→前回に続き「なぜLAのチカーノはモリッシーが好きか」②
前回は、『アントマン&ワスプ』の中でどんな風に、なぜ「モリッシー」が使われているの
かについて書きました。実は、2014年7月に、「モリッシー ニューアルバムにおける
『ラテンぽさ』の背景」という記事でも言及したのですが、実際にLAのチカーノ、
ラティーノたちがなぜモリッシーを好きなのかというところと、それに対する
モリッシーの反応も少し、書いていきたいと思います。
③LAのチカーノ、ラティーノたちと「モリッシー」の間にある親和性
『アントマン&ワスプ』の中ではルイスは、
「モリッシーのメランコリックなバラードはほんと、わかるわかる
って感じ」と言い、
「メキシコ・モリッシー」ことホセ・マルドナドさんは
「カリフォルニアの南部で暮らすラテン系の人たちはひとつの世界を形成
している。イングランド北部で育つアイルランド系の移民と似ている。
70~80年代は、アングロ系の友達にもどこか溶け込めず、ラテン系の友達にも
溶け込めなかった。いずれのコミュニティにも属せてなかったんだ」
と語っていました。そんな自分はまさに“Mexican Blood, American Heart”と、
“Irish Blood, English Heart”を歌ったモリッシーに重ねています。
実は、このふたりの発言は数々の「なんでメキシコ人はモリッシーを好きなの?」
という毎年のようにアメリカやイギリスで書かれている記事の中でも、
繰り返し出てきている要素。
突き詰めるに、「歌」そして「移民としての生きにくさへの共感」こそが、
LAのチカーノ、ラティーノたちがモリッシーに親近感をもたらすものになっている
のではないかと考えられます。
この「歌」と「生きにくさ」への共感について、拙著『お騒がせモリッシーの人生講座』
の第5章「居場所」でも紹介したのですが、
2017年11月10日に制定された「モリッシーの日」に寄せたあるメキシコ人ファンライターの文章
によると、「ライブで彼と一緒に大声で歌うのは、家族や友達と、メキシコの伝統音楽マリアッチ
やランチャーを歌うのと通ずる」のだそう。
モリッシーの歌は、祖国の歌手ビセンテ・フェルナンデスの作品と同じように、
「喪失、痛み、愛情と絶望の苦悩と不快感」を表していて、一般的に明るいとされるメキシコ人移民の、
「アメリカで暮らす不平等感や怒り、祖国を離れて余儀なくされた二重のアイデンティティー、…といった辛い感情の『はけ口』になり得る」
と語っていました。いろいろな記事やインタビュー映像を観ましたが
そういった感情こそがメキシコ人の感じる、モリッシーへの信頼感、親近感、温かい「リアリティー」
の根源にであるのではないでしょうか。
「マイ・ウェイ」を朗々と歌い上げるビセンテ・フェルナンデス…
確かにモリッシーと通じるものがあるンデス…!!↓
Vicente Fernández - A Mi Manera (En Vivo)[Un Azteca en el Azteca]
ショート・ドキュメンタリー“Viva Morrissey”でも、LAのラティーノがスミスに夢中になっている
様子が描かれています↓
Viva Morrissey! A Short Documentary from jessica hundley on Vimeo.
2014年、モリッシーとメキシカンの関係を追っかけている記者による、OC WEEKLYの記事
によると、彼はそれよりずっと前(2002年の記事の中でのよう)に、チカーノがモリッシー
を好きな原因は、彼の「音楽」に他ならない、と書いたそう。
メキシコの音楽が持つ、あらゆる男っぽさと毒性のある実存主義には、裏を返せば、
誰かの気持ちを得ることに病的なまでにうつつを抜かすことや、誰かに夢を壊され、たいていは
死に至ってしまう…というような「ダークサイド」があるということ。そして、それこそが、
モリッシーの歌にもある要素だと分析しており、その論を証明する10曲を選んでいました。
その中で、最大に「メキシカンみ」があるということで第1位に選ばれたのは…
みんな大好き、スミスの“There Is A Light That Never Goes Out”でした。
2階建てバスにぶつかっても、10トントラックにつっこまれても君の側で死ねたら、それは天国に
一番近い死に方だ…というこの歌を、メキシコの歌手 Cuco Sanchezのセンチメンタルな歌、
"La Cama de Piedra"になぞらえていました。こちら内容を調べたら「奴らが俺を殺すときゃ、
5発の弾で撃ち抜きますように。そして君の近くにいられますよう。そうすればあなたの腕で死ねる」という歌詞です。
("Cama de Piedra"は訳すると「石のベッド」だから墓石ですよね。弾丸、墓石…
これ、モリッシーのソロの“One Of Own”の世界観にもあてはまる…)
ようようと歌い、ニコニコしてますが、最後なんて1000発銃弾浴びるとか言ってますよ!!物騒…。
CUCO SÁNCHEZ - LA CAMA DE PIEDRA
(参照)日本にもこんな歌が…和製“I'm Throwing My Arms Aroud Paris”と呼んでいます。
これまた拙著にも書いたのですが、モリッシーほど「死ぬ死ぬ死ぬ」歌うロック歌手は珍しい
んじゃないかと思います。日本なんて「死」は縁起悪いとか忌むべきものという考え方がありますが、
メキシコ人の死生観はちょっと違う。映画『リメンバー・ミー』にも描かれたように「死者の日」
は華やかに死者の魂を慈しむ日、「死」はすべての終わりではない。「生」と対極にあるものでは
ないのでは?という気がします。この世の強い想いのその先、といった地続きな感じ?時にロマン
チックに「死」に言及します。そこも、結果的にモリッシーに通じている気がします。
④モリッシーからの憧れ返し
そんなメキシコ人に「憧れ返し」をしているモリッシー。LAに移住後すぐに、チカーノ・コミュニティ
での自分の人気、愛に気づき、「な、なんてなんてメキシコって魅力的なんだ!!」と大喜び。
ツアーでは「メキシコ人になりたい」とまで言ってます。 2004年には『アントマン&ワスプ』でもかかった
“First Of The Gang To Die”のB面に“Mexico”という歌まで収録。
これはメキシコ国境に壁を作るとかなんとか言っているトラ●プにも聴かせたいですね。
Morrissey - Mexico (With Lyrics)
超簡単に言うと、「メキシコで気分良くお散歩していたのにアメリカからヘンな化学廃棄物に
においがしてくる、テキサスからの憎しみが漂ってくるのを感じる、どうしたらいい??、
なんでかわからないけど、金持ちで白人だと全部オッケーみたい、そうであるべきみたいなのが
なんでかマジでわからない、メキシコで草の上につっぷしてむせび泣く、僕の愛が足りないから…」
という歌です。
たゆたうようなメロディーに、モリッシーのメキシコへの優しい気持ちが乗って…いますが、
先ほどのOCのライターさんによると「ちょっとファンにおもねり過ぎのあたりまえポエム過ぎ
ないか」って感じらしいですけど。。そこまであからさまに愛を示しているということで。
見て、このおもねり、じゃなかった愛!
死者の日にはバンドメンバーをこんな風に…(自分はしないんかい)。
※モリッシーと5匹のパンダではありません。
そして!UK、ヨーロッパでキャンセルが続いた2018年、10月からカリフォルニア
3日間を経て、11月にはメキシコを皮切に12月までの南米ツアー開始です。
モリッシー、今年はいろいろあったと思いますが締めくくりとして、
とても熱くてロイヤルなファンたちに迎えられて、お元気なツアー再開をお祈りしております!!