散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

近藤正臣さん・草刈正雄さん・メゾンドポリス・イノセンス

2019年01月20日 | ドラマ
近藤正臣さんと草刈正雄さんが新しいドラマに出演しています。それぞれメゾン・ド・ポリスとイノセンスです。

ただし草刈さんは「特別出演」で、数分しかシーンがありません。

近藤正臣さんを知ったのは、たぶん「柔道一直線」です。有名な?足でピアノを弾くシーン。なんとなく覚えています。

しかしその3年後には「国盗り物語」で明智光秀役。当時たぶん30歳ぐらいです。多少遅咲きですが、いっきに知名度を上げました。大河ドラマには10作品で出演。最近の真田丸でも家康参謀の本多正信役。家康の内野さんと並び準主役級の演技をみせています。

あまり日本のドラマは見ないのですが、メゾン・ド・ポリスは見ました。近藤さんは引退した副総監役で実にいい味を出しています。たぶん75歳ぐらいだと思います。

素晴らしい俳優さんです。

草刈さんはモデル出身ながら大成した俳優さんです。

若い頃の代表作は「風と雲と虹と」、映画では主役をつとめ「復活の日」「汚れた英雄」

さらに準大河ドラマである「真田太平記」では主役の真田幸村を演じました。(正確には主役は兄の真田信幸ですが、どうみても幸村が主役です)

最近の「真田丸」では「ほぼ主役」で、真田昌幸を演じました。丹波哲郎さんがよみがえったような演技で、若い方を驚かせたようです。丹波さんは俳優としては超一流です。ただの天界おじさんじゃありません。

私が最初に魅かれたのは「風と雲と虹と」。玄明(はるあき)という「人間離れした」「浮世ばなれした」人物を演じました。

イノセンスでは特別出演で、エリート検察官、「えらいさん」の役です。数分しか出ませんが、存在感が飛びぬけています。

大河ドラマと松坂慶子さん

2019年01月19日 | ドラマ
1973年ですから、45年前ですね。45年前の「国盗り物語」。松坂慶子さんは、そりゃー美しかったと思います。

私は小学校高学年程度のガキでしたが、美醜はわかります。ただし自分のことは分からないもので、自分の顔がブサイクだと悟ったのは中三ぐらいです。この顔でよく女子に「ブス」とか言っていたと思います。失礼なガキでした。

さて松坂慶子さん。今はNHKご用達という感じがしますが、むろん民放にも出ています。

大河ドラマには9作品もでています。初期の作品である「国盗り物語」や「草燃える」で人気を博し、初期大河を支えました。NHKへの「貢献大」なのです。

一時は「美人女優」と言えば「松坂慶子さん」という感じであったと思います。

さらに彼女は女優魂があって、ヌードOKでした。

「映画でヌードになれないようでは女優ではない」という嬉しいような悲しいような「女優精神論」が昔はあったのです。

1997年の「毛利元就」にも出演されています。1952年生まれですから、45歳でしょうか。明るいおばちゃんキャラに変化していました。

ふるい作品ですが、「江戸を斬る」の紫頭巾の役も何故か心に残っています。

さらに古くなりますが、「奥様は18歳」では主人公のライバルの近眼の女性。ウルトラセブンではミクロ宇宙人に体を支配される「少女」でした。

2018年の「西郷どん」にも西郷の母として出演されています。まさに「大河ドラマの申し子」です。

昔の大河「濃姫の自分」を見て、「本当に綺麗ね」と言ってました。自分のことです。45年前でも一応自分です。どうやら天然みたいです。

池宮彰一郎「本能寺」は読みやすい。司馬さんの出来の悪いコピーバンド。

2019年01月19日 | 司馬さん
池宮彰一郎さんの「本能寺」を読んでいます。

これは悪口でもなんでもなく、かなりの部分が司馬さんのパクリです、しかも出来が悪い。出来が悪いコピーバンドです。

司馬さんの「国盗り物語」を100点とすると、池宮さんの「本能寺」は「パクリで15点ぐらいの作品」ですが、15点だって小説創作は難しいと思います。パクレるだけでも「才能」です。

