昨年の11月に出版された小林正観さんの本「豊かな心で豊かな暮らし」が中古本で出るのを待って、ようやく先日、手に入れました。
この本を出版された時からチェックをしていたのですが、本の帯に気になる見出しが・・・・。「正観さん、最後のメッセージ、どうしても伝えたい事」とあったのです。
この本を先に読みかけている父のテーブルから、手にとって少しパラパラと読んで落胆してしまいました。
そこには「10月12日没」の一文が。この本が出版された一カ月前に、正観さんは亡くなっていたのです。
「最後のメッセージ」は、そういう意味でした。あまりネットを見ない私は、昨日まで正観さんの死を全く知りませんでした。
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もう3年ぐらい前になるでしょうか、何を言っても全く聞く耳を持たなかった父と私の葛藤。ある日の朝、一時間ほど早く実家に出向いた私は、父の日課の朝のお勉めを始まりから終わりまで聞いていました。一時間もの間、父が、ひたすら神棚、仏壇に向かって祈願していたのは「お願い事」ばかり。その父に、たまたま前の夜に読んだ正観さんの本を差し出したのです。そのタイトルは「釈迦の教えは感謝だった」と「神様に好かれる話」でした。「神様にお願いをするばかりで、感謝した事はあるの?」っと私。本のタイトルとは間逆の事をしていた父は、すぐにその本を読み始めました。
それがきっかけで、次から次へと私が持っている正観さんの本を読み進めるうちに、傲慢だった父は「感謝」する事を表現出来るようになり、少しずつですが変わり始めたのです。以前、正観さんの本の一節をコピーして、父に見せた事がありましたが、「お前の言いたい事が何か分からない!」っと言っていた父が、自ら本を読むようになったのです。何度も何度も読み返し、父の後に私が読むと、付箋でマークがしてあるページもありました。苦しい状況の中でも感謝する事を忘れずに、その中でも多くの幸せを感じながら、この数年間を正観さんの本に書いてある事を実践しつつ、乗り越えてきました。正観さんの本を読む事を親子で楽しみにしていました。
いつか、父と一緒に正観さんのお話会に参加する事が、私の夢でした。
正観さんの本がなければ、私と父の今日は無かったと思えます。
正観さんの教えを実践することで、与えられた苦難にも感謝し、生きている幸せを実感しながら、親子の愛情を再確認しながら、父と娘は確実に成長し、沢山の幸せを感じて過ごせるようになったのです。
今頃になってですが、その正観さんが他界された事を知り、愕然としています。
正観さんを想って「ありがとうございます」っと言う度に、涙が溢れて止まりません。
正観さんは亡くなってしまったけれど、正観さんから学んだ事は、目に見えない物ですが、これからも私達親子の宝物です。
父が生きている間、そして、私の人生が終わるまで、私はそれを実践し続けます。
ただ淡々と全てを受け入れて、笑顔で笑って輝いて、そして、嬉しい♪楽しい♪幸せ♪な毎日を。
感謝する事が出来るようになった父。父のカレンダーには、「ありがとうございます」を言った回数が、今日も刻まれていました。
よく短気を起こして「チーン!」となってしまいますが、さっき覗いてみたら800万回を超えていました。
今日も神仏へ「ありがとうございます」と感謝を伝える父。
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正観さん、心から「ありがとうございました」。涙・・・・・・。
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