亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

報恩講

2013-10-08 | 法話

いつもお世話になっているお寺の報恩講に行ってきた。

毎年年末になると各寺院で「報恩講(ほんこさん)」が行われる。

御御堂では黄色い衣を着た御坊様が十数人はいただろうか。

県内の殆どの寺院はお東さんで、お西さんはあまりない。

このお寺はお東ではなくお西さん。

何処にこれだけの御坊様がおられるのだろうか」

本堂は畳敷きにもかかわらずびっしりと椅子が並べられていた。

7,80人はいただろうか、お年寄りばかりなので脚の痛い人ばかりで椅子が必要なのだろう。

40分ばかりお経さんが上がった後に法話が始まる。

富山県の氷見からきたという今日の講師。

53歳だという。

あるお寺での法話の時にそこにいたおじいさんが聞いたという。

「あんたはあっちこっちでお話ししていらっしゃると思うけど、みんなこんなもんかいね」

こんなもんとはどれだけきているかということです。

「そうやね、こんなこんなもんやがね」

「まあ、20人、30人・・・ここはまだ多い方です」

「私が法話に出た時は23歳の時でした。その時は皆さん法話を聞きながら、〝なんまんだぶ、なんまんだぶ″となえていました。それがいつの間にか念仏をとなえる方がいなくなりました。せいぜいうなずいてくれるのが精一杯です。有難かったですね、念仏を唱えてくれると、つい調子が出てテンションが上がったもんですよ。それが今じゃ誰もが・・・・・・・ですよ」

「念仏を称えるというのはせいぜい皆さんの世代(老人ばかり)でしょう。あと2,30年もたつと誰も念仏をとなえる人はいなくなるでしょうね。どうなっちゃうのでしょうね」

そうですね。仏壇はおろかお墓守もいなくなる。そうなればお寺さんはどうなるのでしょうか。

このお寺の息子さん2人が父の遺志を継いで僧侶になられています。お若い息子さんは果たしてこのお寺を守っていかれるのだろうか・・・・。

立派なお墓を建てても誰も参ってくれないとなれば何の為にお墓作ったのか分かりません。

いまはそんな時代です。

報恩講もその内なくなるかも。

コメント (1)
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