昨日、父と話をしていた際に父がこんな話をしてくれました。
先日、Cocoちゃんと朝の散歩にいつもの展望台まで出かけた時の事。気候も暖かくなり展望台は若者が深夜にやってきて呑んで食べ散らかしたゴミの山。全てのゴミを拾うには、ウンチ用の袋では拾えない。仕方が無く父は、割れると危険なビールの瓶だけを拾って手で持って山を出ようとしたのでした。山の入り口でボランティアで掃除をしているおじさんとすれ違った際におじさんが
「あんた、犬の散歩をしながらお酒を呑むのかね?!」っとビール瓶を手にした父に言ったとか。確かに父はお酒好きと思われそうな顔つきだけれど、アルコールは一滴も飲めません。捨てるために手にしていたのに間違えられて、とても気分が悪かったけれど父は説明するのも面倒だったので「拾って捨てる」とだけ伝えたとか。
私が聞いても気分の悪い話です。その後、父の話のそのおじさんの一言が脳裏から離れずずっとその事を考えていました。そして、ハッと私なりに気が付いたのです。
その事を今朝、父に話しました。
「その言葉を聞いてどう思った?あまりいい気持ちがしなかったよね?
おじさんは、お酒を呑んだ事を非難したわけではなく、ただ「お酒を呑んで散歩するのか?」っと聞いただけだけ。だけどその何気ない一言で気分の悪くしたわけで、「言葉」って大切だという事をおじさんが教えてくれたと思わない?「言葉にエネルギー(言霊)」があるのだと言う事。今までそんな事も考えずに発言してきて、今、我を振り返ってそこに気がつけたとしたら、その発言をしたおじさんに感謝すべきかもしれないよ?と話したのです。
そこで父譲りの短気な弟は、「どうして反論しなかったのか?」っと発言。
そんな事は、どうでもいい事。私が言いたいのは、そんな事ではないのです。
しかし気分を害した当事者の父は、私の話に少しは納得したようでした。
こうして「言葉」で傷つけ合ってきた親子は、「言葉」について話し合い、家族で成長すべき課題の一つを実感したのでした。
・・・・弟君は、まだまだかな~。
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祭礼2日目の今日もとてもいいお天気。
神社の境内は、沢山の人で賑わっていました。
餅撒きのお餅を一生懸命拾う人、そしてそこにヒラヒラと風に吹かれて散り行く桜。
神様の住む神社の境内は、不況と言われつつも「幸せ」と「平和」のオーラが一杯溢れていたように感じました。
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