散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

戦国史ファン、大河ドラマは「東国を軽視」してきたか。

2019年03月15日 | 戦国時代
今回も「歴史新書y」関連ですが、批判は書きません。

伊東潤・乃至政彦共著「関東戦国史と御館の乱」

こんな記述が最初の方にあります。

「司馬史観以来、戦国史は西国偏重でした。すべては京の都が中心であり、そこから遠い地方で行われた戦いは、すべて局地戦というとらえ方をされ、その帰趨は、ほとんど天下の動向にかかわりないとされてきました。また東国は、西国に比べ、文化的にも軍事的にも後進地帯であると、何の根拠もなく言われてきました。」

「司馬史観以来、戦国史は西国偏重でした」

日本語表現として非常に解釈がしにくい一文です。

司馬さんの本や司馬さん原作のドラマが多く作られ、国民に受容された。そうして「司馬史観なるもの」が国民にじわりと浸透した。
「その結果、戦国史の研究は西国中心になった。」という意味なのか「研究者はともかく、戦国ファンは西国にのみ注目してきた」という意味なのか。

おそらく「戦国史を扱ったドラマは西国、畿内中心だった。国民の関心も織田、豊臣、徳川に集中した」という感じなのでしょう。

そうなのかな、となんとなく私は考えています。

大河ドラマは「地方を描くこと」にこだわる傾向「も」あります。武田信玄、真田親子、数回にわたり映像化されています。「武田信玄」「風林火山」「真田太平記」(大河ではない)「真田丸」。伊達関連なら「独眼竜政宗」。上杉謙信は「天と地と」だけですが、「信玄関連作品」には必ず登場します。さらに上杉景勝なら「天地人」。西国ですが遠国である「毛利元就」。

まあ「相対的に少ない」のは確かですね。戦国以外なら「風と雲と虹と」「炎立つ」「樅ノ木は残った」「草燃える」「琉球の風」「北条時宗」「義経」「八重の桜」「花燃ゆ」は「京都中心の作品では」ありません。

謙信は一回ですが、上杉家なら「天地人」があるから二回です。ただし謙信主人公は大昔の話です。

鞭声(べんせい)粛粛(しゅくしゅく)夜河を過(わた)る、とか書いても、これが川中島における謙信ことを詠んだ頼山陽の詩だとは若い人には分からないでしょう。上杉謙信が主人公になったのは50年前だからです。僕だって「天と地と」なんて覚えていません。

四国が描かれない。長曾我部が描かれない。
戦国島津も描かれない。毛利も一回だけ。東北だと伊達が一回。戦国北条氏が「主人公になったことは」一回もない。

ただし甲斐、信濃は意外と濃厚に描かれてきた。武田信玄、上杉謙信、真田昌幸、信繁、信之。

川中島の戦い、有名なわりには「ドラマ素材としては面白くない」のです。何回もやって「ほぼにらみ合い」です。4回だけが多少知られていますが、実態がよく分かりません。
上杉謙信の「車がかりの陣」とか。どういう戦術、陣立てなのか、ほとんどわからないわけです。

一番有名な川中島の戦いですらその程度です。

「やっぱり局地戦だな」と僕には思えてなりません。「御館の乱は関ケ原にも匹敵する重要な戦いで、その後の歴史に多大な影響を与えた」と伊東さんは言いますが、そんなこと言うなら「川中島の戦い」だって、「厳島の戦い」だって「上田合戦」だって、「みんな関ケ原に匹敵することになってしまう」でしょう。

まあ、もう少し考えてみます(続く)。

補足
ちなみに西国、畿内だって描かれていません。畿内の三好氏だって描かれませんし、近江の六角氏も描かれません。浅井長政も朝倉義景も「信長のわき役」として描かれるのみです。
これはある程度「国民の期待に沿った」ものなので、つまり三好を描いても観てもらえないわけで、なんともしょうがないことなのかも知れません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