Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

近頃 私が考えていること

2011-07-07 19:34:08 | 日記
 久方ぶりの更新です。あっという間に今年も上半期が終了。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。私はというと、先月はいつになく多忙な日々を過ごしていました。

 わが家の長男の小学校卒業、長女の10歳の誕生日、そして身近な人のこの世からの旅立ち。喜びと悲しみとが綯い交ぜになって、今ひとつ咀嚼しきれないままでいます。
 
 そういうわけで、しばらくの間、何かを伝えたいのにそれが何なのかわからずに、ただ漠然とパソコンに向かっていました。昨日になってようやく心の中に浮かんでくることを書き留めておこうと思い立ったのですが、いざ文字にしようとすると途端に自分の意図とは違う方向へ話が歩き出してしまうので書いては消し、書いては消しというのを繰り返し、やや途方に暮れていたところです。

 結局、収拾がつかずじまいだったのですが、これだけは最近の自分の考えとして明確だというものがあったのでご紹介します。


 私たちがひとつの場所に留まり続けることはない。成長とともに暮らす場所が変わる、旅をする、関わる人が変わる、そして自分自身も変わる。日々の暮らしの中で今いる場所から常に立ち去っている私たち。そして、さらに大きな括りで言えば、最終的には現在から未来への時間の流れの中で誰しもが「死」というものによってこの世を立ち去らなくてはならなくなる。

 生まれた瞬間から、呼吸をしている今、生きていることが当然のようなこの瞬間にあっても、刻一刻と私たちは皆、死に向かっている。それは20年先、30年先かもしれないし、ひょっとすると一年後、半年後、あるいは来週かもしれない。明日だという可能性さえもゼロではないことは先の大震災でいやというほど思い知らされた。私たちが夢を描き、希望を持つことができるのは、その瞬間がいつ訪れるのかを知る由もないからであり、前を向いて生きていくためにはそれでいいのだと私は思う。けれども現代に生きる私たちは死という概念の本質からあまりにも遠ざかりすぎているために「今」を疎かにしがちになる。自分の「今」も他者の「今」も。少なくとも私は人生の大半をそんな風に過ごしてきた。

 自分が今存在している“時空間”、つまりそれは生活をしている場所であり、今日という日であり、さらには関わり合っている人々の心の中でもある。それらの場所に、自分は何を残して何を残さないのか。そういったことを因果応報の観点から意識しつつ、冷静に思慮深く暮らしていけたらいいなと思う。



 今日は七夕。皆様の願い事が星々に届きますように☆


ナマステ&シャローム
Nozomi

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