ということで私にとっては「非常に読みやすい」作品です。

簡単に書くと、作者が司馬作品を通じて学んだことを、いろいろな武将の口を借りて解説しているような作品です。だから読みやすいのです。もっとも後述しますが基本トンデモ本です。

さらにいうと、司馬さんの作品と違って「つっこみができ」ます。

司馬さんの場合、全く知らない人名や「おそらく創作の人名」を挙げて、彼らの性格等を断定的に力強く描写します。

つっこめません。知らない人間だからです。

でも池宮さんの場合、そういう人物はほとんど登場せず、有名人オンパレードです。だから「つっこめる」のです。

例えば信長の最初の上洛について、足利義輝に「補佐を申し込んだ」「織田家が義輝の後ろ盾になる」と言ったのではないか、などと書かれています。

いやいや、あの段階では尾張支配の正統性を認めてもらうことがせいぜいで、上洛なんて考えてなかったでしょ、とつっこめます。

信長が「秀吉と光秀どっちがわしの後継者か」と考えるシーンも多く登場します。そんなバカな。織田家には既に信忠という「当主」がいます。しかも後継者って?光秀は信長より6つも上で、55歳ぐらいです。年上が後継者って何だ。と、つっこみどころ満載です。

またまた例えば、「信長は極端に言葉が短かった」と書かれています。「司馬作品の完全コピー」ですが、その割には「心の中では信長は多弁」です。それから光秀には極端に短い言葉しかいわないにせよ、秀吉なんかとは「いろいろ話している」ような書かれ方をしています。

あきれてしまって批判する気はあまり起きません。トンデモ本だからです。「極端に言葉が短い」という司馬さんの信長をパクったのはいいが、実際は信長はいろいろ話しますし、心では多弁に考えます。信長が話しているというより、作者の考えを信長が述べている感じです。とにかく筆者の考えがどんどん出てきて、「私はこう思う」という部分がほとんどを占めています。しかも「こう思う」に独創性はなく、いろんな学説・珍説の受け売りです。どっかでみたような「説」の「ごった煮」で、だから叙述の各所に矛盾が生じています。

このように、基本的には「トンデモ」本です。最後は本当にトンデモで本能寺秀吉クーデター説・細川藤孝及び朝廷陰謀説になってしまいます。秀吉が信長を殺そうとする。秀吉をそう誘導したのは細川藤孝。藤孝が光秀にそれを流す。そしてそれを知った光秀は、「秀吉の陰謀を防ぐため、秀吉が殺す前に、自分が信長を殺す」。秀吉は中国に信長を呼んで、押し込めた上に、信長の名で全国に号令を発する計画を立てるわけですが、それを「防ぐためには信長を利用されないよう殺す」という「わけわからない」設定で本能寺が起こります。バカバカしいにもほどがある。理屈も通っていません。

とにかく秀吉が大嫌いみたいで、秀吉の評価も散々ですし、安国寺恵瓊を何度も罵倒しています。同じトンデモ本である「信長の棺」の影響か、と思ったのですが、「本能寺」の方が早く書かれています。「信長の棺」も相当ひどい作品でしたが、「本能寺」はさらに上をいっています。

秀吉のクーデターにしてからが、ある日ひょいと中国戦線に現れた細川藤孝が「そそのかした」ことになっています。細川藤孝が「このままでは今後秀吉に織田家での居場所はない。」とかいうと、「それなら信長を殺そう」と秀吉が言いだします。アホかというお話です。

光秀は最後「藤孝や近衛前久や千利休にそそのかされ、騙された」とか考えます。「そそのかされるような」、うかつで軽薄な人物を主人公にしてもらっても困ります。

なんでもかんでも近衛前久、どーしてそんなに朝廷陰謀説が好きなんでしょう。

皮肉を書いている感じになってきました。

まあこの作品も数ある駄作であることには変わりありませんが、唯一読みやすいというだけがとりえです。読む価値があるとは思えませんが。

犬神家の一族 2018 軽薄な金田一 スケキヨはまあまあ。

2019年01月02日 | ドラマ
年末に録画しておいた「犬神家の一族」2018を観てみました。TVドラマです。

TVドラマでゴールデンだからこの程度に「ライト感覚なのはしょうがないか」、、、なんて思いません。何やってんだろという感じです。

まず金田一がひどすぎる。渋谷鉄平みたいな加藤シゲアキ?セリフは学芸会レベル。深みも味もなにもない。しかも演出がひどい。金田一が軽薄にも「自分の推理を自慢げに披露」します。

