地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」に参りました。
修善寺は伊豆の中央部分に位置し、温泉避暑地的な場所です。いつも素通りしていたのですが、初めてのお参りです。
空海は、平安時代初期の僧。
807年(大同2年)に空海(弘法大師)が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗に属していました。
当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であった。
その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。
また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、元久元年(1204)源頼家がこのこの地で殺害されています。
本尊の大日如来像(重文)は、その母北条政子が頼家公の菩提のため、七回忌に当たり承元四年(1210)に実慶に造らせたことが、解体修理の結果わかった。(中略)
建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗された。(以下略)
=wikipe参照=
御手水
建造物、瓦も歴史を感じます
お手を清めて・・温かい♪ 温泉です
「お寺さんです」
現在の修禅寺は曹洞宗ですが、臨済宗の時代を経て現在の曹洞宗になっています
修禅寺にはこの地域に根ざして古くから時代や宗派を越えて伝えられてきた独特の行事があります
「改宗の変遷」
807年・弘法大師(真言宗)→鎌倉時代・蘭渓道隆(臨済宗)→室町時代・北条早雲(曹洞宗)
境内はとてもきれい、日本の風景ですね
修禅寺寒桜
静寂な境内に 新緑がとけ込んでいます、、贅沢。。
後ろの建造物は工事中だったのですが中には入らず・・前に瓦を展示していました
ちゃんとした名前があると思うのですが、鐘楼・手水舎の屋根にもついていました
お参り後周辺を散策します
よくこんな構図を見つけましたね。それとも庭師さんが、こんな風に刈り込んでいるのかな?そんなことはないですよねぇ。
良い季節に参りました(#^.^#)
神社仏閣をお参りするようになって、建造物の品格と境内の空間にそびえる樹木の風格に日本の美を感じています。
宮大工でしょうか?木造建築は素敵ですよね。