豊臣秀吉というと、大河ドラマでは何回も主人公になっていますから、「さぞ人気があるのだろう」と韓国・北朝鮮の方は思っているかも知れませんが、最近は「そーでも」ありません。
ただエピソードが「尽きることなく」あるので、非常にドラマにしやすいのです。人気としては信長の方があるでしょうが、信長はちと残虐過ぎます。家康は地味であって、そもそもあまり人気がありません。で、どうしても「秀吉関係」(真田丸とか軍師官兵衛とか、ずばりそのもの秀吉とか太閤記とか)が多くなります。
秀吉に関しては、最近は甥の秀次を殺して、その妻女・子30名以上を虐殺したことも知れ渡ってきました。映画「関ケ原」などその残虐シーンから始まります。「人を殺さない」ことが魅力だったわけですが、「よく考えると晩年は残虐だった」「朝鮮でも耳そぎ、鼻そぎなど相当ひどいことをした」ことが有名になってきています。
もっとも、大河ドラマでは文禄の役=壬辰倭乱や、慶長の役=丁酉倭乱を「具体的に描いた」ことはかつて一度もありません。「加藤清正が籠城して飢えるシーン」なんか一度も描かれたことがないのです。ただ帰ってきてからの清正のセリフで「飢えながら戦っていたのに、三成は国内で桜見物などしてやがった」とあるので知るのみです。正確には桜見物していたのは、石田三成ではなく、豊臣秀吉です。
で「なんで朝鮮侵略なんかしたんだろう」「なんで朝鮮出兵なんかしたんだろう」ということになると、日本国内でも定説はありません。
まあ朝鮮に兵を送ったのは「明を征服しようとした」のだろうという点では「そこそこ」一致はします。が「なんで明を征服しようとしたのか」となると、諸説入り乱れます。
子供が死んだから。領土が必要だったから。絶えず戦争してないと持たない政権だったから。東アジアの秩序を日本を中心として回復しようとしたから。勘合貿易をしたかったから。
と十以上の説があって、たぶん永遠に一致はしません。
領土が必要とか戦争政権とか言っても、江戸幕府が「それなしでも成り立った」ことを考えると?となります。
破綻した明による冊封体制に代わって、新しい東アジアの秩序を回復しようとした、、、こう書くといかにももっともらしいのですが、「できるか!そんなこと」で終わりですし、実際全くできなかったわけです。
結局のところ「頭がどーかした」が一番分かりやすく、そう描かれることが多い。理解不可能ということです。
大河「真田丸」では秀吉が「頭がどーかなったわけではない。大名の力をそぐためだ」と言ってました。それなら豊臣の城をバンバン作って、大名に金を使わせるという江戸幕府方式のほうがよほど理にかなっています。
そもそも「九州と朝鮮の区別がついていたのか」、つまり九州は日本であり、朝鮮は外国であるというしっかりとした認識があったのかすら分かりません。
「言葉が通じにくい」という意味では島津も朝鮮も同じではないか、ぐらいに思っていたふしもあります。つまり「外国との戦争」ではなく「国内戦の延長ぐらい」に思っていたのかも知れません。
一言余計なことを書いておくと、古代はともかく、中世以降となれば、最初に日本を攻撃したのは朝鮮です。「元寇」のことを言っています。高麗は元に言われ、仕方なくですが、日本を攻撃しました。これ、何の為に書いているかというと、朝鮮批判ではありません。書いておかないと「自虐史観」とかナンタラカンタラ、こういう文章は一部の日本人を刺激するからです。とにかく「なんとか豊臣秀吉の行為を正当化できないか」と考える人がいるということです。「できるか!そんなこと!」と私は思っています。もっとも400年前のことで朝鮮に謝ろうとも思いません。そんなら元寇を謝れとなって、不毛不毛不毛な議論になっていきます。
なお、近代においては「朝鮮を通ってロシアがやってくる」ことが怖くて日本は朝鮮を領土化しようとしました。
日本の行為を正当化しようというのではなく、近代においては「それなりの理由=外国への恐怖があった」ということです。でもこれは謝ります。が、少しのみです。日韓併合は100年以上前ですからね。敗戦で終了、終了してからだって70年以上。私とは全く関係ありません。日本人の犯罪的行為にいちいち責任を負うことなんかできないし、実際責任なんかないからです。強制労働の問題なんてそれこそ「国の問題」であって、私個人は全くかかわっていません。
とはいえ、私は本来日韓友好論者なので、いろいろうまくいくことを願っています。
それはともかく、
秀吉の行為については、どーにも説明のしようがない。もっともらしく説明する人もいますが、万人の承諾を得ることはできません。
秀吉の朝鮮侵略の動機については、日本人にもよく分からないのです。
朝鮮出兵以前の秀吉は、日本史でも際立って魅力的なエピソードに富む人物だけに、晩節を汚したのはいかにも「惜しい」と思います。