そうじゃないだろと言いたくなります。金田一は「事件を未然に防げない」探偵なのです、全て後手後手に回り、事件が終わってから「カラクリに気が付く」のが金田一です。

「僕がもう少し早く気が付いていれば」が口癖です。まあホームズだってそうですが、事件を未然に防ぐことはできず、本人もそれに気が付いており、だから「カラクリの解説」もどこか恥ずかし気に行う。自分の推理を自慢げに披露するなんてこと絶対にやらないし、やる資格もないわけです。そして、そこが金田一の魅力です。

さらに根本的な問題は、珠世が犬神佐兵衛の「孫」として設定されていないということで、この段階で、すでに横溝作品の本質を捨て去っています。

野々宮珠世が実は「犬神家の一族」であることが、全ての惨劇の始まりであるはずです。その設定をなくしてしまって、単なる「恩人の孫」としてしまっては、「もはや犬神家の一族でもなんでもない」ということになるはずです。

どーして珠世が犬神家の全財産の相続人となるのか、説明がつきませんし、このTV版しか観ていない人には分からないはずです。恩人の野々宮大弐と犬神佐兵衛が男色関係。しかも大弐の妻の晴世と犬神佐兵衛は大弐公認のもと性的関係にある。で、晴世の孫の珠世は、実は佐兵衛の孫でもある。だから珠世が全財産の相続人とされた。そのドロドロをなくしてしまっては横溝作品とは言えないと感じました。

そのせいか、犬神佐兵衛がどこかユーモラスで、いいお爺ちゃんみたいな感じなのです。「違うだろ!」としか思えません。

「はる」は誰なんだろうと思ったら、平祐奈さんです。旅館の女中さん。でも坂口良子さんのようなインパクトはありません。天真爛漫さが不足している。しかも名前は「はる」ではなく、「美代」です。どうして?

スケキヨはまあ合格点です。ただし「かぶりものが可愛い、特に目が可愛い」のはいただけない。コント、スケキヨ君みたいな「かぶりもの」です。

役者は賀来賢人さんというらしい。名前は知ってましたが、はじめて演技を見ました。さすがに俳優さんです。加藤なんたらとかいうタレントとは演技の質が全く違います。

TVドラマだから仕方ない、、、なんて思いません。映画は「日本映画史に残る作品」なんだから、TV版とは言え、もっと真面目に作ってほしいものです。

終戦のエンペラー・昭和天皇の戦争責任・統帥権の独立・マッカーサー

2019年01月02日 | ドラマ
映画「終戦のエンペラー」は不思議な作品です。一番不思議なのは「日本語吹き替えがない」ことです。

さらに不思議なのは「日本人の企画」だということ。監督は米国人。原作は日本人。アメリカで公開。当然こけた、全く人気なし。日本でもさほど話題になりませんでした。

「何の為に作られたのだろう」と実に不思議です。

さて終戦の昭和天皇。マッカーサーのかなりウソくさい回顧録にはこうあるようです。

「陛下はまず戦争責在の開題を自ら持ち出され、次のようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなわち「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について、貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分にとって問題でない。構わずに総ての事を進めていただきたい」これが陛下のお言葉でした。

これを聞いてマッカーサーは「非常に感動した」と書いているようです。

まず怪しいのは「政治家の行為」について責任をとると昭和天皇が言うか、という問題です。

天皇は明治憲法下にあっても「政治的権力が制限された立憲君主」です。「制限されていても責任がある」と言われればそうかなと思いますが、一般的には責任はさほどないはずです。「政治家の行為」が何を指すのかはあいまいですが、「国会」ということなら、さほど責任はないでしょう。「詔勅」に対し責任があるというなら、まあ分からないでもないですが、「詔勅」も内閣が製作するものですから、やっぱり第一の責任は、内閣と国会にあるはずです。

