当時ロック喫茶はゴロゴロあった。中学3年の時初めて行った渋谷のBYGはよく行った。その頃は靴脱いで入る絨毯喫茶だったのでいい靴はいていくとかっばわれた。(笑)ブリティッシュロックがガンガンかかっていてかなり怪しい雰囲気だった。時が経ちBYGは今でも渋谷百軒店街に存在している。今はアメリカ音楽専門のようだが、もう何十年やっているのだろう?1969年に初めて行ったのだからほとんどのロック喫茶が壊滅した中40年以上経営出来ているのは奇跡的だと思う。
原宿のビルの何階かにDJStoneというロック喫茶があった。ここにはなんとジミーペイジのソックリのボーイさんがいて、オーダーする時なぜかドキドキしたものだ。(笑)
この店ではショータイム?みたいな時間があっていきなり照明を暗くして天井を星空のようにライトを変化させてキングクリムゾンのファースト『コートザクリムゾンキング』の2曲目の名曲「アイ・トーク・トゥ・ザ・ウインド」をかけてくれたりしていた。
あと渋谷センター街にアナザーサイドというロック喫茶が高校時代に新たに出来た。行ったら駒場東邦のバンド仲間とかが来ていて完全にロック小僧のたまり場になっていた。
新宿の歌舞伎町にはレインボーというロック喫茶があり、ここもよく行った。DJがいてリクエストを沢山かけてくれる店だった。
新宿にはローリングストーンもあった。
また新宿にはロック喫茶ではないが、風月堂という喫茶店があり、ロックバンド、学生運動活動家、アート系、ヒッピー系のたまり場だった。コーヒー一杯でいつまでもねばれていたのではないか?
自由が丘に友達がいて駅から踏み切り超えて住宅街の方にレノンという喫茶店があった。
生まれ育った駒場東大前の商店街にもロック喫茶系があった。名前は忘れてしまったが、東大が近くにあるので学生運動系の大学生がよく討論していたのを覚えている。僕は自分の好きなレコードを持っていきかけてくれた。
すべて実際に行った店で1970年代前半の記憶である。
よくよく考えたら中学、高校時代になんか絶対に行ってはいけない店だったんだろうな。(笑)
もちろん基本はソフトドリンクだったと思うが何をオーダーしていたのかは覚えていない。でもアルコールやタバコを覚えたのもこの頃だった事は正直白状しよう。(笑)
セブンスター100円、ハイライト80円
の時代である。
ワルロック少女は洋モクの長いタバコが定番。
高校時代からは髪の毛が自由だったのでだんだんロンゲにしていった。Gパンはコンポッパー、靴はSAのロンドンブーツ。女性用のジャケットやシャツがかっこいい、との事でそんな事もしていた。
グラムロックが流行った時は化粧したロック小僧も多かったが、さすがにそれはやらなかった。
今から思うとみんなずいぶん滑稽な装束で街を歩いていたと思う。
ロンドンブーツなんてみんなどうしただろうな?
今ロンドンブーツって言ったらお笑いグループの事になっちゃう。
でも70年代のファッションは時代を超え今も生きている。そのエッセンスは大好きなのでGパンも裾広がりのものを買ってしまう。
ブーツカットっていうんだね、その種類。昔はパンタロンって言ってたんだよ。(笑)
やっぱり僕は70年代の人間だな~ってつくづく思う。
その時代は政治、文化もろもろ含めて明日いつも何かが起こるような期待と緊張がある毎日毎日が「前夜」の時代だったんだよ。
原宿のビルの何階かにDJStoneというロック喫茶があった。ここにはなんとジミーペイジのソックリのボーイさんがいて、オーダーする時なぜかドキドキしたものだ。(笑)
この店ではショータイム?みたいな時間があっていきなり照明を暗くして天井を星空のようにライトを変化させてキングクリムゾンのファースト『コートザクリムゾンキング』の2曲目の名曲「アイ・トーク・トゥ・ザ・ウインド」をかけてくれたりしていた。
あと渋谷センター街にアナザーサイドというロック喫茶が高校時代に新たに出来た。行ったら駒場東邦のバンド仲間とかが来ていて完全にロック小僧のたまり場になっていた。
新宿の歌舞伎町にはレインボーというロック喫茶があり、ここもよく行った。DJがいてリクエストを沢山かけてくれる店だった。
新宿にはローリングストーンもあった。
また新宿にはロック喫茶ではないが、風月堂という喫茶店があり、ロックバンド、学生運動活動家、アート系、ヒッピー系のたまり場だった。コーヒー一杯でいつまでもねばれていたのではないか?
自由が丘に友達がいて駅から踏み切り超えて住宅街の方にレノンという喫茶店があった。
生まれ育った駒場東大前の商店街にもロック喫茶系があった。名前は忘れてしまったが、東大が近くにあるので学生運動系の大学生がよく討論していたのを覚えている。僕は自分の好きなレコードを持っていきかけてくれた。
すべて実際に行った店で1970年代前半の記憶である。
よくよく考えたら中学、高校時代になんか絶対に行ってはいけない店だったんだろうな。(笑)
もちろん基本はソフトドリンクだったと思うが何をオーダーしていたのかは覚えていない。でもアルコールやタバコを覚えたのもこの頃だった事は正直白状しよう。(笑)
セブンスター100円、ハイライト80円
の時代である。
ワルロック少女は洋モクの長いタバコが定番。
高校時代からは髪の毛が自由だったのでだんだんロンゲにしていった。Gパンはコンポッパー、靴はSAのロンドンブーツ。女性用のジャケットやシャツがかっこいい、との事でそんな事もしていた。
グラムロックが流行った時は化粧したロック小僧も多かったが、さすがにそれはやらなかった。
今から思うとみんなずいぶん滑稽な装束で街を歩いていたと思う。
ロンドンブーツなんてみんなどうしただろうな?
今ロンドンブーツって言ったらお笑いグループの事になっちゃう。
でも70年代のファッションは時代を超え今も生きている。そのエッセンスは大好きなのでGパンも裾広がりのものを買ってしまう。
ブーツカットっていうんだね、その種類。昔はパンタロンって言ってたんだよ。(笑)
やっぱり僕は70年代の人間だな~ってつくづく思う。
その時代は政治、文化もろもろ含めて明日いつも何かが起こるような期待と緊張がある毎日毎日が「前夜」の時代だったんだよ。
チョイ悪中学生・高校生だった自分と、もしかしたら鴻池様、ニアミスしていたかもしれませんね!
こんばんは!
レノン、うわ本当ですか
レノンでつながるとはビックリです。
確か店はペンション風、店内は壁が白っぽくておしゃれなお店でしたよね?
自由が丘がシマでしたかあ~。(笑)
絶対会ってますよ!ちなみに僕の同級生はドラムやってた新井君といいすぐ近くに住んでいました。
なかなかお洒落な呼び方ですな。
ちなみにラッパズボンって言うのは、語源は外来語なのか日本語なのか、じつは定かじゃないらしいですね。
サンスクリット語に由来する説もあるようで。
お元気になったら、みんなでBYGに遊びに行きましょう!
李の家行きましたか!(笑)
盛り上がったんでしょうね。
今日アップしたロックな話には李君の事も出てきます。
ぜひご一読下さい。
こんばんは!
僕が元気になったら一度行きたい人集めてBYGツアーやりたいと思っています。