ただエピソードが「尽きることなく」あるので、非常にドラマにしやすいのです。人気としては信長の方があるでしょうが、信長はちと残虐過ぎます。家康は地味であって、そもそもあまり人気がありません。で、どうしても「秀吉関係」(真田丸とか軍師官兵衛とか、ずばりそのもの秀吉とか太閤記とか)が多くなります。
秀吉に関しては、最近は甥の秀次を殺して、その妻女・子30名以上を虐殺したことも知れ渡ってきました。映画「関ケ原」などその残虐シーンから始まります。「人を殺さない」ことが魅力だったわけですが、「よく考えると晩年は残虐だった」「朝鮮でも耳そぎ、鼻そぎなど相当ひどいことをした」ことが有名になってきています。
もっとも、大河ドラマでは文禄の役=壬辰倭乱や、慶長の役=丁酉倭乱を「具体的に描いた」ことはかつて一度もありません。「加藤清正が籠城して飢えるシーン」なんか一度も描かれたことがないのです。ただ帰ってきてからの清正のセリフで「飢えながら戦っていたのに、三成は国内で桜見物などしてやがった」とあるので知るのみです。正確には桜見物していたのは、石田三成ではなく、豊臣秀吉です。
で「なんで朝鮮侵略なんかしたんだろう」「なんで朝鮮出兵なんかしたんだろう」ということになると、日本国内でも定説はありません。
まあ朝鮮に兵を送ったのは「明を征服しようとした」のだろうという点では「そこそこ」一致はします。が「なんで明を征服しようとしたのか」となると、諸説入り乱れます。
子供が死んだから。領土が必要だったから。絶えず戦争してないと持たない政権だったから。東アジアの秩序を日本を中心として回復しようとしたから。勘合貿易をしたかったから。
と十以上の説があって、たぶん永遠に一致はしません。
領土が必要とか戦争政権とか言っても、江戸幕府が「それなしでも成り立った」ことを考えると?となります。
破綻した明による冊封体制に代わって、新しい東アジアの秩序を回復しようとした、、、こう書くといかにももっともらしいのですが、「できるか!そんなこと」で終わりですし、実際全くできなかったわけです。
結局のところ「頭がどーかした」が一番分かりやすく、そう描かれることが多い。理解不可能ということです。
大河「真田丸」では秀吉が「頭がどーかなったわけではない。大名の力をそぐためだ」と言ってました。それなら豊臣の城をバンバン作って、大名に金を使わせるという江戸幕府方式のほうがよほど理にかなっています。
そもそも「九州と朝鮮の区別がついていたのか」、つまり九州は日本であり、朝鮮は外国であるというしっかりとした認識があったのかすら分かりません。
「言葉が通じにくい」という意味では島津も朝鮮も同じではないか、ぐらいに思っていたふしもあります。つまり「外国との戦争」ではなく「国内戦の延長ぐらい」に思っていたのかも知れません。
一言余計なことを書いておくと、古代はともかく、中世以降となれば、最初に日本を攻撃したのは朝鮮です。「元寇」のことを言っています。高麗は元に言われ、仕方なくですが、日本を攻撃しました。これ、何の為に書いているかというと、朝鮮批判ではありません。書いておかないと「自虐史観」とかナンタラカンタラ、こういう文章は一部の日本人を刺激するからです。とにかく「なんとか豊臣秀吉の行為を正当化できないか」と考える人がいるということです。「できるか!そんなこと!」と私は思っています。もっとも400年前のことで朝鮮に謝ろうとも思いません。そんなら元寇を謝れとなって、不毛不毛不毛な議論になっていきます。
なお、近代においては「朝鮮を通ってロシアがやってくる」ことが怖くて日本は朝鮮を領土化しようとしました。
日本の行為を正当化しようというのではなく、近代においては「それなりの理由=外国への恐怖があった」ということです。でもこれは謝ります。が、少しのみです。日韓併合は100年以上前ですからね。敗戦で終了、終了してからだって70年以上。私とは全く関係ありません。日本人の犯罪的行為にいちいち責任を負うことなんかできないし、実際責任なんかないからです。強制労働の問題なんてそれこそ「国の問題」であって、私個人は全くかかわっていません。
とはいえ、私は本来日韓友好論者なので、いろいろうまくいくことを願っています。
それはともかく、
秀吉の行為については、どーにも説明のしようがない。もっともらしく説明する人もいますが、万人の承諾を得ることはできません。
秀吉の朝鮮侵略の動機については、日本人にもよく分からないのです。
朝鮮出兵以前の秀吉は、日本史でも際立って魅力的なエピソードに富む人物だけに、晩節を汚したのはいかにも「惜しい」と思います。
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