AAO術後9ケ月4週間
ここまでよくなるとは。。です。
あ、誤解があるとこまるので、
メールしたり、ブログに書きたい
発信したい、言いたいがなくなっていったら、
よくなってるってことだよなぁと
術後におもっていた。
あの頃は、必死にパソコンにむかっていた。
誰かの闘病記はバイブルだった。
だから、自分も誰かにつなぎたかった。
それが、いわゆるAAOサイトだった。
私はお世話になりました。
たくさんの情報をいただきました。
そして、術後も同じ環境の方にメールを
したり、いろいろなサイトでお話したりしていた。
説明しなくてもわかりあえる部分が
大きいんでしょう。。。
その時から、いつか
メールが減っていったら、
頭の中の股関節の占める割合が
かなり減っていて
いいたい、書きたいがへっていて
きっとよくなっているってことだろうと。。。。
反対に悪くなっていたら、まだまだどんどん
なんだろうなって。
当時、どうして、知りたい、
術後、1年、2年。。。。5年などないのかなぁと
おもっていたけれど、
こう言う事なんだろうと思う。
半年あたりでだいたい落ち着くのだろう。
ある意味術後半年ってこういうことであり、
深圧や接骨院の先生もいう、
骨はついたってところで
さあ、次っていう感じです。
なので、不具合やよくない感じは
半年の間に予兆があるのかなぁと思います。
手術そのもののっていいますか。
腰も半年ですごくすごく楽になった。
それまでは、腰のおじいちゃんドクターに
えーん、先にいってよぉぉぉぉぉ。と
いつも泣いていた。
術後すぐは何もできない。
してはいけないことオンパレード。
そして、術後すぐすっきりさわやかではない。
私は腰も脚もどちらもあまり痛くないままの
手術だったから、
なんで、手術していたいんだぁぁぁぁぁって。
痛いって失敗じゃないのぉぉぉぉって。
腰の時は、リハビリの先生やナースさんに、
「切り傷だって痛いでしょう。」
「体の中きってるんだよぉ。」と
言葉のたりないドクターのかわりにいっぱい
教えてもらったなあ。
だから術後、便秘でいきんで、病む・痛むが
ないようにとかいろいろと教えてもらった。
今だ音はすごいです。でも、
でも、そういうことで。。。
というなんとも何もできないところにいます。
小学校のバトミントンクラブの欠席の子のかわりは
できる。
でも、突発ダッシュはできない。
腰わるいから、ひねらないように。。。
です。
と、書かなくなってきているけれど、
情報のほしい方にとっては、
情報は保持している。
傷は。。。font>
赤の油性ペンで線を引いた感じで
盛り上がりなし。
場所によっては、赤よりピンク。
腰の方はかなりピンクと甥っ子がいっていた。
スパでもぎょっとされなくなった。
痛みはないが、なんとなーくのしびれ感はある。
マヒ感覚はかなりなくなっている。
ただ、
車の乗り降りで、
ちょうど、傷跡ぴったりにシートベルトの金具が
たぶん、ちょっとあたった。
が、
つきささったという感覚、痛みでした。
傷裂けたかと思ったほどだった。
こういうのは月一でおこってしまう。。。
気をつけてない私です。
寒くなって病むというのはない。
脚長差
なくなりましたぁなんて、
深圧や接骨院の先生にいったけれど、
これは、比較論かも。。。です。
あの五月あたりのすごーい負担だった時みたくは
ないってことで。
あるといえばある。
当時、5センチは違うイメージが今は実寸の1センチ以下
というイメージです。
筋トレやマッサージ、歩き方を考えたりと
やっぱりちょっとは嫌な感じです。
両脚不全の片足手術だから、しかたないんだろな。
もともと両脚同時手術だったから
この片足ずつ違うと言うのは、本当につらい。
片足になったのは、術前2週間だから、
あれよあれよで
片足のことを考える余裕はなかった。。。。
ただ、両脚だったらなぁって。。。
でも、両脚は大変そうだ。。。。
術後のリハビリも大変だもんなあ。。。
中途はんぱに仕事におわれ。。。
続きは。。。
また。。。
