終日伝えています。
しかし、皆で助けに行ける訳がないのも現実です。
今この地で出来る事を再確認しようと会は開催されました。
予想以上に皆の関心は高く、渡されたレジュメと資料に食い入るように見入っておられたのが印象的でした。
よく防災委員の任期って何年ですか? と聞かれます。
その時すかさず言われた委員長の言葉が忘れられません。
「死ぬまでや!」
記<粟田連合町会防災対策委員会・サングリーン粟田町会防災会防災委員、児玉和男
この画像は昨夜(3/15)町内会の公民館で開かれた「防災対策委員会」の様子です。
6年前から3~11月(奇数月)の15日にここへ集まり防災に関する勉強会を開催してきました。
私は3年前から携わるようになりました。
約1500世帯が暮らす都市型町会ですが少子高齢化の波はここにも押し寄せています。
この会の発足した経緯は、町内を流れる用水が梅雨時や大雨で氾濫しやすかった事に起因しています。
いわゆる「水防」から展開していったとも言えます。
発足から2年目の2007年3月25日に「能登半島地震」が発生しました。
この時町内にある自警隊を中心にボランティアに参加した事が、後にこの会の展開が大きく変わって行きました。
ボランティア活動から帰町した彼らは「この惨状の実態をみんなに伝えたい、いや伝えるべきだ」と行動に移していきます。
レポートをまとめ発表するのは勿論でしたが、どうやって核心の部分をちゃんと伝えるかに腐心しました。
その時点で調べられる限りの「地震の構造と今回の関係・その為に日頃の心構えとは」に時間を費やされました。
一週間後に集められた町内の人々で公民館は溢れかえっていました。
やむなく二部構成で開催された地震報告会は延べ500余人。
関心の高さが来場者を押し寄せさせたとはいえ、そのレポートには聴衆の皆さん声もありませんでした。
そしてその時リーダーを務めていた寺西委員長は地震にまつわる防災対策委員会を急ピッチで進められたのです。
それから4年目に入った防災会は着実に賛同者を集め現在645名が各町内会の自主防災組織に参加し研究・啓蒙に努めています。
昨年は「避難誘導班」「消化班」の模擬訓練も実施しました。
今年は「情報班」「救出・救護班」に防災カードの作成や救急救命の講習を受けて頂くよう熟慮中です。
今回東北地方を襲った未曾有の大災害。
日本国内は勿論世界中が震撼しました。
浮足立つなというのが無理な話で心が痛むのが当たり前です。
そんな時に開催したこの委員会に先立ち、委員長は「しゃべりたくない」とおっしゃいました。
彼が進めて来た防災活動の原点が「日本国内に於ける地震の実態と研究」だったからです。
日頃述べていた過去の発生していた地震とこれからの予見(政府発表や研究機関のデータ等)がこんなにも一致するとは・・・
その上、二次災害的に勃発した原発の事故が予断を許していません。
こんな会を開かずともTV等のメディアでは終日伝えています。
しかし、皆で助けに行ける訳がないのも現実です。
今この地で出来る事を再確認しようと会は開催されました。
予想以上に皆の関心は高く、渡されたレジュメと資料に食い入るように見入っておられたのが印象的でした。
よく防災委員の任期って何年ですか? と聞かれます。
その時すかさず言われた委員長の言葉が忘れられません。
「死ぬまでや!」
記<粟田連合町会防災対策委員会・サングリーン粟田町会防災会防災委員、児玉和男
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