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戦国大名とストレスを考える。

2019年04月18日 | 織田信長
ストレスに戦国大名はどう対処していたのでしょうか。

戦国時代は「ひどい時代」です。「ドラマで見るよりずっとひどい時代」です。明日の命も分からない。人買いや奴隷もいた。「みな殺し」もあった。飢饉もある。災害もある。医学も発達していない。そして「神仏への畏怖」もある。

織田信長が沢山の人間の命を奪ったことは有名ですが、豊臣秀吉や徳川家康だって変わりはありません。

織田信長というと「迷いがない」イメージがありますが、どうなんでしょう。比叡山焼き討ち、一向一揆の殲滅、「神仏のたたり」への恐怖は全くなかったのでしょうか。「なかった」としたら、やはり異常人でしょう。我々現代人だって、たとえば仏像を焼いたりしたら、あまり気持ちのいいものではない。中世人である彼が、それを全く恐れなかったとするなら、ストレスはない代わりに、人間とも言えないような気がします。

豊臣秀吉も随分と人を殺しました。しかし「死霊への恐怖」「たたり」を恐れたという話はあまり聞きません。晩年の彼は弱気な面を見せました。これは極めて現実的で、老い、衰弱への恐怖、ストレスです。ただし自分が死ぬのは、秀次のたたりとか思っていた様子はありません。やはりストレスにはだいぶ強い人間だったように思えます。

徳川家康はちょっと違います。いわゆる健康オタクでした。程度は分かりませんが、病気へのストレスはあったでしょう。ただし死の手前まで「大病」はさほど患っていません。彼は運動が体にいいことを知っていて、晩年になっても鷹狩りをしています。本来はストレスフルな性格だったように思いますが、うまく乗り切っていたのでしょう。74歳まで生きます。当時としては長寿です。

武田信玄が「上洛」を志した時、彼は既に重篤な病気に侵されてたとされています。肺もしくは胃の病です。それでも戦場に臨みました。勇気があるというより無謀です。しかしそれでもやった。そして死んでしまう。やらなくてもどうせ死んでいたのかも知れませんが、彼などもストレスに強い人間の一人でしょう。ちなみに謙信は急死だったので、そういう逸話はあまり聞きません。

小早川秀秋、関ケ原で裏切り、そのストレスで酒乱となり、若くして死んだと言われます。ただ最近の学説というか「もはや定説じみた考え」では、「関ケ原開戦直後に裏切った」とされます。三成も分かっていたと。それは正しいのかも知れませんが、そうなると「小早川秀秋の1万5千が裏切る」ことを前提に、三成は「それでも野戦をした」ことになってしまいます。関ケ原の「定説」は「ころころ変わり」ます。

戦国時代はあれほどひどい時代なのに「不安やストレスで悩んでいた武将」の話はあまり伝わっていません。ごく普通に「あるがまま」を実践していたのかも知れません。


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