ああ、、個人懇談。。。
ここまでよくなるとは。。です。
あ、誤解があるとこまるので、
メールしたり、ブログに書きたい
発信したい、言いたいがなくなっていったら、
よくなってるってことだよなぁと
術後におもっていた。
あの頃は、必死にパソコンにむかっていた。
誰かの闘病記はバイブルだった。
だから、自分も誰かにつなぎたかった。
それが、いわゆるAAOサイトだった。
私はお世話になりました。
たくさんの情報をいただきました。
そして、術後も同じ環境の方にメールを
したり、いろいろなサイトでお話したりしていた。
説明しなくてもわかりあえる部分が
大きいんでしょう。。。
その時から、いつか
メールが減っていったら、
頭の中の股関節の占める割合が
かなり減っていて
いいたい、書きたいがへっていて
きっとよくなっているってことだろうと。。。。
反対に悪くなっていたら、まだまだどんどん
なんだろうなって。
当時、どうして、知りたい、
術後、1年、2年。。。。5年などないのかなぁと
おもっていたけれど、
こう言う事なんだろうと思う。
半年あたりでだいたい落ち着くのだろう。
ある意味術後半年ってこういうことであり、
深圧や接骨院の先生もいう、
骨はついたってところで
さあ、次っていう感じです。
なので、不具合やよくない感じは
半年の間に予兆があるのかなぁと思います。
手術そのもののっていいますか。
腰も半年ですごくすごく楽になった。
それまでは、腰のおじいちゃんドクターに
えーん、先にいってよぉぉぉぉぉ。と
いつも泣いていた。
術後すぐは何もできない。
してはいけないことオンパレード。
そして、術後すぐすっきりさわやかではない。
私は腰も脚もどちらもあまり痛くないままの
手術だったから、
なんで、手術していたいんだぁぁぁぁぁって。
痛いって失敗じゃないのぉぉぉぉって。
腰の時は、リハビリの先生やナースさんに、
「切り傷だって痛いでしょう。」
「体の中きってるんだよぉ。」と
言葉のたりないドクターのかわりにいっぱい
教えてもらったなあ。
だから術後、便秘でいきんで、病む・痛むが
ないようにとかいろいろと教えてもらった。
今だ音はすごいです。でも、
でも、そういうことで。。。
というなんとも何もできないところにいます。
小学校のバトミントンクラブの欠席の子のかわりは
できる。
でも、突発ダッシュはできない。
腰わるいから、ひねらないように。。。
です。
と、書かなくなってきているけれど、
情報のほしい方にとっては、
情報は保持している。
傷は。。。font>
赤の油性ペンで線を引いた感じで
盛り上がりなし。
場所によっては、赤よりピンク。
腰の方はかなりピンクと甥っ子がいっていた。
スパでもぎょっとされなくなった。
痛みはないが、なんとなーくのしびれ感はある。
マヒ感覚はかなりなくなっている。
ただ、
車の乗り降りで、
ちょうど、傷跡ぴったりにシートベルトの金具が
たぶん、ちょっとあたった。
が、
つきささったという感覚、痛みでした。
傷裂けたかと思ったほどだった。
こういうのは月一でおこってしまう。。。
気をつけてない私です。
寒くなって病むというのはない。
脚長差
なくなりましたぁなんて、
深圧や接骨院の先生にいったけれど、
これは、比較論かも。。。です。
あの五月あたりのすごーい負担だった時みたくは
ないってことで。
あるといえばある。
当時、5センチは違うイメージが今は実寸の1センチ以下
というイメージです。
筋トレやマッサージ、歩き方を考えたりと
やっぱりちょっとは嫌な感じです。
両脚不全の片足手術だから、しかたないんだろな。
もともと両脚同時手術だったから
この片足ずつ違うと言うのは、本当につらい。
片足になったのは、術前2週間だから、
あれよあれよで
片足のことを考える余裕はなかった。。。。
ただ、両脚だったらなぁって。。。
でも、両脚は大変そうだ。。。。
術後のリハビリも大変だもんなあ。。。
中途はんぱに仕事におわれ。。。
続きは。。。
また。。。
ああ、、個人懇談。。。