れっどかなちゃんず

浦和レッズを応援するレッズな家族の記録です。

「マイロード」中沢編

2008-05-30 12:59:22 | 浦和レッズ
人間には、幾多の出会いがある。
その出会いが、大きく運命を変える。
その陰に、本人の努力があれば、大きく花開く場合がある。
マリノス中沢の歴史を振り返る番組、「マイロード」を見てそう思った。

四週に渡って放映されたその番組、
1週目は見逃してしまったが、
2週目以降、その運命のイタズラに引き込まれてしまった。

埼玉の無名高校に在学した中沢。
「プロになるんだ」という意志は在学中から非常に強く、
がむしゃらに練習、
ちょっと浮いた存在だったそうだ。

卒業し、プロへ行きたかったが、どこからも声がかからず、
在学した先生の勧めもあってブラジルへ留学。
ここでも、がむしゃらに練習、
一時はレギュラーを獲得したものの、
ビザ更新で帰国中にチームの新戦力の補強で戦力外となり、
「いたければ、どうぞ」という立場に。

それでも「プロになる」という夢は捨てきれず、
母校の練習に参加してプロへの機会をうかがっていた。
色々なチームに声をかけたが、ことごとく断られた。

そんな時、たまたま母校とヴェルディユースとの練習試合が組まれた。
この試合、特別に出場させてもらった中沢は、見事にゴールを決めた。
そして、ヴェルディに頼み込んで入れてもらうこととなる。

練習生として参加、
朝早くから夜遅くまで、がむしゃらに練習していたが、
98年にはクビ寸前に。
しかし、新しく代わった監督に
「背が高いからおいておけ」
という一言で首がつながったという。

そして、がむしゃらな練習は続き、DFとしての高さと強さが認められてJデビューを果たす。

今度は、たまたま中沢の出場した試合を見に来ていたトルシエの目に止まる。
そして、代表召集へ。
トルシエは中沢の出場した試合は、この試合しか見ていなかったそうだ。

今や代表には欠かせない、存在となった中沢だが、
このように、その時々に人との巡り会いがあった。

サッカーを勧めてくれた父親、
ブラジル留学と帰国後、参加を認めてくれた先生、
練習生としての参加を認めてくれたヴェルディのコーチ、
クビ寸前を救ってくれた監督
そして、トルシエ、
ひとりでも欠けていたら、今の中沢はいない。

そして、中沢を大きく成長させたのは、
岡田代表監督の一言だという。

「誰しもミスをする。」
「しかし、大事なのはミスしたあとどうするかだ。」
この一言で、ふっきれたという。
これまで躊躇して中途半端になっていたプレーも、
自信を持ってプレー出来るようになり、
プレーのスケールがひとまわり大きくなった。
その後の活躍は、ご存知の通りだ。

中沢は、自分を信じて、ひたすら努力を重ね、チャンスを待ち続けた。
そして、掴んだチャンスには、見事に実力を発揮し、大きな夢を実現させた。
努力の積み重ねが大きな夢につながった。

やはり、ただ幸運を待っているばかりではダメですね、「努力」がないと。
「果報は、寝て待て」というが、
これは、努力した人のみが言える言葉ということがよくわかりました。
「果報は、練(ね)って待て」ですね。
日頃の鍛錬や、やるべきことをやりきることが肝要かと。

でも私は、宝くじやBIGを買って、
「果報は、寝て待て」かな。

宝くじやBIGを買う努力だけは続けます。


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1 コメント

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うまい!w (キングゴジラ)
2008-06-06 13:04:49
「果報は、練(ね)って待て」か。上手いですねw big買い続けましょうw
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