先日、本棚を整理していたら、こんなチラシが保存してありました。
1969年11月2日に学習院大学文化祭で行われたロックコンサート。
いや、当時世間はコンサートではなく、「ロック集会」という認識でした。
場所はピラミッド校舎。
あの時、私は中学3年生。
学ラン着てステージ下の一番前で座って聴いていました。
チラシにクレジットしたあるバンド以外にも沢山バンドが出ていました。
あるグループは演奏1曲目で学生運動のシュプレヒコールを
イントロにした曲を演奏し、観客からブーイング「帰れ!帰れ!」の大合唱を浴び、
その曲だけで退場。
コンサートの後半大学の応援団が乱入して、
それを主催者が押し返す等不穏な空気も。
そういう時代だったのです。
「もう遅いから早く帰れよ!」と大学生に声かけられるも、結局最後まで見ていました。
クレジットされているバンドの中で、
四人囃子のキーボード坂下秀実さんとは
1981年五輪真弓さんのバンドで一緒になり、全国ツアーを回りました。
その後
ドラムの岡井大二さんともレコーデイングで一緒のチャンスもありました。
永福町のスタジオで、プロレスラーのテーマソングのカヴァーレコーデイングを沢山しました。
その中で、坂下さん、岡井さんとレコーデイングした
ピンクフロイドの「吹けよ風呼べよ嵐」のカヴァーは一生の思い出です。(プロレスのA.ブッチャーのテーマソングとしてカヴァーレコーデイング)
ブルースクリエイションのベース佐伯正志さんは、
2002年南かおるさんのバックでご一緒。
何とハワイアンの大御所歌手のバックで出会いました。
その後、ジロキチのライブでベースをお願いした事があります。
この出会いは本当にうれしかった。
坂下さん、佐伯さんとはFBで再会。現在に至っております。
そして、1980年代赤坂ポテトクラブでデイスコバンドで出演していた時にハリマオのギタリスト黒沢賢吾さんと対バンになり、
Facebookで再会。
そのフレンドつながりで
ビーナスの小野智さんと出会い、ライブを3回主催しました。
どの方とも、交流を深めております。
日本ロックの黎明期からご活躍なさった方々を深く尊敬しております。
1969年11月2日に学習院大学文化祭で行われたロックコンサート。
いや、当時世間はコンサートではなく、「ロック集会」という認識でした。
場所はピラミッド校舎。
あの時、私は中学3年生。
学ラン着てステージ下の一番前で座って聴いていました。
チラシにクレジットしたあるバンド以外にも沢山バンドが出ていました。
あるグループは演奏1曲目で学生運動のシュプレヒコールを
イントロにした曲を演奏し、観客からブーイング「帰れ!帰れ!」の大合唱を浴び、
その曲だけで退場。
コンサートの後半大学の応援団が乱入して、
それを主催者が押し返す等不穏な空気も。
そういう時代だったのです。
「もう遅いから早く帰れよ!」と大学生に声かけられるも、結局最後まで見ていました。
クレジットされているバンドの中で、
四人囃子のキーボード坂下秀実さんとは
1981年五輪真弓さんのバンドで一緒になり、全国ツアーを回りました。
その後
ドラムの岡井大二さんともレコーデイングで一緒のチャンスもありました。
永福町のスタジオで、プロレスラーのテーマソングのカヴァーレコーデイングを沢山しました。
その中で、坂下さん、岡井さんとレコーデイングした
ピンクフロイドの「吹けよ風呼べよ嵐」のカヴァーは一生の思い出です。(プロレスのA.ブッチャーのテーマソングとしてカヴァーレコーデイング)
ブルースクリエイションのベース佐伯正志さんは、
2002年南かおるさんのバックでご一緒。
何とハワイアンの大御所歌手のバックで出会いました。
その後、ジロキチのライブでベースをお願いした事があります。
この出会いは本当にうれしかった。
坂下さん、佐伯さんとはFBで再会。現在に至っております。
そして、1980年代赤坂ポテトクラブでデイスコバンドで出演していた時にハリマオのギタリスト黒沢賢吾さんと対バンになり、
Facebookで再会。
そのフレンドつながりで
ビーナスの小野智さんと出会い、ライブを3回主催しました。
どの方とも、交流を深めております。
日本ロックの黎明期からご活躍なさった方々を深く尊敬しております。
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