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三笠宮逝去と「東條英機暗殺の夏」

2016年10月27日 | ドラマ
以下、記憶だけで書きますので、役職等に間違いがあるかもしれません。

三笠宮が逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。

以下、本文。

昭和天皇には兄弟(男)が3人いました。上から、秩父宮、高松宮、三笠宮です。

今年は昭和天皇崩御28年ですから、三笠宮は兄より28年遅れて亡くなられたわけです。それほどにこの二人は年が離れています。

戦後の三笠宮は「穏やかで品のいい紳士」ですね。

けれど、戦中は、当時の習いとして「軍人」で、たしか参謀部にかかわっていたと思います。

秩父宮はどちらかというと積極的な軍拡派で、昭和天皇としては、「ややあぶなっかしい弟」でした。

軍部が暴走して昭和天皇を「廃する」としたら、必ずや秩父宮を新天皇にたてます。

そういう「あぶなっかしさ」もあって、秩父宮は東北の地方軍に送られます。結果は夭折で、若くして亡くなりました。

三笠宮はまだ若いですから、そういう危なさはなかったようです。

ただし、若いですから、血気は盛んでした。

東條英機が天皇を「独占し」、次々と失敗するに至り、海軍でも陸軍でも「暗殺計画」が練られます。

結果としてはサイパンが陥落し、東條が辞職することによって、この暗殺は未遂に終わります。

三笠宮は陸軍においてこの暗殺計画に参与しました。参加でなく、関係したという感じです。

歴史的には、三笠宮が東條暗殺を躊躇し、この暗殺計画を憲兵に流したことになっています。ウィキペディアにもそう書いてあったはずです。

「東條英機暗殺の夏」という小説では、「私が東條を殺す」と血気にはやったとなっています。

しかしそれを母親に言い、大層「叱られた」となっていたと思います。あくまで小説です。

いずれにせよ、あの「穏やかな紳士」である三笠宮も、戦争という時代の中では東條暗殺に「参与」したことがあったのです。

それほどに東條は戦争を知らない軍人でした。特に「兵站」をなにもしない。意味なく、沢山の兵を餓死させました。

誰もかれもが東條をうとんじ、でも天皇の信があるために辞めさせることはできない。そこで色々な暗殺計画がでてきたのです。

絶対防衛圏と言っていたサイパンが落ち、ついに昭和天皇の信を失い、辞職。結果として2年ほど長生きをしたことになります。



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