「東京音大生のバンドに参加」
1975年の話はまだ続く。
それだけいろいろな出来事があったのだ。
高校時代からの同級生で僕と同じくギター弾いていて大学生活になじめない友人がいた。K君としておこう。高校時代からギターでは良きライバルだった。彼も僕に感化されてか高橋信博クラスに入会していた。その彼からまたとない話を聞いた。
多分彼の関係のコネだと思うが、東京音大生のバンドでギターを募集している話があるというのだ。僕もスタジオでのセッションに参加する事になった。
全員どこかの店で毎日演奏しているプレイヤーらしい。
あらかじめ曲は知らされていた。
この日とにかくやってみようと決まっていたのはオールマンブラザーズのフィルモアライブからインスト曲「エリザベスリードの追憶」だった。
アドリブのアプローチによりロックにもなればジャズ的にもなるいい選曲だった。
場所は新宿の御苑スタジオ
藤森さんキーボード藤本さんドラム
大野さんベース
と我々2人で緊張のセッション。
大野さんは音大生ではなくバリバリのジャズ系ベーシストだった。初めてプロで活躍する人達とのセッションは緊張しまくっていたがすごく盛り上がった。インタープレイ!
「スゲー」大人の音に感動した。
演奏終わったあと、藤森さんから「二人とも一緒にやろうよ!」と言ってくれてこっちの2人はビックリ、「本当ですか~?」と喜びあった。
「まずは今年の音大の文化祭に出よう!」という事になった。
東京音大の文化祭に出れるなんて夢のようである。
この年の7月、藤森バンドに入団した。これはぼくに取ってすごい前進だった。
東京音大には本当にその後も縁があり、その出身者のアレンジャーやコンダクターの方々と仕事をご一緒している。
ベースの渡辺タカヤスも出会いの元を正せば東京音大つながりだったのではなかったか?
【この記事シリーズ、コメントは大いに歓迎ですが、返信コメントはいたしません。ご了承下さい。】
画像は1970年12月から1981年5月31日までを綴った鴻池音楽日記。揺れ動く心や詩もふんだんに書かれている。
1975年の話はまだ続く。
それだけいろいろな出来事があったのだ。
高校時代からの同級生で僕と同じくギター弾いていて大学生活になじめない友人がいた。K君としておこう。高校時代からギターでは良きライバルだった。彼も僕に感化されてか高橋信博クラスに入会していた。その彼からまたとない話を聞いた。
多分彼の関係のコネだと思うが、東京音大生のバンドでギターを募集している話があるというのだ。僕もスタジオでのセッションに参加する事になった。
全員どこかの店で毎日演奏しているプレイヤーらしい。
あらかじめ曲は知らされていた。
この日とにかくやってみようと決まっていたのはオールマンブラザーズのフィルモアライブからインスト曲「エリザベスリードの追憶」だった。
アドリブのアプローチによりロックにもなればジャズ的にもなるいい選曲だった。
場所は新宿の御苑スタジオ
藤森さんキーボード藤本さんドラム
大野さんベース
と我々2人で緊張のセッション。
大野さんは音大生ではなくバリバリのジャズ系ベーシストだった。初めてプロで活躍する人達とのセッションは緊張しまくっていたがすごく盛り上がった。インタープレイ!
「スゲー」大人の音に感動した。
演奏終わったあと、藤森さんから「二人とも一緒にやろうよ!」と言ってくれてこっちの2人はビックリ、「本当ですか~?」と喜びあった。
「まずは今年の音大の文化祭に出よう!」という事になった。
東京音大の文化祭に出れるなんて夢のようである。
この年の7月、藤森バンドに入団した。これはぼくに取ってすごい前進だった。
東京音大には本当にその後も縁があり、その出身者のアレンジャーやコンダクターの方々と仕事をご一緒している。
ベースの渡辺タカヤスも出会いの元を正せば東京音大つながりだったのではなかったか?
【この記事シリーズ、コメントは大いに歓迎ですが、返信コメントはいたしません。ご了承下さい。】
画像は1970年12月から1981年5月31日までを綴った鴻池音楽日記。揺れ動く心や詩もふんだんに書かれている。