29日、天皇杯準決勝、長居には遅れて到着。
前半20分を経過していました。
試合を見ながら、お弁当、そして、ビール。
やはり、レッズの試合じゃないと、
真剣には見られませんね。
食欲と、アルコールだけが進んだ試合観戦でした。
終わって、長居に用はナシ。
ソッコーで長居を後にし、鶴橋駅へ降り立ちました。
人ふたりがやっとスレ違えるような細い露地。
両脇には、キムチやチヂミ、韓国食材のお店が . . . 本文を読む
29日、新大阪駅には11時前に到着。
キックオフ迄にはまだまだ時間があったので、
四天王寺へ立ち寄りました。
突然の思いつき。
なので、事前情報も何も無く、着いてビックリでした。
随分と大きなお寺さんではないですか。
何でも、1400年前、
推古天皇の時代に聖徳太子が建立したといいます。
五重の塔もありましたよ。
中門に大きな仁王様。
講堂には大きな大仏様が二体。
そして、五重の塔は、中 . . . 本文を読む
29日、新幹線にて大阪へ向かっています。
行く先は長居。
浦和レッズ、熊谷で敗戦とは微塵も思わず。
ツアーとチケットを手配していましたからね。
一応、清武でも見て来ます。〓
その「のぞみ」車中にて、レッズユニ着用サポ発見。
2010年バージョンでした。
けれども、彼は名古屋駅下車。
名古屋でレッズの試合はあるのでしょうか?
あるのなら、我らも途中下車して、
応援する必要がありましたものね。
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浦和レッズ、オンラインショップで、福袋が売り出されています。
価格は1万円。
けれども、3万円相当のレッズグッズが入っているとのこと。
とってもお買い得に思える福袋です。
この手のセールスには、からっきし弱い…。
12月、
後援会大納会の7割引セールスでお買い物。
レッドボルテージのエキサイティングセールでもお買い物。
続けて、オンラインショップ、セールスが始まって、
ここでもお買い物。
「レ . . . 本文を読む
24日、FC東京戦敗退。
これで浦和レッズ、全日程が終了しました。
ミスが多く、決定力に乏しく。
最終戦は、今季の浦和レッズを象徴するような試合でしたね。
ヤマチャンの怪我が心配されましたが、
大きな怪我ではない様子でホッとしました。
リーグ15位、残留争いという情けない成績だった今シーズン。
収穫は、と言えば、
原口のブレイク、加藤の台頭、梅崎の再ブレイクといったところでしょうか。
そして . . . 本文を読む
足の踵裏が2週間ほど前から痛み出し、
とうとう我慢できずに整形外科で診てもらいました。
これまでも、たまに痛みはあったけれど、
いつの間にか痛みは消え、思い出した頃にまた痛くなるという繰り返し。
しかし、患部が腫れているわけでもなく、
変だなとは思いつつ、
骨が折れたり、ヒビが入ったりしたわけではないということは分かっていました。
ところが、お医者さん、
事前に症状を記入して提出した申告書を見 . . . 本文を読む
18日付、日経新聞、
スポーツ面の掲載記事をとても興味深く読みました。
その記事は、「浦和、経営も苦戦」との見出しで始まっていました。
今期の浦和レッズ、
成績不振で観客数の大きな落ち込みが響き、
営業収入が前期比4億円減収する見込み。
幸い、エジの移籍金、ナビスコ準優勝賞金があったので、
トータルでは7百万円の黒字計上見込みとなり、
なんとか、2期連続赤字計上は避けられる模様。
そして、今期 . . . 本文を読む
17日、愛媛戦、見事に勝ち抜きました。
スタジアムには11時過ぎに到着。
当日抽選には間に合いませんでしたが、
日がいっばいにあたる暖かい場所、
心地よく待機することが出来ました。
バックスタンド裏広場には、
地元熊谷B級グルメのブースが立ち並びます。
熊谷ホルどん、焼きそばフライ、牛スジ煮込み、ケンチンうどん等々。
おばちゃん達が店先に並び、
どれもが手頃なお値段。
安くて、美味しくて、 . . . 本文を読む
来季新監督も決まり、
我らの心は来季への展望・編成・希望へと向かいがち。
正直、私の心もウキウキ、ワクワク。
けれども、明日、
大事な天皇杯愛媛戦ですよ。
リーグ戦、
情けない結果に終わったレッズ。
この大会でレッズのチカラを証明して、
リベンジしなければなりません。
絶対に、ここで負けてしまってはいけません。
我らも気持ちを切り替えて、
決勝へ歩を進めるべく一生懸命応援しましょう!
愛媛戦 . . . 本文を読む
14日、レッズ新監督、
ようやく前広島監督ペトロビッチ氏に落ち着きました。
この日の朝、友人からもらったメール。
それは、レッズ新監督、
新聞がペトロビッチ氏で決定と報じているというものでした。
その時点で私は、報道を全く信じていません。
友人を信じていないのではなくて、
新聞報道を信じていなかったのです。
その日は、西野氏拒絶が報じられた翌日。
新聞は、その前日まで「西野決定!」との論調でし . . . 本文を読む