安宅
謡曲「安宅」
その昔、「安宅」を題材にした能を演じたららバカ受けしたらしい。
宝生流の能は180番あり、安宅はその番外編で特別位の高い能だと教わった。
上のは謡本のあるページで、山伏が富樫氏の態度に熱り立ち総勢で代官に襲いかかろうとするのを弁慶が止める場面。
弁慶が義経を打擲する場面をコピーしたかったのだが、謡本というのはいらぬことを書いてある場面が多く、しかも表現が難しいのでどこが弁慶が義経にムチする場面なのかよく分からない。
安宅という場所は海岸縁にあり、特別に義経一行が通らなければならないというような場所ではない。
もっとも安宅関というのがあったかどうかも定かでないと言われている。
有名になった安宅の関は江戸時代になって、同じ内容で歌舞伎「勧進帳」となって演じられている。
謡本(うたいぼん)も古文書の一つ。この謡本は昭和の初期いに書き直されたもので、それまでの謡本を見せてもらったことがあるけど物凄く難しい漢字で書かれていて、とても読めるものではない。昔は活字というものがなかったので、みなこんな本で勉強していたのだろう。
これはまだ硬い字体で書かれているが寺子屋で学んでいた子供たちはさらに崩された教本で勉強していたらしいから大変だったろう。
「安宅」という謡はくらいの高い曲だからなかなか教えてもらえない。
この本はまだ節が付いているが、謡曲の先生は、大先生に節なしの謡本で教えられ、節は自分でつけなさいと言われるそうだ。
謡曲の先生ともなると大変なのだ。
謡曲の謡い方は時代と共に変化し、必ずしもこの節で習うとは限らない。
その為には、謡いは先生の口を真似して習うものだと教えられる。
長い間、謡いとは遠ざかっていたが今年からまた始めようかと思っている。
また、その時に感じたことをブログで書いてみようと思う。
耳を悪くしたので続くかどうかわからないけど…。
お隣の新築住宅の大工さんは毎日夜遅くまで頑張っている。
働き過ぎだと言うお役所さんなんてどっかよその国の話と言わんばっかりに……。
昔は出稼ぎしてた人にも地元で仕事があるって良いことかもね^^