博文(ひろぶみ)通信

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8/9付けあぶくま抄

2014-08-09 21:17:35 | 日記

<福島民報あぶくま抄より>

 安政4(1857)年8月、オランダ人軍医ポンペが来日する。長崎に日本初の西洋式近代病院と医師養成所を造り上げた。その伝統を受け継ぐ旧制長崎医大は、日本の医学界をけん引する逸材を輩出し続けた。
 昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市の上空約500メートルに閃光[せんこう]が走る。爆心地から約600メートル離れた長崎医大では夏休みを返上して講義が行われていた。一瞬の光の後、爆風が襲った。医学の道を志し、講堂で学ぶ1、2年生413人と教壇に立つ教授はそのままの姿で帰らぬ人となる。学長を含む職員、学生約890人が犠牲となった。
 平成23年3月12日午後3時36分、東京電力福島第一原発が最初の水素爆発を起こす。長崎大医学部は翌13日に職員の派遣を決定する。2日後には福島医大を拠点に活動を始めた。被爆二世の教授山下俊一さんらが放射線リスク管理アドバイザーとなり、献身的に本県のために尽くす。
 きょう、長崎市では原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が催される。ポンペに教えを受けた松本良順は後に、戊辰戦争で会津藩士の治療に当たった。長崎と本県の絆は強い。原爆犠牲者に心から黙とうをささげる。

( 2014/08/09 08:56カテゴリー:あぶくま抄