というと昭和天皇を擁護しているように感じるかも知れませんが、「政治家の行為」についてはさほど責任はないだろうと言っているだけです。

その前の「軍事指揮官、軍人」の行為について「責任がある」というのは「全くもってその通り」です。これは「憲法上その通り」なのです。

明治憲法には「統帥権の独立」という項目があり、軍隊は直接天皇に属していることになっていました。そして、ここが肝心なのですが、東条は実際毎日のように参内して、軍事行動に関する許可を天皇から得ていました。拒否権がなかったなんても伝説で、サンパン陥落、さらにインパールの大失敗というか「自国兵の虐殺」で天皇は東条を切り捨てます。「東条にだまされた説」もありますが、そんな「バカ殿」でもありません。ちなみにインパールにおいて独断撤退をした師団長、佐藤幸徳は「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」と言いましたが、そのインパール作戦だって昭和天皇は「ちゃんと東条の説明を聞いて許可」しているのです。

内閣は軍事行動に関する予算権を持つのみでした。矛盾だらけです。権力が3つもある。内閣国会・陸軍・海軍です。で総理大臣と陸軍の軍事行動の決定者を「同じ人物にする」ということになり東条が総理になります。それでも東条すら海軍の軍事行動には口出しできません。海軍のトップは東条の子分でしたが、それでもできないことも多かったようです。

明治憲法では、憲法上「軍事行動は天皇の支配下にあった」わけです。だから「軍人の行為の責任は私にある」と昭和天皇が言ったとしても「当然のこと」をただ言っているだけということになります。

豊臣秀吉の朝鮮侵略の動機は日本人にも分からない。

2019年01月02日 | 豊臣秀吉
豊臣秀吉というと、大河ドラマでは何回も主人公になっていますから、「さぞ人気があるのだろう」と韓国・北朝鮮の方は思っているかも知れませんが、最近は「そーでも」ありません。

ただエピソードが「尽きることなく」あるので、非常にドラマにしやすいのです。人気としては信長の方があるでしょうが、信長はちと残虐過ぎます。家康は地味であって、そもそもあまり人気がありません。で、どうしても「秀吉関係」(真田丸とか軍師官兵衛とか、ずばりそのもの秀吉とか太閤記とか)が多くなります。

秀吉に関しては、最近は甥の秀次を殺して、その妻女・子30名以上を虐殺したことも知れ渡ってきました。映画「関ケ原」などその残虐シーンから始まります。「人を殺さない」ことが魅力だったわけですが、「よく考えると晩年は残虐だった」「朝鮮でも耳そぎ、鼻そぎなど相当ひどいことをした」ことが有名になってきています。

もっとも、大河ドラマでは文禄の役=壬辰倭乱や、慶長の役=丁酉倭乱を「具体的に描いた」ことはかつて一度もありません。「加藤清正が籠城して飢えるシーン」なんか一度も描かれたことがないのです。ただ帰ってきてからの清正のセリフで「飢えながら戦っていたのに、三成は国内で桜見物などしてやがった」とあるので知るのみです。正確には桜見物していたのは、石田三成ではなく、豊臣秀吉です。

で「なんで朝鮮侵略なんかしたんだろう」「なんで朝鮮出兵なんかしたんだろう」ということになると、日本国内でも定説はありません。

まあ朝鮮に兵を送ったのは「明を征服しようとした」のだろうという点では「そこそこ」一致はします。が「なんで明を征服しようとしたのか」となると、諸説入り乱れます。

子供が死んだから。領土が必要だったから。絶えず戦争してないと持たない政権だったから。東アジアの秩序を日本を中心として回復しようとしたから。勘合貿易をしたかったから。

と十以上の説があって、たぶん永遠に一致はしません。

領土が必要とか戦争政権とか言っても、江戸幕府が「それなしでも成り立った」ことを考えると?となります。

破綻した明による冊封体制に代わって、新しい東アジアの秩序を回復しようとした、、、こう書くといかにももっともらしいのですが、「できるか!そんなこと」で終わりですし、実際全くできなかったわけです。

結局のところ「頭がどーかした」が一番分かりやすく、そう描かれることが多い。理解不可能ということです。

大河「真田丸」では秀吉が「頭がどーかなったわけではない。大名の力をそぐためだ」と言ってました。それなら豊臣の城をバンバン作って、大名に金を使わせるという江戸幕府方式のほうがよほど理にかなっています。

