日本の最初の天皇はいうまでもなく天武天皇です。
それ以前は「そもそも日本という国号がなかった」わけですし、「天皇号」もなかったわけです。言葉の厳密に意味において「日本」もなく「天皇」もいなかった。
どんなに古く見積もっても678年が日本の成立のようです。また天皇という言葉の使用もどんなに古く見積もっても678年のようです。
だから日本の最初の天皇は天武です。「倭」のことは今は問題にしていません。「日本」の話をしています。
そもそも有史以来、日本は豊臣秀吉の登場まで「一回として統一されたことはない」とも言えます。これは土地所有について言っています。
673年頃、倭に天武帝が現れ、国号を日本に変え、律令国家のような形態を目指します。が、743年には「墾田永年私財法」ができます。
これは画期的な法令で、おそらく一回も実現しなかった公地公民制が、既にこの段階で公式に崩れます。
そして日本は荘園制へと向かっていきます。というか、そもそも地方には豪族がいて私的土地所有を行っていたわけで、これも荘園のようなものと考えるなら、ずっと荘園があって、墾田永年私財法はその現実をただ「追認しただけ」とも言えます。そして荘園制は平安時代にどんどんと発展していきます。
それから鎌倉幕府が出現したりしますが、日本はずっと荘園制国家です。鎌倉幕府というのは荘園の権利を認めたり、荘園に地頭をまあ「むりやり」置いたりする機関です。その機能は治天の君も持っていましたので、とにかく鎌倉時代と言うのは「中央集権」とはほど遠い政権でした。
足利幕府はさらに中央集権力が薄く、あの時「元寇」があったなら、どうやって戦っていたのだろうと思います。
日本の政権と言うのは、「土地が誰のものか」を承認する機関でした。
この荘園制は徐々に崩れていきますが、最終的には豊臣秀吉の統一を持ってほぼ完全に崩れます。豊臣秀吉には何の「先例」もありませんでした。有史以来、初めて日本を統一したわけです。
さらに江戸幕府は荘園制や個人の大土地所有を制限し、大名小名らにのみそれを認めます。しかも転封があります。大名の家来が土地を持つことも徐々になくなり、家臣たちは給料(米)をもらって生活するようになります。
ただし近代国家ではないので、「藩の政治」には幕府は基本不介入です。
荘園制が理解できないと、地頭の意味も理解できません。「治天の君」の意味も理解できません。南北朝の騒乱も理解できません。鎌倉地頭などというのは「荘園の管理人」です。「荘園領主」はまた他にいるわけです。鎌倉幕府には土地を取り上げる力もその気持ちもなく、ただ「管理人を押し付けた」わけです。
日本において個人の大土地所有がほぼなくなるのは、マッカーサーの改革以降です。ある意味荘園制は1945年まで「続いていた」のかも知れません。日本は「負けたからいい」ものの、戦勝国には「大土地所有制が残存」し、色々不都合がでているようです。
豊臣秀吉を「おそらく有史以来初めて日本を統一した人間」ととらえるなら、彼の貧弱な政治形態も「そりゃ最初だから仕方ない」と同情を持ってみることも可能になります。
それ以前は「そもそも日本という国号がなかった」わけですし、「天皇号」もなかったわけです。言葉の厳密に意味において「日本」もなく「天皇」もいなかった。
どんなに古く見積もっても678年が日本の成立のようです。また天皇という言葉の使用もどんなに古く見積もっても678年のようです。
だから日本の最初の天皇は天武です。「倭」のことは今は問題にしていません。「日本」の話をしています。
そもそも有史以来、日本は豊臣秀吉の登場まで「一回として統一されたことはない」とも言えます。これは土地所有について言っています。
673年頃、倭に天武帝が現れ、国号を日本に変え、律令国家のような形態を目指します。が、743年には「墾田永年私財法」ができます。
これは画期的な法令で、おそらく一回も実現しなかった公地公民制が、既にこの段階で公式に崩れます。
そして日本は荘園制へと向かっていきます。というか、そもそも地方には豪族がいて私的土地所有を行っていたわけで、これも荘園のようなものと考えるなら、ずっと荘園があって、墾田永年私財法はその現実をただ「追認しただけ」とも言えます。そして荘園制は平安時代にどんどんと発展していきます。
それから鎌倉幕府が出現したりしますが、日本はずっと荘園制国家です。鎌倉幕府というのは荘園の権利を認めたり、荘園に地頭をまあ「むりやり」置いたりする機関です。その機能は治天の君も持っていましたので、とにかく鎌倉時代と言うのは「中央集権」とはほど遠い政権でした。
足利幕府はさらに中央集権力が薄く、あの時「元寇」があったなら、どうやって戦っていたのだろうと思います。
日本の政権と言うのは、「土地が誰のものか」を承認する機関でした。
この荘園制は徐々に崩れていきますが、最終的には豊臣秀吉の統一を持ってほぼ完全に崩れます。豊臣秀吉には何の「先例」もありませんでした。有史以来、初めて日本を統一したわけです。
さらに江戸幕府は荘園制や個人の大土地所有を制限し、大名小名らにのみそれを認めます。しかも転封があります。大名の家来が土地を持つことも徐々になくなり、家臣たちは給料(米)をもらって生活するようになります。
ただし近代国家ではないので、「藩の政治」には幕府は基本不介入です。
荘園制が理解できないと、地頭の意味も理解できません。「治天の君」の意味も理解できません。南北朝の騒乱も理解できません。鎌倉地頭などというのは「荘園の管理人」です。「荘園領主」はまた他にいるわけです。鎌倉幕府には土地を取り上げる力もその気持ちもなく、ただ「管理人を押し付けた」わけです。
日本において個人の大土地所有がほぼなくなるのは、マッカーサーの改革以降です。ある意味荘園制は1945年まで「続いていた」のかも知れません。日本は「負けたからいい」ものの、戦勝国には「大土地所有制が残存」し、色々不都合がでているようです。
豊臣秀吉を「おそらく有史以来初めて日本を統一した人間」ととらえるなら、彼の貧弱な政治形態も「そりゃ最初だから仕方ない」と同情を持ってみることも可能になります。
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