大晦日でしたか・・・・
BS東京で京セラの稲森名誉会長へのインタビュー番組がありました。
そこで紹介された稲森さんの座右の銘、
「敬天愛人」
稲森さんの本は、昔から何冊も読んでいるし、
テレビやビデオでも何度かお話を聴いているのですが、
今回は、たまたまつけたテレビ。
それも番組の途中から、最後の5分だけでした。
「敬天愛人」という言葉も、かなり前から知識としては知っていました。
しかし、何故か今回は、不思議なことに、とても深い感銘を受けました。
「ビビッ」というよりは、「じわ~ん」という感じ。
「敬天愛人」という言葉。
西郷隆盛の「南洲翁遺訓」によれば、
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
私たちの人生の中で、たびたび聞く「天の声」は、
あたかも偶然をよそおいながら私たちの前に現れる。
その「天の声」によりもたらされる境遇は、時に苦しく、
疎外感があったり、苦々しいものだったりする。
何故、私だけがこんなに苦しいの?と思うこともあるだろう。
しかし、その境遇、自分の今の職業や人との偶然の出会いに
深い「意味」を感じ、精一杯にその偶然を生きる。
そして、多くの先人達がいてこその自分。
ならば、人類以外の先人達を含めた無数の先人達の、
精一杯の生によって、今の境遇に生かされていることに感謝する。
そのことが、天を敬うこと。
「敬天」
そして、人生の中で出会う様々な人がいる。
良い人。悪いことを行う人。
独特の観念をもち、偏った目でしか人や社会を見ることが出来ない人。
そして仕事が出来る人。出来ない人。
出会った方々、これから出会う方々。
全ての人の尊厳を重んじ、多様性を許し、愛しむ。
「愛人」
そして・・・・実は、
「敬天」と「愛人」は一つ。不可分で一体のもの。
40歳代初めての一年を迎えるに当たり、
私に与えられた、まさに偶然の言葉との出会い。
「敬天愛人」
昨年まで、様々な経験からもたらされたものとこの言葉とが、
渾然一体となり、自分がこの世で生きる「姿勢」のあり方を
与えられたように感じました。
まだまだ、修行の入り口に立っている私。
この言葉を杖に、これから何年か解らない人生を歩んでゆこうと思います。
BS東京で京セラの稲森名誉会長へのインタビュー番組がありました。
そこで紹介された稲森さんの座右の銘、
「敬天愛人」
稲森さんの本は、昔から何冊も読んでいるし、
テレビやビデオでも何度かお話を聴いているのですが、
今回は、たまたまつけたテレビ。
それも番組の途中から、最後の5分だけでした。
「敬天愛人」という言葉も、かなり前から知識としては知っていました。
しかし、何故か今回は、不思議なことに、とても深い感銘を受けました。
「ビビッ」というよりは、「じわ~ん」という感じ。
「敬天愛人」という言葉。
西郷隆盛の「南洲翁遺訓」によれば、
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
私たちの人生の中で、たびたび聞く「天の声」は、
あたかも偶然をよそおいながら私たちの前に現れる。
その「天の声」によりもたらされる境遇は、時に苦しく、
疎外感があったり、苦々しいものだったりする。
何故、私だけがこんなに苦しいの?と思うこともあるだろう。
しかし、その境遇、自分の今の職業や人との偶然の出会いに
深い「意味」を感じ、精一杯にその偶然を生きる。
そして、多くの先人達がいてこその自分。
ならば、人類以外の先人達を含めた無数の先人達の、
精一杯の生によって、今の境遇に生かされていることに感謝する。
そのことが、天を敬うこと。
「敬天」
そして、人生の中で出会う様々な人がいる。
良い人。悪いことを行う人。
独特の観念をもち、偏った目でしか人や社会を見ることが出来ない人。
そして仕事が出来る人。出来ない人。
出会った方々、これから出会う方々。
全ての人の尊厳を重んじ、多様性を許し、愛しむ。
「愛人」
そして・・・・実は、
「敬天」と「愛人」は一つ。不可分で一体のもの。
40歳代初めての一年を迎えるに当たり、
私に与えられた、まさに偶然の言葉との出会い。
「敬天愛人」
昨年まで、様々な経験からもたらされたものとこの言葉とが、
渾然一体となり、自分がこの世で生きる「姿勢」のあり方を
与えられたように感じました。
まだまだ、修行の入り口に立っている私。
この言葉を杖に、これから何年か解らない人生を歩んでゆこうと思います。