2020/09/10 木曜日 シソの葉はあちらこちらに成長中・・
久しぶりにお友達に誘われてランチ会・・楽しかった!。
*コロナの感染が気になり
外食は控えていたけれど・・せっかくのお誘いなので3時間くらいは
楽しんできた。時にはお喋りも大切である。お店を出るときに気が付いたのは
大きな木で作られている?ようなキリンがどっかりと・・立っていた。
お店の名前も知らずに入った。珍しいことでもある。いまだに
名前はしらず・・。そのうち覚えよう。
*その場所は初めて入ったお店であった。本日のデザートは★★?。
とかでお味が良くわからないので抹茶のアイスを注文した。彼女は
カシス?お値段がランチの後なのか150円で安かった。
もっと豪華なデザートはあったけれど・・やはり甘いのばかりはやばい!!。
*高脂血症&脂肪肝のレッテルを貼られそうな状態の身体には要注意。
*味覚はまだ正常には戻っていない。けれど・・水曜日の受診B医院で
アレルギーは異常はない。と言われた。一安心。咳で気管支鏡をする?
というのならば・・。皆がしなくてはいけないでしょう!!そんな・・。
ことで気管支鏡をする前に大切な検査もあるから・・。と。女医先生。
*肺の吸う力などの検査を昨日していただいた。肺のほうは正常に
呼吸はできていた。ただやっぱり気管支炎の影響で咳がまだ少しでる。
その影響で正常でない部分もあった。空中のなにか?。
*ストレスも気が付いていないけれどあり。ゆっくりではなく。
いろんな栄養を摂って健康になりたい。見かけだけは元気そうと。
お隣さんに言われたり。昨日はウナギを沢山食べた。亜鉛が必要なので。
今日は牡蠣を探しに買い物へ。でも牡蠣の季節はもう少し後?。
まずは味覚の異常を早く改善させる事が大切である。なぜならば
秋から冬に向かってゆくと・・寒くなり・・亜鉛が不足のときは
免疫力が落ちて病気になりやすいから。と。今のうちに
味覚のほうを改善しないとねDr。説明も丁寧なのでよく理解できた。
*脂肪肝の検査の結果を来週によく聞いてきなさいね。と言われた。
今回のA医院での治療の相違などで‥悩んだけれど・・。
これからは女医先生のB医院で高脂血症のお薬を処方して頂くことにした。
*今朝の予約のA医院へはお手紙で先生宛に事情を書いて・・(PCにて)。
受付で先生に渡して頂くように依頼した。もちろん気管支鏡の
検査は納得できないのでしたくない。意見も付け加えた。
もちろん・当たり障りのない文章で・・
*弱い立場の患者は何でも先生の言いなりにしていたのでは良くないこと。
押し売りのような治療や検査は現在の状況では医療費の無駄。
私たちは日頃から健康についてや病気の情報などはインターネットなどや
テレビなどの情報で教えてもらえるから。疑問に思ったことは
納得がゆくまで説明をして貰いたい。あまり説明もなくいきなり・・
*紹介状を下さったり・・なんで・・病院へ検査に?
*あちらこちらで。重なった検査。電子カルテでどこの医療機関でも
一人の患者に対してすべての情報がわかるようにしていないと・・。
いつまでたってもお粗末な医療でしかない。患者としては困る?
事もあるかもなので。本人や家族の承諾を得て。これからの
老後の医療をも自分で選択できるようにさせてほしいとも思う。
*末期がんのときや万が一交通事故で脳死状態になったとき。
*救急車がきても・・自分はどのようにしてほしいのか?
もうこれ以上は蘇生などしないでほしい。とか?
家族や受け持ちのお医者さんに。いろんな状況での医療を。
受けたいのか?自然に木が枯れるように命を大切にしながら
自宅なりどこかの施設なり。病院でその人らしい生き方=
死にかたを。選べる医療も現在はできると思っている。
*安楽病棟*の本について・・
”高齢者で生きた屍”?と。ある
先生が判断したときには・・。???
いつの間にか”尊敬できる・・尊敬していたはずのDrが・・
みんなの知らないところで・・。大切な命を・・ある薬?。
で抹殺するという。犯罪行為・などの物語・・。
*現実に家族に見放されている老人は嫌でもそのような
悲しい状況に置かれてしまうのかも?。
*自分の願いは楽しく生きてもしも後少しの人生(命)であるとしても
やっぱり・・死は怖くはないけれど・・だれか親しい家族や
友人などに手を握ってもらい・・身内のさりげない日常会話の中で
好きな音楽を聴きながら・・雲の上に登っていくような
ふわふわとした真綿の上でだんだん記憶が遠のいてゆく・
そんな状況のなかで・・楽しかった思い出などを
回想しながら1週間~3日間くらいを経過した後で
意識が朦朧としてきて皆に感謝を心の中で呟きながら
喜びと怒り・哀愁を感じながらやっぱり楽しかったことを
一番の思い出として天国に導かれてゆくことができるならば
*これがどんな死に方よりも最高の極楽浄土であるのかも。
願望であるけれど・・
**生まれた時も一人で・・死ぬるときも一人で・・なんにも寂しくはない**
悲しくもない。悲しいのは見送る人々が悲しいのであるのかも。
*父が病院で亡くなった! 目の前で・それから数年後に母も目の前で亡くなった。
大切な人を見送ることができたことは感謝である。
*母方の御ばあさまの時も・・遠方よりお見舞いにいって・・やはりその日
少しご挨拶をした後で息を引き取った。その時もやはり感謝。
*最愛のご主人様も喜怒哀楽を1週間の間に感じながら?・・
私の傍で緩和ケア病棟で苦しむこともなく天国へ・・。感謝!!。
*遠方で親と離れて生活をしていたけれど最後のお別れの
時にはしばらくの間。傍にいてお世話ができたこと・身内の
姉弟などの支えがあったからと。いつも感謝をしている。
*もうすぐお彼岸がやってくる。だからなのか?
最近はいろんな亡くなった友人や身内のことが思い出される。
遠方のためお墓参りにはいけないけれど。心の中で
大切な方たちを思い出す事で自分自身の癒しになるのかも。
枇杷:594