上杉謙信
これだけ高名で、戦国最強説もありながら、大河ドラマで主役になったのは「たった一回」。それも私も覚えていないほどの昔です。石坂浩二さんの「天と地と」。
正義の人過ぎて面白くないのか。衆道(確証はなし、それに衆道なんて信長だってやっていた)がいけないのか。理由はわかりません。信玄が主人公の場合は副主人公にはなります。柴田恭兵さんとかガクトさんが演じました。
上杉家そのものは大変古い家です。足利尊氏の母が上杉氏です。謙信の若い時代、越後の守護は上杉定実(さだざね)でした。が、跡継ぎなく死んだため、将軍義輝は長尾景虎を守護並みにします。この長尾景虎が上杉謙信です。もっとも守護になる前から権力そのものは長尾家にありました。
上杉謙信は大層な酒好きで、50歳を前に、おそらく脳溢血であっけなく死んでしまいます。西に向かって動き出した時でした。そのあたりは「天地人」で描かれました。役者は阿部寛さんです。
毘沙門天に誓って女色を断っているわけですから、当然子供がいません。しかも悪いことに跡継ぎを指名していませんでした。そもそも越後だって一枚岩ではなく、派閥はありました。で、謙信の甥の上杉景勝を押す一派と、北条家からの養子の上杉景虎を押す一派で跡目争いが起きます。御館の乱です。これによって上杉家の力は相当落ちました。これも「天地人」で詳しく描かれています。どこまで史実かは微妙ですが。
「真田丸」に出てきた上杉景勝(遠藤憲一)は少し情けないところがありました。御館の乱によって謙信時代の上杉家の威光はもはやなくなっていたからです。「真田丸」は描きませんでしたが、織田信長に攻撃され、本能寺がなければ、おそらく滅亡していたでしょう。
重臣の直江兼続が頑張って、本能寺後の動乱をなんとか乗り切ります。豊臣秀吉からは江戸の抑えとしてか、会津120万石をもらいます。その前の越後時代は40万石程度でした。ちなみに謙信時代は最大で150万石程度(計算によって様々、商業収入も多かった)と言われています。
関ヶ原段階での行動は疑問が多いと思います。前田家が回避した家康の挑発を何故回避しなかったのか。直江状は本物なのか。そもそも徳川家と本気で戦うつもりだったなら、何故無理してでも軍勢を西に向けなかったのか。家康を挟み撃ちにするという作戦(存在したか分からないが)は机上のものとなり、結局は伊達と一生懸命に戦うはめになっています。
直江兼続は「天地人」でもなんでもなく、一生懸命上杉家の生き残りを図った人としか言えないような気がします。
それでも生き残りはできて、結局30万石になります。米沢藩です。しかし比較的早期に家督断絶によって改易の危険が生じます。が、徳川家光の弟、保科正之の助けで、なんとか家は存続します。しかし15万石に減封されました。江戸末期は19万石だそうです。
大河に上杉が登場するのは戦国時代だけではありません。徳川綱吉時代の「忠臣蔵もの」でも登場します。吉良の実子が上杉家の養子になって、上杉を継いでいたからです。親父を守ろうとして上杉綱憲は騒ぐが、重臣に止められる。というのがお決まりのシーンです。
もう一人、米沢藩には9代上杉鷹山というスターがいますが、大河に出たことはありません。大河にしても「道徳劇」みたいになってしまうからかも知れません。
これだけ高名で、戦国最強説もありながら、大河ドラマで主役になったのは「たった一回」。それも私も覚えていないほどの昔です。石坂浩二さんの「天と地と」。
正義の人過ぎて面白くないのか。衆道(確証はなし、それに衆道なんて信長だってやっていた)がいけないのか。理由はわかりません。信玄が主人公の場合は副主人公にはなります。柴田恭兵さんとかガクトさんが演じました。
上杉家そのものは大変古い家です。足利尊氏の母が上杉氏です。謙信の若い時代、越後の守護は上杉定実(さだざね)でした。が、跡継ぎなく死んだため、将軍義輝は長尾景虎を守護並みにします。この長尾景虎が上杉謙信です。もっとも守護になる前から権力そのものは長尾家にありました。
上杉謙信は大層な酒好きで、50歳を前に、おそらく脳溢血であっけなく死んでしまいます。西に向かって動き出した時でした。そのあたりは「天地人」で描かれました。役者は阿部寛さんです。
毘沙門天に誓って女色を断っているわけですから、当然子供がいません。しかも悪いことに跡継ぎを指名していませんでした。そもそも越後だって一枚岩ではなく、派閥はありました。で、謙信の甥の上杉景勝を押す一派と、北条家からの養子の上杉景虎を押す一派で跡目争いが起きます。御館の乱です。これによって上杉家の力は相当落ちました。これも「天地人」で詳しく描かれています。どこまで史実かは微妙ですが。
「真田丸」に出てきた上杉景勝(遠藤憲一)は少し情けないところがありました。御館の乱によって謙信時代の上杉家の威光はもはやなくなっていたからです。「真田丸」は描きませんでしたが、織田信長に攻撃され、本能寺がなければ、おそらく滅亡していたでしょう。
重臣の直江兼続が頑張って、本能寺後の動乱をなんとか乗り切ります。豊臣秀吉からは江戸の抑えとしてか、会津120万石をもらいます。その前の越後時代は40万石程度でした。ちなみに謙信時代は最大で150万石程度(計算によって様々、商業収入も多かった)と言われています。
関ヶ原段階での行動は疑問が多いと思います。前田家が回避した家康の挑発を何故回避しなかったのか。直江状は本物なのか。そもそも徳川家と本気で戦うつもりだったなら、何故無理してでも軍勢を西に向けなかったのか。家康を挟み撃ちにするという作戦(存在したか分からないが)は机上のものとなり、結局は伊達と一生懸命に戦うはめになっています。
直江兼続は「天地人」でもなんでもなく、一生懸命上杉家の生き残りを図った人としか言えないような気がします。
それでも生き残りはできて、結局30万石になります。米沢藩です。しかし比較的早期に家督断絶によって改易の危険が生じます。が、徳川家光の弟、保科正之の助けで、なんとか家は存続します。しかし15万石に減封されました。江戸末期は19万石だそうです。
大河に上杉が登場するのは戦国時代だけではありません。徳川綱吉時代の「忠臣蔵もの」でも登場します。吉良の実子が上杉家の養子になって、上杉を継いでいたからです。親父を守ろうとして上杉綱憲は騒ぐが、重臣に止められる。というのがお決まりのシーンです。
もう一人、米沢藩には9代上杉鷹山というスターがいますが、大河に出たことはありません。大河にしても「道徳劇」みたいになってしまうからかも知れません。