亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

鈴愛の左耳はもう聞こえない

2018-04-15 | 日記・エッセイ・コラム

後ろの音が聞こえにくい。どこから音がしてるのか判別するのが難しい。音は両方の耳から聞くことによって音の遠近感や方向が分かるのです。それが分からないのです。

 遠くから呼ぶときは気を付けてください。どこから呼んでいるのか分からない。沢山のお友達がお喋りしている時も何を言われているのか分からないのです。音楽がなっている所かテレビがなっている時のお喋りが難しいのです。後ろの気配というものも感じにくくなります。気配というものも音なのです。後ろから人や車がやって来るけはいを感じるのが難しいのです。聞こえる方から話しかけてください。三半規管が壊れている可能性があるのでしばらくはバランスを取るのが難しいかも知れません。例えば、自転車や階段など日常生活に気を付けてください。時がたてば・・・。

これは4月12日放送、NHKテレビ小説『半分、青い』放送の一場面、耳がおかしいと訴えた鈴愛(すずめ)をお医者さんに連れて行ったら、おたふく風邪のウイルスの感染によるものだと告げられ、精密検査の結果を鈴愛の両親に説明している一場面です。もう治らないかもしれない。と知った母親はすっかり落ち込んでしまう。何と言って、鈴愛に説明すればいいのやら…。

実は私も右耳が聞こえない。小学校6年の時、聴力を失った。

鈴愛は耳鳴りを波が砂浜に押し寄せる時の音と表現をしている。が、私の耳鳴りはそんな優しいものではない。

耳鼻科の医師は、耳鳴りを簡単に考えているようだ。自分が体験していないから全く理解できないようだ。

ネットでも耳の聞こえが悪くなるとそれを補おうとして耳の神経が感度を上げてくる、その為、雑音が増幅される。それが耳鳴りの正体だ。位の事を書いている。一般にもそう理解されているようだ。

だけどそれは全くの誤解で、耳鳴りはその人によってみんな聞こえ方が違うようで、一概に耳鳴りはこうだと決めつけられない。耳鳴りを経験していない人には全く理解されていないようだ。

一時的な物なら、それでもいいが、それが24時間休みなく続くのである。これほどつらいものはない。

聴力検査もいい加減なもので、検査される者がボタンを押すだけ、ボタンを押しタイミングはその人によって違い、とても本当の聴力を測っているとは思えない。

正確に測れる機械が出来たらいいなと思う。

『半分晴れ』では、聴力を失った鈴愛は周りの思いあいに中で成長して行く。

私の周りでは、そんな人がいただろうか。

父が医師に呼ばれ、「残念ながら聴力は元に戻りません」と告げられた。

それを父は簡単に、もう聞こえるようにはならない。と、私にそっけなく伝えた。

学校に行ってもそれなりの配慮をしてくれる先生はいなかった。

勿論先生の授業はよく分からない。

それでも黙って耐えて行かなければならなかった。

周りの人に自分は右耳が聞こえないから、話すときは左側で喋ってくれと、人に会うたびに話すのだが、残念なことに大概の人はそのことを忘れ、申し合せたように右側から喋ってくる。もう諦めて、分からなくても分かったよう振舞うしかない。ドラマのような雰囲気はない。それが現実である。

ドラマは良く出来ているなと感心するやら呆れるや。

現実はそう甘くないのだ。

内耳の蝸牛管は、音を感じる毛のようなものがあって、それは一度傷つくと絶対に元に戻らないそうだ。

蝸牛管は硬い殻に覆われているためその中を調べるのが難しく未だよく分かっていないとのこと。

今日は月参りだった。

お参りに来た住職さんに、「知り合いの方に、難聴の方は、いらっしゃいますか と、お伺いしたところ 、「年を重ねてだんだん耳が遠くなると言う人はいらっしゃいますけど・・・」

難聴で悩んでいる人は少なくないと思うけど、社交家でボランティア活動の熱心な住職さんでもこの程度なのかと、情けなく思った。

片耳の人は音に立体感がないので、誰がどこで何を喋っているのか区別をするのが難しい。その為、人中に入って行くのが苦手でどうしても家の中で閉じこもりがちとなる。

何とかしたいと気ばかり焦る日々である。

コメント (1)
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