そもそも「九州と朝鮮の区別がついていたのか」、つまり九州は日本であり、朝鮮は外国であるというしっかりとした認識があったのかすら分かりません。

「言葉が通じにくい」という意味では島津も朝鮮も同じではないか、ぐらいに思っていたふしもあります。つまり「外国との戦争」ではなく「国内戦の延長ぐらい」に思っていたのかも知れません。

一言余計なことを書いておくと、古代はともかく、中世以降となれば、最初に日本を攻撃したのは朝鮮です。「元寇」のことを言っています。高麗は元に言われ、仕方なくですが、日本を攻撃しました。これ、何の為に書いているかというと、朝鮮批判ではありません。書いておかないと「自虐史観」とかナンタラカンタラ、こういう文章は一部の日本人を刺激するからです。とにかく「なんとか豊臣秀吉の行為を正当化できないか」と考える人がいるということです。「できるか!そんなこと!」と私は思っています。もっとも400年前のことで朝鮮に謝ろうとも思いません。そんなら元寇を謝れとなって、不毛不毛不毛な議論になっていきます。

なお、近代においては「朝鮮を通ってロシアがやってくる」ことが怖くて日本は朝鮮を領土化しようとしました。

日本の行為を正当化しようというのではなく、近代においては「それなりの理由=外国への恐怖があった」ということです。でもこれは謝ります。が、少しのみです。日韓併合は100年以上前ですからね。敗戦で終了、終了してからだって70年以上。私とは全く関係ありません。日本人の犯罪的行為にいちいち責任を負うことなんかできないし、実際責任なんかないからです。強制労働の問題なんてそれこそ「国の問題」であって、私個人は全くかかわっていません。

とはいえ、私は本来日韓友好論者なので、いろいろうまくいくことを願っています。

それはともかく、

秀吉の行為については、どーにも説明のしようがない。もっともらしく説明する人もいますが、万人の承諾を得ることはできません。

秀吉の朝鮮侵略の動機については、日本人にもよく分からないのです。

朝鮮出兵以前の秀吉は、日本史でも際立って魅力的なエピソードに富む人物だけに、晩節を汚したのはいかにも「惜しい」と思います。

ユーミンの太古のお話

2019年01月02日 | 日記
むかしむかしのお話です。

バブルに乗って、CMやドラマ主題歌とタイアップして、派手に売ってきたイメージがあるユーミンですが、「太古の昔」、初期はもちろん違いました。

アルバムで言うと最初のアルバム、1973年の「ひこうき雲」から1980年の「時のないホテル」ぐらいまではさほどタイアップはなかったはずです。

それにしても1972年のデビューです。日本最古の「現役で売れているシンガーソングライター」の1人でしょう。中島みゆきや井上陽水と並んで。

小田和正さんも70年代初期から活動していますが、売れたのは数年のちです。サザンオールスターズは1978年のメジャーデビューです。

72年と78年、この間の6年は、フォークからニューミュージックの移行期です。フォークの旗手が拓郎さんとかぐや姫、中島みゆきなら、ニューミュージックの旗手がユーミンでした。

陽水さんも「フォーク」ですが、フォークともやや違っていて「陽水の音楽」というジャンルに属していたように思います。

また、サザンオールスターズはニューミュージックという言葉を破壊して、全く新しい音楽として登場した。個人的にはそう思っています。ただし、陽水さんとサザンは共通してビートルズの影響を大きく受けていました。ただし僕はビートルズに詳しくないので、その詳細を書くことはできません。拓郎さんはボブディランでした。

さてユーミン、「時のないホテル」まで9枚のアルバムを出しています。

・ひこうき雲
・ミスリム
・コバルトアワー
・14番目の月
・紅雀
・流線形80
・オリーブ
・悲しいほどお天気
・時のないホテル

どれも素晴らしいアルバムです。この中で一番「悲し気」なのは「紅雀」で、その後のユーミンと比べてみれば「CMやドラマ主題歌とタイアップ」して売った80年代のユーミンとは「別人とは言わないものの」、「かなり違うこと」が分かります。むかしむかしのお話です。