小説「うつけ世に立つ」。うつけは言うまでもなく織田信長です。
最初の方を読んだだけで「あれ?」と思いました。主たる登場人物が「珍妙」なのです。齋藤龍興・金森長近・帰蝶濃姫・鵜飼の弥吉。
帰蝶(濃姫)は信長と離婚して美濃(岐阜)の小屋に住んでいます。で何故か信長を深く恨んでいます。理由は父の仇をうつうつと言ってなかなかうたなかったから、みたいです。なら「かたき」である齋藤義龍・龍興親子の方が憎いはずなんですが、そうではありません。齋藤龍興とは仲がいいみたいです。
で、龍興に「叔母上」などと呼ばれ、「信長を殺すのじゃ」とか言ったりします。これでは「トンデモ」ですが、最後をみるとそこまで「トンデモ」でもありません。ただ「帰蝶」の設定だけが変なのです。ちなみにこの帰蝶、最期は和解し、信長に背負われたりしています。
でも私が本当に変だと思ったのは「斎藤龍興・金森長近大活躍」という点です。なんでこんなマイナーな武将を。
と思って本の終わりを見て納得しました。「そもそも岐阜市とのコラボ小説」なのです。明記されています。だから美濃の龍興・美濃出身で岐阜飛騨高山藩主である金森長近・それから鵜飼の子供が「大活躍する」のです。
小説の話はここまでです。
齋藤龍興(一色龍興)
1548年から1573年まで生きました。信長の美濃攻略が1567年ですから、龍興は20歳ぐらいです。イメージの悪い人です。だいたい「酒と女におぼれた人物」として描かれます。で、竹中半兵衛は「いましめ」の為に稲葉山城を一時奪われたりします。
美濃が陥落した後は、伊勢の北畠を頼ったようです。長井道利とともに長島一向一揆に参加したりして信長に抵抗します。その後は三好三人衆を頼り、本圀寺の変にも参加しています。
最期は朝倉を頼り、そこで戦死したようです。享年25歳。一応最後まで信長に対抗しています。ただし軍団を率いていたわけではなかったでしょう。
金森長近
1524年から1608年まで生きています。84歳まで生きています。大坂の陣前には亡くなっていますが、信長期から関ケ原までを生きたことになります。
美濃土岐氏出身。早くから織田信秀に仕えたようです。織田信秀→織田信長→柴田勝家→豊臣秀吉→徳川家康→徳川秀忠。経歴は凄い。
飛騨高山藩主です。岐阜ですね。私のイメージでは柴田勝家与力なので、越前かと思ってました。
大河で覚えているのは「利家とまつ」に出てきたなというぐらいです。小説ではたまに登場します。
帰蝶・濃姫はどんな設定でもOK
帰蝶・濃姫は比較的早期に「史実がたどれなく」なります。だからどんな設定にしても「トンデモ」とは言い切れないのです。堺に行かせてもいい。美濃に帰らせてもいいということです。なんなら信長暗殺の黒幕にしたっていいのですが、個人的にはそこまでの「トンデモ」はやめてほしいと思います。八切さんの珍説は、たしか帰蝶黒幕説だったと思います。
もちろん本能寺にいてもいいのです。だったら本能寺にいて欲しいかなと思います。
以前は信長と夫婦仲がよく、一緒に本能寺で亡くなってましたが、今は離別したり憎んだり、途中で亡くなってしまったり色々です。史実がわからないのです。
大河「功名が辻」では夫婦仲こそよくありませんでしたが、最期は本能寺で亡くなっています。帰蝶が死ぬシーンがないと、「信長の反応」「光秀の反応」がなくなるのでつまらないのです。
光秀には「帰蝶さまー」と涙ながらに叫んでほしいものです。
最初の方を読んだだけで「あれ?」と思いました。主たる登場人物が「珍妙」なのです。齋藤龍興・金森長近・帰蝶濃姫・鵜飼の弥吉。
帰蝶(濃姫)は信長と離婚して美濃(岐阜)の小屋に住んでいます。で何故か信長を深く恨んでいます。理由は父の仇をうつうつと言ってなかなかうたなかったから、みたいです。なら「かたき」である齋藤義龍・龍興親子の方が憎いはずなんですが、そうではありません。齋藤龍興とは仲がいいみたいです。
で、龍興に「叔母上」などと呼ばれ、「信長を殺すのじゃ」とか言ったりします。これでは「トンデモ」ですが、最後をみるとそこまで「トンデモ」でもありません。ただ「帰蝶」の設定だけが変なのです。ちなみにこの帰蝶、最期は和解し、信長に背負われたりしています。
でも私が本当に変だと思ったのは「斎藤龍興・金森長近大活躍」という点です。なんでこんなマイナーな武将を。
と思って本の終わりを見て納得しました。「そもそも岐阜市とのコラボ小説」なのです。明記されています。だから美濃の龍興・美濃出身で岐阜飛騨高山藩主である金森長近・それから鵜飼の子供が「大活躍する」のです。
小説の話はここまでです。
齋藤龍興(一色龍興)
1548年から1573年まで生きました。信長の美濃攻略が1567年ですから、龍興は20歳ぐらいです。イメージの悪い人です。だいたい「酒と女におぼれた人物」として描かれます。で、竹中半兵衛は「いましめ」の為に稲葉山城を一時奪われたりします。
美濃が陥落した後は、伊勢の北畠を頼ったようです。長井道利とともに長島一向一揆に参加したりして信長に抵抗します。その後は三好三人衆を頼り、本圀寺の変にも参加しています。
最期は朝倉を頼り、そこで戦死したようです。享年25歳。一応最後まで信長に対抗しています。ただし軍団を率いていたわけではなかったでしょう。
金森長近
1524年から1608年まで生きています。84歳まで生きています。大坂の陣前には亡くなっていますが、信長期から関ケ原までを生きたことになります。
美濃土岐氏出身。早くから織田信秀に仕えたようです。織田信秀→織田信長→柴田勝家→豊臣秀吉→徳川家康→徳川秀忠。経歴は凄い。
飛騨高山藩主です。岐阜ですね。私のイメージでは柴田勝家与力なので、越前かと思ってました。
大河で覚えているのは「利家とまつ」に出てきたなというぐらいです。小説ではたまに登場します。
帰蝶・濃姫はどんな設定でもOK
帰蝶・濃姫は比較的早期に「史実がたどれなく」なります。だからどんな設定にしても「トンデモ」とは言い切れないのです。堺に行かせてもいい。美濃に帰らせてもいいということです。なんなら信長暗殺の黒幕にしたっていいのですが、個人的にはそこまでの「トンデモ」はやめてほしいと思います。八切さんの珍説は、たしか帰蝶黒幕説だったと思います。
もちろん本能寺にいてもいいのです。だったら本能寺にいて欲しいかなと思います。
以前は信長と夫婦仲がよく、一緒に本能寺で亡くなってましたが、今は離別したり憎んだり、途中で亡くなってしまったり色々です。史実がわからないのです。
大河「功名が辻」では夫婦仲こそよくありませんでしたが、最期は本能寺で亡くなっています。帰蝶が死ぬシーンがないと、「信長の反応」「光秀の反応」がなくなるのでつまらないのです。
光秀には「帰蝶さまー」と涙ながらに叫んでほしいものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます